血統の配合理論、遺伝子サンプル、成功例報告書、研究員の日記、“Danzig”の繁殖喰種D66。花は全てを持ち出した。ビビの顔を知る者も殺した。父も、殺した。研究に関与した者の中で、ビビの顔を知る者は有馬貴将と西園花のみになった。硝子の子宮で揺蕩う赤子は、殺せなかった。

時間がない。CCG本局へ宛てたメールには有りっ丈の脅し文句を書き連ねる。ビビへ手を出すのなら、サンプルを含め手にした全てをCCGと敵対する喰種組織にばら撒く事。D喰種の研究を引っ張った一員として、たとえ喰種組織だろうと惜しみない尽力を捧げる事。ビビへ手を出さないのなら、こちらも決して情報を漏らさない事。

「“ビビへ手を出さないのなら”、これじゃあ君が狙われるよ」

「いいのよ、もう死ぬもの。一生私を探してればいいんだわ」

「本当に死んじゃうの?もう少し生きていたらいいのに」

せっかく脱獄したんだから。そう言いくちゃくちゃと肉塊を食むウタを横目に、花は恐れもせずノートパソコンを用いドイツのGFG経由でCCGへハッキングをする。現在の状況を探れるだけ探って、例のメールをお届けした。問題はなし。

こんな大それた事をやっているのに、もう指先すら震えない。早く死ななくてはとさえ思っている。長く続いた虚弱の血を断ち切って、縛り付ける足枷に斧を振り下ろして、実父の胸を一突きにして、頭を割り、そうして露出した脳へ硫酸をかけた。持ち出した助手北原の脳はウタのおやつと消えた。

やるべき事を一つずつ、確実に。

今まで何人もの子供達が死んできたのだ。花自身が生まれるより昔から、ずっと。形にすらなれない命を生み出す為にひとりは3代目の責任者として、ひとりはD喰種最後の第5世代として生まれてきた。

腹の中で鼓動をやめる命、耳を塞げば聞きたいと願った産声、いつか着てくれるだろうかと繕った産着。もう、うんざりだった。ゴミの様に捨てられる尊き赤い塊も、濃い血にこそ価値を見出す配合理論も、管だらけの腕も、もう。すべて。悲しいくらいに綺麗なのだ。“Danzig”の子供達は。ビビもそうだった。その命もいつか、失われてしまうというのに。他の子供達と同じ様に、愛も知らず瞼を下ろす日が約束されていたというのに。蒼い瞳は只々綺麗で、只々優しかった。

「君が死んじゃったらビビちゃんはどうするのさ」

「………好きにして」

「え。もらっていいの?」

「…アナタのそれは冗談?本気?もっとわかりやすく話して。私には時間がないの」

「短気おこさないでよ。食べる?おやつ」

「…食べるわけないじゃない」

画面によくわからない文字をひたすら打ち込んでいた花がやっとパソコンの電源を落とし、真っ二つにへし折った。床に落とされたそれをウタが踏み潰せば勿体無い程粉々になってしまう。打ち捨てられた命の様で、花は目を逸らした。命は儚い。

ウタにはああやって返事をしたが、花はビビを置いていくつもりだ。ウタの元へ。でなければ、ウタの所で身を隠すなんて真似はしない。この選択が吉と出るか凶と出るかなどわからない。見届けるだけの時間もない。賭けるしかないのだ。どっちみち、死ぬまでの間でコイツだと思える喰種を探すつもりだったのだから、もう、ウタでいいと。ウタに賭けてみようと。どうかあの子を幸せにしてと。

「ウタ、あの子はどうしてるかしら」

「お昼寝中。今なら気付かないだろうね」

「そう。丁度いいわ。…アナタにお願いがあるの。私が、」

「うん、いいよ」

「…聞きなさいよ。嫌な奴。でも…ありがとう」

ことり、差し出されたのはウタが後ろ手で持っていたお皿。深く、大きいお皿。

「さよならはいいの?」「いらないわ」誰かの胸を一突きにした、赤茶けたナイフ。握る腕に肉はほとんど残っていない。痛みと共に大切な親友へ捧げた。贖罪として。気持ちは晴れやかだ。今まで側で見ているだけだった自分も、やっと少しの痛みを感じられたからと。

「リクエストはある?なるべく痛くないようにはするけど」

「あの子の事をお願い」

「それだけ?」

「…どうか幸せで」

さようなら。声なき声で囁かれた幕引き。抱き込むように自らの下腹へと押し込んだナイフ。同時、胸を貫く喰種の腕。花は死を以て、鳥籠を開けた。友を守る為なら、命など安いものだった。


――あの子の事をお願い。私がいなくなった先で、泣いてしまわない様に


――あの子の事をお願い。私という人間の、たったひとりの友人なのよ


呆気ないものだった。もっとモタついて、死にたくないと縋って、大泣きでもすればまた違っただろうに。急ぎ足の結末って、感情移入しにくい。はずなんだけど。なんだかなぁ、溜息と共に引き抜いた腕に従って、床へと倒れ込む“花”は今この瞬間から食材だ。子宮へ突き刺さった贖罪のナイフを引き抜いて、さっさと肉を削ぎ落としていく。

なんだか珍しいし、面白そうだし、と軽い気持ちで声を掛けたにも関わらず、気付けば深入りの海底。心の奥で聴こえるノイズは何かを伝えようとしている。二人を目撃した喰種を始末して、匿って、そして最後、ひとりぼっちになったコまで託されて、なんでだろう?あの女のコ好みだったからかな?ザクザクとナイフを入れる中で思い出したのはあの日の事。フードが降ろされるあの瞬間。鮮明に覚えている。まるで心的外傷の様に。

好みなどという言葉で片付けては軽すぎるその感情の名を、ウタはまだ知らない。面倒な事を買って出てまでも側に置いておこう、そう辿り着いた思考の意味を、ウタはまだ知らない。可哀想な程の美しさだと目に留めた白い手に、雨粒滑る赤い糸が絡まっていたというのに。ザラついたノイズは落とされた恋を叫ぶ。深層心理の海、雁字搦めになるまで気付けないと知っていても。

握り潰した骨の粉を肉に落とし、雪化粧をされた肉の山を持って立ち上がる。長きに渡る血統管理の末産まれてきたD66、ビビ。彼女の元へ向かう金髪の雄を、見つめる事しか出来ない配合理論書。一滴の狂いも無く重ねられた蒼の血を穢さないでくれ。声を張り上げる様にはらりと頁が捲れた。


花の蒔いた種が恋の土を押し上げる。あの男の元へ残した事、この選択は間違っていなかったのだと、いつか蒼い海へ放られる手向けの花が届けてくれるだろう。泡すらたてずに沈む、優しいガーベラが。


ビビ。しあわせ、なる?

ええ。なれるわ、きっと。

花。しあわせ、なる?

幸せよ。私は幸せ。…今までありがとう、どうか幸せで



最も勇敢なガーベラ



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