花と名乗った女は、痛々しいまでの警戒をみせた。喰種相手に何も出来ない癖に。

出されたコーヒーも飲まない、少女にも飲ませない。風邪ひいちゃうから、とシャワーを勧めても、少女だけをバスルームへ押し込み自分は扉の前でただ待っていた。濡れた服も髪も、滲む血もそのままで。

身体は辛くないかしら?
うん。へいき。

息は苦しくない?
うん。

よかった。無理をさせたわね、ごめんなさい
へいき。花、だいすき。

ええ、私もよ。


「信頼が欲しいのなら一歩も動かないで」、偉そうな言葉の通り着替えの服だけを渡しソファで寛ぐウタの耳に、ふたりの会話が届く。まるで何かの映画みたいだなぁと思った。

バスルームの扉が開く音、引き擦る鎖。ウタの前に姿を現したふたりの姿は対照的だ。

「やっぱりそうなるよね。なるべく女物の服を選んだんだけど」

「いいえ。助かったわ。ありがとう」

「うん。どういたしまして」

サイズが大き過ぎるとはいえウタの服を着て小奇麗になった少女と、雨に濡れたままでいる花。少女の顔が拝めるかなと少し期待していたが、深くフードを被っている。失敗したかも、素直にそう思った。ウタから見えるのは、つんとした唇だけ。髪色すら見えない。下から覗いてやりたくなるけどそんな事をしたらまた騒がれるし、何より楽しみは後にとっておくのもいい。

座りなよ、そう促したソファへ渋々座ったふたりは、やはりコーヒーには手を付けない。

ワンピースになってしまっている裾から覗く足には包帯が巻かれている。きっと、足枷が擦れて怪我をしない様にと花が施したのだろう。そんな事をするくらいなら自分の傷を手当てしたらいいのに。オヒメサマを守るのは大変だね、心底不思議に思うウタにはまだ、他人を想う気持ちが理解出来ない。

花が語った事情は施設から逃げて来た事、CCGに追われている事、とても価値のあるモノを今、手にしているという事。それらを全て伝えた上で、ウタの出方を窺っている様だった。

花にはもう、時間がない。

「冷凍庫を、…借りたいのだけど」

ケースの中から取り出した硝子の管3つ。青で遮光されており中にある液体が何色なのか、どういうものなのか判別がつかない。じ、と見つめるウタの前で擦り合い、ぎちりと歯軋りに似た音を立てる。

「遺伝子よ。とても貴重なものなの」

「貸して」

差し出したウタの手へ、躊躇いもなく渡される。

その硝子管を、足元へ落とした。

「!」

飛び散る透明の液体、青い硝子。1本たりとも無事な管はない。その上からコーヒーのカップを傾ければ忽ち混ざり合ってしまう。今この場で、とても貴重らしい遺伝子はただのブレンドコーヒーになった。

目を見開いた花と音にびっくりして肩を竦めたままの少女。

「はい。終わり」

「アナタ、…あのサンプルでどうこうしようとか思わなかったの?」

「うーん。あんまり興味ないかな」

ゆったりと再生し続ける遺伝子。拒む腐敗に、本当は冷凍庫など必要なかった。つまるところ花は試したのだ。このウタという喰種の興味はとても貴重なモノである“Danzig”の血に向くか、そうでないか。

花が渡した遺伝子は本物。正真正銘の、本物。ウタが叩き割った事で、“Danzig”のサンプルは底をついた。これでもう、新しく“Danzig”の血統を再構築する事は不可能だ。コーヒーまみれにされてはどうしようも出来ない。

血に価値を見出さない男。血に価値を見出せない男。価値あるモノに、価値を見出せない男。疲れたように小さく笑った花が頷いた。わかった、信用するわ。もう、時間もないのだし。ほんの小さな声で呟かれた信頼の言葉は海への扉を開く。抗えずに落とされる恋の海、暗い海の底、砂に隠された宝箱。信頼の鍵と共に、全ては糸の導きにより。


花の手が少女のフードをおろす。柔らかそうな灰糸と、とても綺麗な瞳をした女の子。睫毛の色まで灰色で、動いている事が不思議なくらい、瞬きをしているのが不思議なくらい、綺麗な子。まるで人形が動いている様で、とてもではないが現実的ではない。

目に痛い蛍光灯が白銀の帯を射すその瞳、一度見たら忘れられない鮮烈な蒼はまるで、生きたまま海に沈めたヘレナモルフォのようだと思った。

遠い何処か、真っ蒼な海へ。


「はじめまして、こんばんは」

「?」

泡すらたてず沈んでいくヘレナモルフォ、浮かぶ白は翅の帯だけ。掌で掬い眺めていたいと誰しもが手を伸ばす。

あなたのお名前を聞かせてください、仄暗い笑みで問うウタに、白と蒼の蝶は首を傾げてただ一言。

ビビとだけ、教えてくれた。


はじめまして。


ヘレナの翅に捕まって

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