くちゃり。くちゃり。
両手で押さえたお肉を頬張るビビと、その様子をずっと眺めるウタ。少しずつ少しずつ削られていくお肉はまだまだ大きな塊として存在感を主張している。ウタがずっと眺めているのは面白さ半分、見張り半分だ。

ビビは知らない事だらけで反応を見るのがとても面白い。施設で繰り返された会話しか理解出来ず、日常会話すら危うい。水を渡した時は“さむい”と返ってきたし、雨の音に耳を澄ませては首を傾げる。おそらくは、体を冷やす冷たい水を飲んだ事もなければ雨の音が届く様な場所にもいなかったのだろう。

薄い血に濡れる毛先を耳にかけてやりながらその口元を覗き込むと、つんとした上唇が肉を滑る。肉の形こそ違えどまるで口淫をしているようで、肉を押さえる手元を強く押してやった。

「ちゃんと食べてる?お肉。…減ってないけど」

「、うん。」

悪戯されているなんて考えもしない様で、丸く削ぎ落とされた肉を咥え直している。ちまちま噛みちぎってはやっとの事で飲み込んで、また咥え直す。ビビの食事がこうも遅い訳は、単にお腹がいっぱいというだけ。もう食べたくなくて上手く喉を通らない。

でも、お皿のお肉を食べ切らなければ花に会えないから。どうにか少しでも減らさなくてはとその肉を食む。

“花さんね、このお皿が綺麗になるまで帰ってこないってさ”

“これ、全部、食べる、花さん。わかる?”

これを食べたら、花に会える。

「美味しい?」

「うん。」

それ、花さんの肉だけど。
声にこそ出さないが、内緒の真実に上がる口角を隠しもしないで鼻で笑う。友の肉と知りもしないでひたすらに飲み下すビビ。友に会いたいが為に。その友の肉を。

無知を見ているのは本当に面白い。まだ先になりそうな種明かし、急かす様にもう一度肉を掴む手を揺らした。飲み込む瞬間だったのか、けほけほと小さく咳き込む様子がやはりアレをしている様でそそる。この子の唇好きだなぁと頬に手を添え唇をなぞっても、なんの抵抗もない。

今ここで口付けたって、きっと同じ。ビビには唇の戯れがどういう事かなどわかりはしないのだから。

「ねぇビビちゃん、美味しい?」

「うん。」

「美味しいって言って?」

「おいし。」

ウタの指を乗せたまま動く柔らかい唇。絶えず与えられる食事に荒れを知らず、媚びるような艶は黒く彩った爪に暗く映えた。黒魔術書しか手にした事がない様な暗く暗い魔女の手が、林檎を掴んだのなら。きっと、こんな絵になる。可哀想な美しさ。痛め付けて、喰らい付きたい程。

食事の邪魔をするのは依然として唇に当てがわれている指。ビビはその手首をなんとはなしに掴んで軽く身を引いた。濁ってしまった血液は糸を繋ぐ。指先と唇に架かる橋は酷く脆く、まるで誰かの為に散った誰かの様だった。

「花、」

「いないよ」

「おくすり。」

「薬?」

「うん。」

金髪が首を傾げる。花から薬を飲ませろとは言われていない。ウタの手首を放してまた肉を食み始めるビビからはもう言葉が拾えず、とりあえずビビの言葉をメモに残した。ビビ語を解読する為に用意したメモだが、まだ謎が多い。寒いは冷たい。その程度しかわかっていない。

時折顔を上げては扉を見やり、すんすんと鼻を利かすビビ。花が居なくなってからこの仕草をする様になった。誰かを探す為に鼻を利かす、この無知にもきちんと喰種の本能がある事をはたしてあの研究資料には記してあるのだろうか。繁殖に必要のない情報でも。すんすん、小さく尖った鼻がまた探る。

手に持ってるよ。そこに居るよ。待ってても帰ってこないよ。

ビビはどんな匂いを探しているのだろう。白衣の匂い?髪の匂い?本人を目の前にしても気付けないのは稀に見るバカ鼻だ。もしもウタであれば、手に持つ肉が花だと気付ける。嗅ぎ分けるだけの能力は今まで生きてきた中で培ってきたから。それが当たり前であり、それが喰種だ。

可哀想な事にゼリーの様に固まりつつあるネトついた血液は花の全て。すんすん、寂しがる鼻。気付いてもらえなくても。

「花さん、帰ってくるといいね」

「花、なに?」

「かえって、くると、いいね」

「?」

「んー。伝わんないな」

ぱちりぱちり、不思議そうに瞬くビビと面倒くさそうにボールペンを弄ぶウタ。カチカチと鳴らされるボールペンに首を傾げてまた目を瞬く。部屋の何処かで聞こえる、不思議な何かの音に似ていた。カチカチカチ。

右へ左へ揺らすボールペンを視線が追い、鼻先にコツンと当てられたペン先をウタの焦がれた唇が遠慮がちにあむ、と捕まえる。唇を離し、ペン先を見つめ、首を傾げる。その姿はただ本能で捕まえましたと語る様で、大して役に立たない鼻を利かす仕草といいこうした小さな狩りを思わせる仕草といい、雑種らしくまだ中途半端な喰種の本能。全ては無知故の。

ふい、ペンから視線を逸らし肉へ移った興味。小さく開いた唇が肉を捕らえる前にその手を叩いてやると、忽ち肉は膝に落ちる。ぽとり、と。こういう所が中途半端だ。野性味に欠ける。これではすぐに横取りをされてしまう事を、何もわかっていない。

特に怒るでもなくまた肉を包む両手。唇が触れる前に、また叩き落とす。ぱしん、と弾ける音はやや大きく、萎縮をする様に恐々と瞬いたビビはやはり何も言わず再度花の肉を拾った。また痛いことされるかなと小さく震える指先は臆病だ。喰種の血が入っているくせに。ちょっと叩かれただけで震えて。

「…かわいい」

様子を窺う様にゆっくりと肉を食む弱虫。くちゃり。くちゃり。

眺めれば眺める程、どうしようもなく苛めたくなる。悲しそうな顔を見る度、寂しそうな顔を見る度、ずくりと疼く胸は次の瞬間こそ花弁でも溢れてきそうだ。弱さを隠そうともしない弱虫だから、弄ばれる。嘘吐きな蜘蛛に。心の痛みに疎い、悪い男に。

ビビにとっての痛いこと、怖いこと、悲しいこと。ウタは全てを持っているだろう。だがビビは

それでもいいから、花に会いたかった。

それでもいいから。


心的外傷の受精卵


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -