暗く物静かなさざめきと、墨で化粧をした海の肌。

真下を覗いてみても遠くを眺めてみても、透明度など少しもない此処は海と聞いて思い描く蒼とは程遠く、ただ無愛想に波をうつ。ペットボトルやタバコのフィルムまで浮いていて汚い。都会に泣かされた純粋な海。

そんな墨の海も今この時より、ビビの大事な友人花の、ゆらゆら揺れる安寧の棺となる。

───綺麗な海じゃなくて悪いけど、ココがぼくたちに一番近い海だから…。ガマンしてよ。 ね、
離れ離れよりはマシでしょ?ビビちゃんの元気な姿だって見せてあげれるしさ。次はふたりで会いにくるよ、約束する。だから花さん、

またね、


透明な小瓶の中を滑る色は西園花の淡い骨粉。コルクの栓を抜いて傾ければサラサラと海へ落ち、どこまでも黒い都会の海にほんの少しだけの煌めきを乗せる。遺体を残せない立場の上に肉は友であるビビに捧げた為、西園花は灰にすらなれなかった。僅かな骨だけが納められる弔い。

冒した過ちに一つの謝罪もないけれど。

ぼくが守るから、この一言だけで優しい風は全てを赦した。


どうか幸せで。





脱走防止にと窓へ取り付けられた鉄格子、内側からは開けられない鍵。結局、ビビを閉じ込めるという形で道は進んでいる。だが、それは大事に思うが故の選択。軟禁と聞こえこそは悪いが、ウタはこれによって幾分かの安心を得られるし、ウタと一緒のビビは一人で外へ出る予定はない。少しずつ固まりつつある生活のスタイルは、共に生きていくため。

ビビを貰い受ける、その契約も兼ねて西園花の散骨も済ませてきた。鉄格子に比べればとても簡易で素っ気ないものではあったが、海の一部になれるなら文句もないはず。たとえゴミだらけの海だったとしても。

本当ならビビも連れて行くべきだったのかもしれないけれど、体調が芳しくない為に置いてきた。寂しがるからビビが寝ている内に、と弔いも手早く。

ちゃちゃっと手早く。

手早く、済ませたつもりだが。帰宅して開いた扉に押されて、ウタ待ちのビビがコロンと転がった。どうやらもう起きてしまっていたよう。

「あれ。バレちゃった」

ブランケットでもこもこのそれが怠そうに身を起こし、すんすんとベソをかいたが、追って零れ落ちる大粒の涙は寂しさからか、それとも帰ってきてくれた安心からか分からない。しゃがんだウタへとぐいぐい引っ付いて、涙でびたびたの頬を擦り寄せた。

やはりまだ熱はあるらしく、滑る涙まで温い。後ろ髪を撫でてやりながら覗き込むとおでこに貼っていたはずのピタ冷えろがなく、うーんと視線を斜め上に上げる。どこやっちゃったんだろう?

浮かぶのはビビがブランケットにおでこをぐりぐりしている姿。頬擦りさせてとしつこく身を寄せるビビを好きにさせてブランケットをかき分けると、あった。くしゃっとしたピタ冷えろ。

やっぱりなと鼻で笑ってはみたけれど。あまり褒められたものではなく、熱がある以上はもう一度貼らないといけない。悪化したら大変だとイトリは言っていたし、早く元気になってほしい。またベッドへ寝かせるためとりあえずビビにくしゃくしゃを握らせ、ブランケットで包んでから抱き上げようとする、と。

「うた、」

ずっと聞いていなかったビビの声が、聞こえた。

「…?」

今のって?遅れる理解にぱちぱちと瞬く。

ビビはお喋りができないはず。だって、声が出ないから。虐めて虐めて虐め抜いた所為で、ビビの声はもういない。それなのに。何か聞こえた気がする。名前を呼ばれた気がする。

涙で張り付く髪をよけてやりその頬に手を当てると、ビビの唇が言いにくそうにむにむにと照れた。

緩く開く唇。

もしかしてほんとうに、

「うた。…おかえ、り。」


ほんとうに、

ビビの唇は紡いでいた。おかえり。ウタが教えた言葉。いつかビビの声で聞きたいとは思っていたけれど、でも。期待はしていなかった。まだ望める立場ではなかったから。

面食らった様に屡叩くウタから“ただいま”が聞こえてこず、首を傾げたビビは不安そうに肩を竦めてブランケットに包まる。脱走の日はウタと共に帰宅した為、おかえりは言えていない。お留守番の間、何度も声に出して練習したそれ。久しぶりに伝えた事になるけれど、何か間違えたのだろうか。

頭の中で一文字ずつをしっかり思い出して、もう一度唇を開いた。

「…おかえり?」

たった4文字。ビビが待っていてくれた、その証拠。やっと湧いてきた実感はウタにとってなんだか、とても、照れくさい。

無意識の内にツン、と尖った唇が照れ隠しをして、

「……ん。ただいま」

やっと言葉を返せた。狂った調子を誤魔化す為にぎゅうっと抱き締めると、色んな意味で温かい。熱い。部屋の入口で、少しも味気のない場所なのに。冗談抜きに自分まで熱があるのかもしれない、ピタ冷えろを貼るべきだろうかとゴチャつく頭を一度静かにさせて、ふう。緩い緩い溜息をついた。

おかえり、ただいま、繋がった言葉に安堵して頷いたビビは、ウタの腕の中でベタベタにくっ付くピタ冷えろを元に戻そうとしている。

目を合わせにくくて、恥ずかしくて、もぞもぞと動くビビをこっそり覗き込むとなんとか引き伸ばしたピタ冷えろをもう一度おでこに貼っており、ぺらりと剥がれてしまう端っこを手で押さえながら何とも言えない顔でウタを見上げた。ゆっくり外す手を追っておでこから離れるピタ冷えろ。

ほんのり照れた頬のまま眺めるウタにとっては羨ましいほど呑気に見えて、粘着の弱くなったピタ冷えろを親指で何度もなぞってあげた。そのまま柔らかい髪を梳いてあげると心地よさそうに擦り寄ってくるものだから、行動だけではなくてビビの声で表してほしいと願ってしまう。

へっくし。
気の抜けるくしゃみすら愛しく思える、つらいほどの温かさ。

「ビビちゃんはズルいね。…いつからお喋りできたの?」

施設では聞いたことのない言葉。当然、ビビには理解出来ずに目を瞬いた。そう口数が多いわけでもないビビはあまりお喋りをせず、こうしてウタが問い掛けても答えが返ってくる事は中々ない。頷いたり首を傾げたり、行動で示す場合がほとんど。

今もおでこを押さえたままウタを見上げ、なんて言ったの?問い掛ける様にゆっくりと瞬いている。目は口ほどに物を言う、それを体現した女の子だと思う。

ほら、やっぱりズルい。一言として落としてくれない唇はつん、と噤んでいて、もういっそ塞いでしまおうかと指の腹でぷにぷに押した。ビビが何も知らない事をいいコトに、隙をついて数度味わったこの唇。

今だって、しようと思えば容易に奪える。抵抗だってされないだろうし、その頬を支えて唇を寄せるだけ。でも、しない。今はしない。ビビの声が聞きたいから。

言ってもらいたい言葉がたくさんある。言わせたい言葉だって、たくさんある。


もっとお話したいな。ウタの気持ちへ応えるように、へっくし。

ビビのくしゃみが胸に押し付けられた。


葬送師と重瞳


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