母である地球が回っているから子である時計の針も追いかけ回っていて、母から賜った胸の鼓動が二拍子を打つから子である人も喰種も二本足で五線譜を歩く。

「そうなの?」と聞かれたら、「さあ?」と答える。

「そうなの?」と聞いたなら、鏡の誰かも「さあ?」と答える。

つまり、実際の相関関係はどうだか知らないしそこまで興味なんてないけれど、愛したから愛される、そんな世界だったらつまらないなりに面白いのではないか、そう思った。


ただ愛されたいだけじゃないの?

聞かれたら、

さあ?

とだけ答える。






コロン、
転がった小瓶。花の骨を閉じ込めた、とてもとても大事なもの。役目を終えた砂時計にも似る少量の骨粉は、変わりが利かない遺品であるにも関わらず、擦り傷だらけでコルクも欠けてしまっている。大事に扱われた影は見えない。

一般論を押し付けるならば、これは西園 花そのものであるという事。ウタは何度となくそう言い聞かせた。興味を示さず暇そうなビビの頬を包み、じっと目を見て、躾をする様に。

しかし、死の概念をなんとなく理解していてもそれに連なる常識や思いをしっかり捉えられずにいるビビは、この小瓶に興味を示す瞬間なんて床を転げ美しい音を奏でた時程度。コロコロ、転げて。サラサラ、流れる。音は美しい。

ビビを思って死を選んだ、今は燻んだ粉の友人。棺となる小瓶の扱いは粗略で、こうして捨て置かれているのをウタは何度も見た。情は儚い。愛もそう。頬擦り付きの温かいベッドで愛され、一緒にお出かけをした記憶を持ちながら、ごみ捨て場で寂しく座り込むクマのぬいぐるみと同じ。世の中を広く見れば、よくある事なのかもしれないけれど。

正直、ビビに理解できる日は来ないか、或いは、もっとずっと先だと思う。繰り返された粗略を怒るのももう面倒だ。だってそうだろう、そんな時間があるのなら1秒でも多く身を寄せ合っていたいし、いつか迎える孤独の為に笑ってもらえた思い出も作りたい。

体調をみて海へ連れて行ったビビは寂しそうに泣いていた。海でだけ花に会える、そう思っているのならもうそれでいい。今だけでも此処に居てくれるなら、それで。


お昼を過ぎてもHySyの二人は朝模様。
小瓶を拾ったウタが親指でコルクを圧し、床の日向にぺたりと座り込んだ灰色のビビを、まるで雨を受ける蕗の葉の様に上から覗き込んだ。さながらビビは、葉っぱのウタで雨宿りをする蛙さんだろうか。

ジ、と見つめてくる瞳は例える言葉を棄てるほど愛らしく、割れた瞳孔の奥が垣間見たいと燻る欲を吹く。

「なに隠してるの?また芋虫さん?」

「?」

問いかけても、丸めたタオルケットをひたすらに揉む手は止まらない。隣にしゃがみ込んだウタを見つめながら、尚ゴワゴワもみもみと。

よく仔猫がやるだろう。母親の乳を押す仕草なのだという。人間や喰種も同じであるのか、子をもうけた事も育てた事もないウタには知る由もないが、しかし、なんとなく。なんとなく、一生懸命なこの仕草が好きだった。

猫の手に丸めたちいさい手で揉むゴワゴワのタオルケット。ビビを膝に抱いた時も決まってウタのお腹に置かれ、そして同じ様にゴワゴワもみもみされる。

───この仕草が好きだった。

「めま…、」

「めま?」

「…。」

「いいよ、言って?」

「、…。」

ビビをぽかぽか照らす太陽は、今日も温かい。言葉、文字、何もなくとも優しい陽光は灰色の髪を銀色に塗り替え、天日干しされたお布団の様にもっふもふのふっかふかにする。気が付けば覚束ない足で日向を探しているから、ビビはきっと、鉄格子を抜けてまで会いに来てくれるお日様が大好きなのだと思う。雨も同じ。瞬く灰色は雨粒に、不思議そうに、楽しそうに、そして少しだけ愛おしそうに。

ふか、ふか、未だ小瓶に指を絡めつつ頭を撫でるウタを、困り顔で見つめるビビが髪に結い付けられた鈴音を聞きながら言葉を探す。1つ、2つ、ちりん、ちりん、数えられる程しか知らない日本語。ちりん、

白紙だらけの辞書を捲る脳内の指は鈍く、まるで濡れた窓辺をお散歩する渦巻きのぬるぬるを思わせたが、灰被った声を待つウタは急かす事もなく、ただ穏やかに、幸せそうに、少しだけ寂しそうにビビを眺めた。

