明るい地上を目指した灰色の手を引いて、蒼い海に引きずり込んだ。たくさんの言葉が墓標代わりに沈む、海床に。

早くおいでと気泡を揺らす宝箱の横へ一足早く落ちてくる小さな鍵。ざわつく言葉達に出来るのはふたりを待つ事だけ。

恋の道連れも、そう悪くはないもの。

お呼び出しの気泡が灰色の頬を撫でて、揺れる蒼白い空へと消えていった。





こう捉えるには都合が良すぎるけれど、でも。

寂しかったのかなぁ。と思う。

ビビを手元に連れ戻し、改めて見回した部屋。ワードローブから引っ張り出されたウタの洋服達はベッドの上でこんもりと山になっており、ビビの薄い匂いがほんのりと移っていた。それほどの間この山に寄り添っていたという事。ウタの匂いがする服の山へ。

呑気にお昼寝でもしているだろうとばかり考えていたが、そう穏やかな時間を過ごしていたワケでもないようで。山に点々と残る赤い染み。カピカピに乾いているため鼻を近付けなければ匂いを確認する事ができないそれは、間違いなくビビの血液だ。千切れた肉片もあちこちに落ちている。

ウタの中で繋がる点があった。泥んこになった体を洗ってあげようと服を引き剥がした時、手首の背から甲にかけて不自然に食い千切られた傷を見つけたから。「誰にやられたの?」何度聞いてもビビには言葉が分からず、泡だらけになりながらフラフラと首を傾げるばかり。

だからこの肉片をみて、ああ自分で噛んだんだとすぐに感づいた。この部屋へ入った奴がいるとの報告は受けていないし、肉片の水分が飛んでいる様子からみて見張りの目がなくなった少しの間に行われたモノとするのも難しい。もっと前から放置されていたはず。

肉を吐き出しているのならお腹が減っていたわけではない、それならば───寂しさ故の自傷しか思いつかなかった。最低な事を考える様だけれど、そうだったらいいなという気持ちが胸の中心にある。少しでも寂しいと感じてくれたら、一緒にいる理由にも出来るから。

その考えを助長させる様に、心の赴くまま自分勝手に連れ帰ったビビは嫌がる様子もなく大人しくしている。変に赤らんだ頬と、うつらうつらする目々に脱走の意思はない。目を離さずにいるからいい子にしているだけかもしれないけれど、無知がそこまで考えるとは思えずに余計な勘繰りは心の外へと流した。


ベッドへ座らせたビビの足元へしゃがみ、足首の輪に触れる。労わる包帯の上に嵌められた鈍色の足枷は、施設に居た頃から共にある拘束だ。逃がしたくない心理が働いてずっと壊せずにいたけれど、

「コレも壊さないとなあ。気分わるいし…」

よいしょ。簡単そうに引き千切られる枷。もちろん皮膚に傷がつかない様に配慮して。貧弱な人間でさえ鍛錬によっては鉄の棒を捻じ曲げる事ができるのだから、そう分厚いわけでもない足枷など喰種からしたら玩具同然だろう。

「…?」

「?」

カラン、と冷たく落ちた足枷の破片から、赤い赤い宝石の粒が転がった。

なんだろう?二人して首を傾げ、顔を見合わせる。ぱち、ぱち、同時に瞬いて、もう一度視線をその石へと。薄暗い影でボヤけるどす黒さが、そこかしこに散らばるビビの肉片によく似ている。

ウタが指先で摘む石は、石榴石。赤い赤い拘束のガーネット。

「…いい趣味してるね。こんな石埋め込むなんてさ」

モノ作りを楽しむウタには当然石の知識があり、これがどういう意味を示すかも知っている。一族の血の結束。ねっとりとした深紅の石が持つこの意味は、枷と共にずっとずっとビビを拘束していたわけだ。施設から逃れた今でさえ、尚もその血を忘れるなと。

これからウタと過ごす中で、ビビの血そのものには何の価値もなくなってしまう。研究は途切れ、そしてウタには血に対する興味が一切ないから。

ビビをどうこうしようというわけではなく、ただ一緒にいられたらそれでいい。利用するつもりなんて少しもない。過ごす日々の中で、幸せに向かって歩む姿をただ眺めていられたら。そう、ビビを大事に思う輪の中でくすむガーネットは、やはりカピカピに乾いた血の一滴に酷似していた。

「、」

蒼い瞳でぼーっとガーネットを見つめていたビビがウタの頬へと手を伸ばす。さすさす、怠そうに優しく撫でてから指先でなぞる下瞼。ゆっくりと瞬くビビの目は今にも寝てしまいそうで、ふうふう聞こえる緩い呼吸は過換気になる心配もない。

