花はもう壊れたと告げた時。時計の針が止まったかの様に見開かれた海から蒼い雫が零れた。

ゴチソウサマをした肉塊こそが花だと告げた時。もうこの世に救いはないと諦めに雪の睫毛を伏せた。

曇ったガラスの向こう側、糸の切れた人形。御預けをくらっていたネタばらしは大成功。

お気に入りの作品は、失意のどん底に落ちたからこその美しさだった。





するすると雨粒の様に流れる涙。しかし、あれだけこわいこわいと言っていた唇はもう誰の名も呼ばず、嗚咽すら漏らさない。無音の生。静かな瞬きと弱虫の震えだけが脈打つビビの心臓を教える。

部屋を満たす甘ったるい香りのなんと赤いことか。蹴って、転がして、ビビが辿り着くのはいつも隅っこ。悲しいマスクを被った様に変わらない表情のまま一度ウタを見上げ、そして緩やかに瞬いて伏せた。

投げ出された足には施した覚えのないカスタムの跡。

「上手だね。自分で縫ったの?」

縫う仕草を見せて遊ぶその手に視線は向けられず、適当に、それこそうたた寝をする様な傾きでこくりと頷くだけの返事。切り離した筈の腱は綺麗に縫い合わされている。細かく、丁寧に。

痣だらけの皮膚を虐める様に引っ張って成された縫合は確かに綺麗だが、どこか満たされない。よく似合っているけれど、何かが違う。端から順に糸を解いていけばパックリと開いてしまう傷口も、綺麗だけどやはり何か違う。ガラスケースに飾られていた美しさに比べたらこんなもの。

うーん。
難しく唸って糸を引き抜く。何をしてもしっくりこなかった。

静かな涙、静かな震え、静かな瞬き。あまり痛みを感じていないような反応は痛覚のないお人形を傷つけている様でつまらない。今日はまだ出血も少なく綺麗なままの髪をもさりもさりと撫でてやると、ぱちり。ゆったりと上下した睫毛。少しだけ、ただ少しだけ心地が良さそうな瞬きに見えて、指の背で涙に濡れる頬をこしょこしょと撫でてやった。ずくり。

ゆっくりゆっくりと傾く首に擽る指が離れ、ビビの鼻先が寄せられる。

すん、 すん、
せっかく縫い合わせた糸を解かれたにも関わらず、憤るでもなくただ鷹揚に匂いを嗅ぐ小さな鼻頭。のろい動作で唇が開き、あ、む、っと甘噛みをされた。弱々しい戯れはすぐにポロリと指を零し、ゆっくりと顔を背ける。

再度その頬を擽っても、もう、興味を示してくれる事はなかった。ずくり。

涙で冷えた指先に、ただ蒼い虚しさが滲む。

「……ワンコみたい。忠犬なんとかさん。…誰だっけ」

花はもういないとわかっていても、言い付けをきちんと守りこの部屋にとどまる姿。誰かから聞いた駅前の犬によく似ていると思った。誰だっけ?投げた問い掛けは返ってこない。

もさり、もさり、そこらへんの犬へする様に再度ビビの頭を撫でた手は、同じ様にふかふかとした柔らかい髪に埋まる。薄暗い部屋で指に絡む紫掛かった灰色は、血統書が呼び戻した“Danzig”の色。もさもさと撫でられたまま、ふんにゃりと瞬き涙を落とす蒼い目もまた、度を超えたインブリードが齎した“Danzig”の色。

緩やかに見上げてきた瞳。ぼろりと雫が落ちる。

――何か加工を、と。
髪をよけて伸ばした手は何故か、何故かその睫毛にすら届かずに彷徨って彷徨ってビビの首を掴んだ。

いい加工法が思い浮かばない。何か手を施したくても、ビビに乗せるべき色がわからない。ビビに似合う何かがまだ、あるはずなのに。ガラスケースよりも、花弁の絨毯よりも。

頬を伝ってウタの手を撫でる生暖かい蒼の宝石。ずくり。

ビビに手を加えたい。何か思いつかないかなあと、その細い首に圧をかけた。

「ビビちゃん。おかえりって、言って?」

「、…。」

“お か え り”。小さく伝えてくれる唇。ビビの声は届かない。


ずくり。


知らず恋の糸切り


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