お皿は空になった。花は帰ってこない。

“ここから出なければ好きにしていいよ”

1階へ続く階段に近付いた時、窓に近付いた時、上へ繋がる階段に近付いた時、ビビは必ず体を引き倒される。腕を引かれて、冷たい床へ。部屋から部屋へ移るには何もされない。ビビは体で以て言葉の意味を理解した。

ウタが帰ってくる度に花の姿を探すが、期待は裏切られるばかり。また今日もこうしてひとり待つ。ビビはただ寂しい。

「…。」

花が帰って来ない今、ウタが居ないとビビは本当にひとりだ。ビビが家から出ないと知ったウタはとても忙しくしている。下で誰かとお話をしたり、お出掛けをしたり。ビビの顔を見に帰ってくるか、稀に睡眠をとりに帰ってくるか、その程度しか此処には居ない。少しビビで遊んでは、また出掛けていく。

何かひとつでもいいから花の事を教えてほしい。伝える言葉がないビビは鼻を利かす事しか出来ない。覗き込んだお皿はいつも空っぽだから、花は帰ってきてくれる筈なのに。

かちゃり、扉の開く音がして顔を上げる。大きなベッドから降りてよたよたと辿り着いた扉、重々しく開くとまずウタの姿が見えた。所々に怪我をしている。いつもと同じ。ウタの後ろ、周り、今自分が出て来た寝室、丁寧に見回しても花は居ない。花は居ない。

「今日もお出迎え?えらいね」

「花、おくすり?」

「お薬じゃないよ」

花、お薬? お薬じゃないよ
花、帰ってきた? 帰ってきてないよ

ビビの中では お薬の時間=花が来る時間。いつもビビに薬を打っていたのは花だから。幾度目かの会話でビビが腕の静脈を指差し、それによってなんとなく気付けたウタはただ同じ会話を繰り返す。

――花、お薬打ちにくる? お薬の時間じゃないよ

「…ねぇ、おかえりって言って?」

「?」

「お、か、え、り。…言って?」

「おかえり?」

「うん、ただいま」

「…ただいま?」首を傾げたビビは相変わらずウタの心を擽る容姿をしている。細い顎を掴んでその瞳を見下ろすと、反る首が辛いとウタの手を掴んだ。その手を振り払って再度顎を掬い上げると、もう抵抗はない。乱暴に払われた手は胸の前で組まれ、ビビの姿を一層頼りなさげにしている。

「………初めはさ」

「?」

「乱暴にするつもりなんて、なかったんだけど…」

なんでかな。君って不思議。

突き離す様に胸元を押されたビビはよろめいて倒れ込む。糸が絡まった様に縺れる足元は哀れで、ひとりでは何も出来ないビビそのもの。冷えた部屋でも空調を入れる知恵すらない無知は、その容姿と血だけが取り柄だ。他には何もない。まともに話せやしないし、気も利かないし、弱虫。

床と擦れてじんわりと痛む手は冷たく、悴んで動かしにくい。幾度も繰り返す床との接触で、ベルの様に広がっていた袖も擦り切れてしまった。ウタの部屋で見つけた針と糸、何度縫い合わせても追い付かない。それでもまた、針と糸を借りなければ。

空調を入れたウタが輪っかを手にして戻って来るのを、未だにぺたりと座り込むビビが見つめる。目線を合わせる様にしゃがんだウタの指先で、くるりと回される輪っかがビビの鼻先を掠った。光沢の弱い鈍い黒。

「?」

ビビの首元へ当てがわれる輪っかはカチリと錠がかけられ、小さな鍵がウタの指先に引っかかっている。首に残る感覚、なんとなく感じる息苦しさ。

「足枷してるならって、首輪も作ってみたんだ。…うん、似合う。すっごくかわいい」

「…、」

不安そうにウタを窺ったビビが首と革の間に指を差し入れようとする。決して外そうとしたわけではない。ただ息苦しくて、この圧迫が嫌で。しかし、やはりその手は払われる。無言の咎めとして。

重々しく垂れた首のDリングに指を引っ掛けたウタが、無遠慮に引っ張った。引き擦る様に手繰り寄せたビビを、抱き止めもせずに覗き込んだ瞳。恐々と伏せられた銀色に遮られる。リングをもう一度強く引くと、震えて持ち上がる睫毛から綺麗な瞳が覗いた。ずくりと疼く胸。

ウタの手を掴もうとしたビビの手は戸惑って下ろされ、冷たい床へと戻る。ただ大人しい服従。たとえ痛い事をされても。花に会いたいと咽ぶ心は肉体の傷より何倍も苦しいから。

「でも、何か足りないなあ」

「っ、」

逆らう勇気をみせない弱虫の手を一瞥したウタは、指にリングを引っ掛けたまま立ち上がる。意思なく足を引き擦られる姿に、マリオネットみたいと笑ったウタはそのままソファへビビを投げた。

倒れ込んだビビの足を引っ張って長いワンピースの裾を捲る。足枷で擦れる皮膚は剥がれ、まるで肉を得たばかりの球体関節人形だ。何度見ても飽きないこの美しさ。可哀想な程の、美しさ。ずっと見ていたいから足枷も外してやらない、包帯も巻いてやらない。じっと耐えるビビは弱虫だ。

「紫と、赤と、青と、」

「ぅ、…」

撫でる様に辿ったビビの体、大した抵抗もないが馬乗りになって抑え込む。襟を引き裂いて剥き出しになった胸元を親指で強く圧すると、忽ち血管が壊れ内出血が起こった。指を滑らせれば広がっていく色に、ウタは首を傾けて微笑む。まるで人間の様に脆い体は加工するのがとても簡単だ。

「あ。…血、」

「っ…、ふ」

「? 泣いてるの?かわいい」

力加減を間違って破れた皮膚から零れる血液。ゾクゾクする程甘い香りは舌を誘う。零れる涙はそのままに、赤い雫だけを舌先で掬った。まるで死斑の様に広がる痣は美しくて、舌に残る甘さは色をもって脊髄を撫でる。

「んー……したくなっちゃった」

「…、?」

「セックス。ねえ、してもいい?」

軽い調子で聞かれた言葉に首を傾げるビビは、やはり意味が理解出来ておらずただ大人しくするばかり。今から大嫌いな事をされるというのに。この世の何よりもこわい白を出されるというのに。

代わりの女の子を呼ぶのは面倒だし、とビビを軽く抱き上げ背凭れのクッションに追い込むウタは、舌で唇のリングを撫でる。痣だらけの肌が性欲を擽って仕方が無い。揺れる首のリングも、足首の鎖も。

ごめんね、花さん。思ってもいない謝罪を浮かべ、紫色の谷間を大きく舐め上げた。


出生外傷の結び目は


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