けれど、

「…なんか熱くない?ビビちゃんの手。どうしたの?調子悪い?」

赤い頬もおっとりな呼吸も可愛いなあと思うだけで気にもしなかったが、頬に触れる手がやけに熱い。誰かに世話を焼いた事なんてないウタはここに来てやっと気付き、なんとなく持っていた知識に従ってビビの額に手を当てる。

ウタが摘まんだままのガーネットを欲しがるビビを制して計る熱は、基準がよく分からないがかなり熱い、ように思う。石をそこら辺へ置いてから自分の額と計り比べてみると瞭然で、大変だどうしようとビビの両頬を包んだ。試しにくっ付けてみた鼻先までもが熱い。おそらくは、唇も。

「…熱があるよビビちゃん。つらい?こういう時って、どーするんだっけ。冷やせばいいの?エアコンつける?」

待って、その前に寝かせないと。ひょいっと抱き上げたビビをころんと転がし、邪魔な服の山を下へと落とす。嫌がって数着捕まえるビビをそのままに、ウタはもう一度額に手を当てた。

看病って何をすればいいのか分からない。映画やドラマで見るようなアレは人間に限ったお話で参考にもならず、服を抱いて寝転がるビビの額にずっと手を当て続ける。

あとは何をしていたっけ。怪我とは違うから包帯は使わないし、薬をもらうにもまずは信頼出来る医者を探さなければならないし。

分からないモノは分からない、こうして居ても時間のムダ。とりあえずイトリにでも聞いてみようと額から手を離した。

待っててね。そう声を掛け、携帯を取りに行く為にビビへ背中を向けたが、

すんすん、

犬のように寂しがる小さいお鼻。

後ろを振り返るともの言いたげなビビがジ、と見つめていて、もしかして寂しがってる?そう思えてほわっとなった。正直嬉しい。とはいえ、事態はそれどころではないけれど。

もう一歩ベッドから離れると、

すん、

やはりウタを呼ぶ。すぐそばにある携帯へと手を伸ばした所で、我慢のきかなくなったビビがウタを追おうとのそのそ身を起こした。パッと掴む携帯。なんとか連絡手段を手に入れ、ビビの元へ。

「いるよ。大丈夫。ほら、一緒に寝よ?」

すんすんとべそをかくビビをもう一度寝かせて隣に寝転がると、ぎゅっと掴んで引っ張られるカットソーの襟。安心するのか掴んだ服を口元に持っていくビビは、ふうと柔い一息をついて緩く目を伏せた。

ウタとしてはなんだか、なんとなく、気恥ずかしい。一緒に寝ようなんて言ったのは自分なのに。もぞもぞビビとの距離を詰めて頭を撫でると、もっとくっ付きたい気持ちばかりが心に溢れた。ビビの為イトリに連絡しなくちゃならないのに、つくづく自分勝手だと認めながらビビを胸に抱く。

すりすりと頬を寄せた額はやはり熱くて可哀想だけれど、今なら自分の頬も負けないくらいに熱いのではないかと張り合える程にはどきどきしている。眠そうにかみかみと襟を噛み始めたビビを寝かしつけるようにポン、ポン、と背中を撫でると、ぞわぞわ膨らむ蒼い幸せにやはり手放さなくてよかったと思考も心も全てが頷いた。

ビビと一緒に居られるなら、他に何を捨てたっていいと思える。他に、何を捨てたって。手元にビビが残るなら、それ以上価値のあるモノなんてありはしないから。恋に恋をしただけの安っぽい感情でも、今まさに胸の内に灯っているウタにとっては、それしかない。安っぽく、また、いつかの未来から眺めてみれば一時の気の迷いだったとしても。

頭の中で思い描くのはビビと一緒の生活プラン。今までの様にフラフラしてはいられないけれど、その代わりに温かいビビがいる。

すんすん鳴く灰色をひとりぼっちにさせないように。どんな関係であれずっと近しい存在で居られるように。

恋人でもなんでもないけれど、ただ触れたいからというワガママで、寝入って大人しくなった唇へと内緒のおやすみを伝えた。


涙ヶ原と方舟




あ。もしもしイトリさん?
あのさ、カンビョーってどうやったらいいの?ビビちゃんが風邪ひいちゃったみたいなんだよね。

うん。それはもうやったよ。熱そうだし、とりあえずエアコンつけた。16度。
ダメなの?じゃあ“冷やす”ってなに?

…ピタ冷えろ?知らない。おでこに貼ればいいの?それだけ?へぇー。

とにかくさ、ぼくはビビちゃんと居なくちゃならないから。イトリさん買ってきて?ピタ冷えろ。

知らないよ、そんなの。
よろしくね。バイバイ。

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