時間の経過と共に少しずつ少しずつ姿を消した打撲痕は多少なりともビビの肌に白さを戻し、ウタとの生活が変わりつつある事を示す。味見の噛み傷や下腹の怪我こそは真新しく肌にのせられているが、それでもビビの色合いは随分と変わった。

なにより映えるのは、足首に巻かれた思いやりの包帯が彩る清潔な白。転がされて隅っこに追いやられる事もなく、ちくちく縫った足が糸切りされる事もない。ただ体を交え、下腹の可能性を殺されるだけ。

ふたりの関係は、少しでも変わりつつある。





ソファの肘掛け部分にすっぽりと逃げ込んだビビは膝を抱いて丸くなり、ウタが距離を詰めると丸めたタオルケットでお腹を隠した。より一層小さくなる丸まりは、ビビが唯一見せる抵抗とは言えないような小さい意思表示。

察して身を引いてほしい。どうか手を出さないでほしい。

分かっていながらビビの頬へちょっかいを出すウタの手は、恐る恐るの力で噛み付かれてはまたちょっかいを出す。

昨晩、胎に受けた白。いつこの手がお腹へ向かうのかと警戒して寄せられる唇は、嫌という言葉を知らないビビがただひとつ伝えられる術。

「ヤなの?珍しいね、弱虫のくせに」

最近優しくしてるから、調子にのってるのかな。

少しおいて、それは違うかと気付く。今までは抵抗する間もなく子宮を壊していただけ。おはようの挨拶代わりに、乱暴に。同じ様にすればいいと分かってはいるけれど、どうにも気分が乗らなくて腹に手をやれない。もともとは妊娠を気にしているビビの為に行ったパフォーマンスな事を考えれば、本人がいいと言うのに無理にやる必要もないか、と乗らない気分に正当性をつけた。

とはいえ、気を紛らわそうと頬へ伸ばした手は噛み付かれるし、どうしようかなと唇を尖らせたウタは、ぐしゃぐしゃと丸められたタオルケットに巻き込まれているぬいぐるみに手を伸ばしてみる。

こわいウタの手がお腹にきた、そう怖がったビビが震えて縮こまる隙に引っ張り出したのは、いつだったかゲームセンターでとってきた枝豆のぬいぐるみ。中身の豆がひとつだけタオルケットの中に取り残されている。

「そんなに怯えないでよ、今日は何もしないから。…ねぇ、触ってもいい?」

枝豆をビビの目の前で振って雰囲気を和らげてから、もう片方の手で頭を撫でようとするが、やはり寄せられた唇は噛み付こうと薄く開く。手を引っ込めるとビビも抱いた膝に頬を乗せ、ふるふると震えながら枝豆のぬいぐるみに視線を移した。

どうにかして触りたい。なんでと聞かれたら分からないけれど、触りたい。セックスとか暴力とか、そういう触れ方ではなくてもっと別の───とにかく頭だけでもいいから撫でさせてほしい。

鼻先に近付けた枝豆のぬいぐるみ。顔を上げたビビが匂いを嗅ぐが、噛み付く様子はない。くんくん、緑色のへたを辿ってぬいぐるみを掴むウタの指先まで辿り着く。2、3度鼻先を擦り付けて、ビビはまた膝に頬を落ち着けた。

「ほら、何もしないよ?」

枝豆のぬいぐるみでビビの頭をもさもさ撫でる。ウタの手が触れない分、やはりこれだと抵抗されない。

もさり、もさり、
震えてはいるもののどこか心地良さそうに伏せられる瞼は徐々に警戒が解かれ、時折目を開けてウタの姿を確認してはまたゆったりと睫毛を伏せる。触られるのは怖がるのにウタの姿を確認して安心している様に思えて、どうにもビビの心中は諮り兼ねた。

ぽと、
撫でる最中にさり気なく落とされたぬいぐるみがソファで弾み、ウタの手がようやくビビの髪に触れる。気付いているのかいないのか、同じ調子で撫で続けるウタの手に対して反応する様子はなく、ただ小さく震えて大人しくするだけ。

何度もビビを傷付けてきたウタの手。こしょこしょ、頬を擽るといい加減に気が付いたらしいビビの睫毛が開くが、手に直接撫でられていると知ってもこれといった抵抗はなく、おずおずと甘えて頬が擦り寄せられる。

ほんの少しだけ、受け入れられた瞬間。唆される庇護欲。胸がむず痒い様な、変に息がしにくい様な、妙な気持ちになって緩い空咳が生まれた。不思議と不快な咳ではない。

なんだろう、もうちょっと。…もうちょっと遊びたい。

一度頭を撫でてから少し距離を離し、ぽんぽんとソファを叩く。隅っこに居ないで出ておいで、そのお誘いをなんとなく理解したのか、のそのそ膝を崩したビビ。踏み出すほどの勇気はないらしく、丸まったタオルケットを取り残された豆ごとゴワゴワと揉み、視線を彷徨わし、そして恐る恐る手を伸ばした。おそらくは、ふたりの間に落ちているぬいぐるみを拾おうと。

「おいで、こっち」

その手を捕まえて、弱い力で引く。驚いて強張る体は少しの警戒を見せるが、無理に引き擦る事はせずにクイクイ促してやると震える体の力を少しだけ抜くのがわかった。恐怖を与えないように指を絡めて、枝豆のぬいぐるみを自らのすぐ側まで引き寄せる。

怖がらせない様に、とはいうけれど。ウタへの恐怖心はもうビビの芯にまで染み付いている事だろう。いくらビビが柔らかく瞬く様になったからといって、その恐怖は今更どうにかなる問題ではないと血で汚れたタオルケットが体現している。それでも尚、怖がらせない様にと。

ただ触れたい、遊びと称された本音に気付かない。

「…。」

「いや?」

おいで、と身を乗り出すウタの手元にあるぬいぐるみ。誘き出す餌。

ビビが身じろいで、引かれる手に従った。

「、」

「うん。おいで」

火に飛び込むかのように強まった震え。意を決してビビは、自分からウタの元へと身を寄せる。

餌のぬいぐるみ───には見向きもせず潜り込んだウタの胸元。足の間にすっぽりと入り、その胸にぺたりと頬をくっ付ける。

「、」

あれ?少し、予想外。餌で釣ったつもりだったのに。まさかぬいぐるみを捨て置いて潜り込んでくるとは思わなかった。面食らって素通りされたぬいぐるみを見つめるウタの胸元で相も変わらず震えるビビは、もう何をされても平気と受け入れる様にぎゅっと目を瞑りその時を待つ。

遠慮がちに擦り付けられる頬。華奢な首に嵌められたままの首輪が硬い音を立てて、お気に入りのタオルケットもぬいぐるみも全て置き去りにしたビビの手がレザーのジャケットを柔く握った。

いつもずくずくと残酷な高揚を急かす胸は、なんだか聞いた事もないような鼓動で疼く。愛しい。本当に、本当に聞いたこともなくて、次の瞬間こそ花弁でも溢れてきそう。とても温かい。

「これ…ってさ、抱きしめてもいいの?ビビちゃん」

少し遊んでいただけなのに、変な暖色で鐘を打つ鼓動。くっ付けられた頬に胸がじんわりと温かくなり、まるでここに太陽があるみたい。

戸惑う腕が彷徨い、ややして閉じ込める様にビビを抱き締めた。零れてやまない変な感情。強まる腕の檻。ビビが震えているのか、抱き締める腕が震えているのか、もう、よくわからない。ただ、温かかった。ただそれだけ。


腕の中、すんすん。鼻を効かせたビビは安心したように呼吸をつく。

タオルケットと同じ匂い。今日は痛いことをしない優しいウタ。

花のいない世界、唯一残された安心がここにある。

弱虫の震えはいなくなった。


リマとストックホルム


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