いったい幾つの秒を、分を跨いだだろうか。もさもさの髪に埋もれた手でビビの首を引き寄せ、ちりん、決して力加減を間違えない様、決して壊さない様、労りで愛でるウタには分からない。唇こそ重ねないとはいえ、こっつんこさせた鼻先は同じ様に愛おしく、照れくさく、時間なんてものはあっという間に過ぎていくから。瞬きの間には枯れ、涙が落ちる頃に花瓶は割れる。限られた時間はどうしてこんなに。

───ややして開く唇は赤く、つい塞いでしまいそうな衝動を想う気持ちで以って押し留め、頬包む指で薔薇の唇を撫でた。ビビの声が早く、聞きたくて。

「……めままし、」

「…?」

むにゃむにゃ言いにくそうに落とされる言葉。めままし。

色気も何もないだろう。でも、普段からこんなもの。ビビ語解読メモには日本語になりきれなかった言葉がたくさん並んでおり、ビビとお話をしたい一心のウタがなんとか翻訳を進めている。めままし、えままめ、ちゃこペシ。

日本生まれ日本育ちでも施設内で使われていた言語がそうではない為、ただ大人しく飼われ“はい”か“いいえ”すら選ぶ立場に居なかったビビには覚える機会がなかった。一般的な子供よりもずっと拙く、舌も上手に回らない。

「…目覚まし時計のこと?」

「…めままし。」

自信なさげなビビの頬を労わりの指で擦ってからタオルケットを崩してみると、思った通り目覚まし時計が顔を出す。ネジが飛び出て、数字までバキバキ。

「うん、めざまし。教えてないのに偉いね。いつ覚えたの?」

「?」

今朝、あまりのけたたましさに壊してしまったそれ。決まりごとの様に毎朝2つの時計がペタンコにされ、別室で寝ているビビの目覚ましだけが比較的無事な朝を迎える。いっぱい鳴ってる、止め方が分からない、とウタの元へ持ってくるから、結果的にそこでやっと起きるというわけだ。さすがのウタもビビごと目覚ましを壊すなんて事はしない。

8時の目覚ましはウタに握り潰され、9時の目覚ましもウタに握り潰され、ビビが大事に持ってくる10時の目覚ましだけがだいたい無事。時折すっ転んだビビの所為で壊れてしまう事はあれど短命は免れる。部屋の隅には箱買いした目覚ましが積まれ、物語るのは二人が、いやウタが、どれだけ目覚ましを壊しているかって事。ビビがいなくちゃ朝も起きられないって、それだけ。

「 、…。」

いつ覚えたの?知らない日本語を撫でたウタの唇をジ、と見つめたビビがおっとり瞬いて、そしてまた蒼を落とした。頬にそよいだ扇の影が宛ら道化師の化粧に似て、灰を被る愛らしさも、数歩前の過去と変わらない鼓動の不自然さも、秒が先駆けた一瞬で重なる隅っこの涙も、ビビの素顔は厚塗りの不自然な笑顔に隠されてしまい中身なんて見えやしない。

道化のフィルター越しに見ているからビビの頬には涙が重なって見えるだけかもしれないが、少なくともウタが想いを滲ませて眺めるビビの頬には、いつだって傷付いた涙のペイントが存在している。深い蒼色のこいつはビビの頬に染み付き、何度拭っても何度短針が回ろうとも変わらず在り続けた。当たり前だ、涙を流しているのはビビではなく、ウタが見る道化のフィルターなのだから。

目の前でもう一度タオルケットに飲み込まれていく目覚まし時計は二人の轍。秒針が吹っ飛び、もう二度と右回りができない体にされていて、ああ可哀想に。加害者は自分と知りつつ、そう思った。可哀想に。

「…お昼前に店開けるなんてムリだよね。もうオープンの時間ずらす?目覚ましも全部捨ててさ」

「なに?」

「どっちが早起きかって、競争しようよ。ぼくが勝ったら部屋まで迎えにいってあげる。面白そうでしょ?」

「?」

ち、ち、ち、
隠された時間は死人に口無し。

それでも、ち、ち、ち、秒針の走る音が陽をすり抜けて寄り添う。ビビの向こう、壁に引っかかった高慢ちきな時計より。ち、ち、ち、ちりん、


現在時刻は13時ちょうど。

未だお水を貰えぬ鉢男の頭上にて、“10:00〜18:00”を掲げるHySyの看板が、花揺らす風と共に頭を下げた。


重瞳賜る片目、花


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -