※ちょっとしたロリコンが登場致します。お話の大半はロリコンとウタさんの他人行儀なやり取りです。








「ほしかったな〜あおい目の小瓶」
「よく考えるとここに来てまで土地買った意味ってない気がする」
「呪いの椅子って座っちゃまずいの?」
「寝てた」
「次もあるといいね」
「あれ?“喰種と繋がれる権利”は?」
「アングラだなぁ」

オークショニアが黙し、半ば意地でもあった数字の競り合いを粛々と終えた会場は、各々の余韻を湛えながら去る足並みをなんの感慨もないただの雑音として内包している。

人身売買までは取り扱っていないものの、人間でありながら人様の目を盗むオークションには道徳に反する品が多く照らされていたが、それこそを目的として来場した者達は挙って数字を掲げ、用紙に這う落札者のサインにはインクに溶ける悦が滲んでいた。束の中には当然、フラっと遊びに訪れたウタの、何方かに擬態した双子の筆跡もあった。

そうした埃臭い足音から階を2つ3つ隔てた静かなフロアに、ビビは居る。

「ウタ。」

しかし、もにゃ、としたいつもの呼びかけに答えてくれる夕凪の声がない。振り向いたビビの眼前には枝分かれした通路が広がるだけで、そばに居なくてはならないウタの姿がどこにもないのだ。来場者の靴か、宝石か、何かを煌めかせようと企む照明が壁とカーベットを心細く照らす。フードを持ち上げる事で広がった視界は突き当りに飾られている花瓶と絵画を捉えたが、誰もいないのでは足並みに浮く埃すらなく、一時停止した画面の鮮やかさで広がる色にウタの姿を探すビビがジ、と目目の瞳孔を絞った。

「…………。………ウタ、」

もう一度、今度は少しだけ大きな声で呼ぶ。

「ウー。」

返事はない。

声もなければ動く影すらなくて、秒針の進みも疑う程の違和感は朽ちる末を持たぬ花弁のよう。たった今自分が本当に声を発し、本当に最愛の名を呼んだのかも定かではなくなり、そうする内に花瓶や絵画がやけに独立したものとして認識され始めてしまう。

なんだか、眼前に広がる風景が違う気がする。足元を辿ると花瓶に突き当たって、絵画があって――それは先まであった色と同じ筈なのに、どうにも個々がバラけて見え、こんな風景だったっけ?と疑問を縫ってしまうのだ。ウタが居ないと眼前の現実さえ不安定な絵の具で自信を持てない。

「、」

悪戯っ子であるウタの事だから、どうせ吃驚させるため曲がり角で息を潜めているのだろうと思っても、ひやんと耳を刺す静寂の冷たさは警戒と心細さへ直結し、もじもじと所在なさげに裾を弄るビビの肩が小さく縮こまった。突如として僅かな機械音が唸りを伝えるが、曲がり角を幾つか冒険した先の至りなどここからでは確認できず、寂しさの胎内に恐怖を孕んだ目目の瞳孔が哀れに開く。

「…いないになった。」

“あなたが‘居なくなった’のよ”、そう教えてくれる口はない。




ウタが規定に従いサインを走らせている隙に毛玉が脱走を成し遂げたのは、今から5分も経たない秒針である。

本人としては悪い子をする気などなかったのだろうが、警備として配置されていた犬が全力疾走する姿を見て興味がそそられたらしく、それまでいい子でウタの裾を握っていたビビは短い尾を追いかけてあっさり去ってしまった。制止の声も聞かないままトコトコと運ぶ足は不安定によろける瞬間こそあれどそれなりに歩けていたが、少し足が立つ様になったらすぐこれだ、という呆れ混じりの心配は隠せない。

エレベーターの中で止まった犬を転ぶ形で捕まえ、ぎゅうと抱いたまま“?”といった様子でウタを振り向いた瞬間、扉は瞼を閉じた。そうして、搭乗していた何方かの指先により毛玉は迷子に至る。


お迎え人のウタは現在、ビビが運ばれた階にて鼻を利かせていた。左は行き止まりで花瓶と絵画がある。毛玉の居場所はスマートフォンのマップが教えてくれるからいいとしても、面倒くさそうな臭いがするなあというのが素直な気持ちだ。無音の照明に漂うのは顔見知りの匂いではない。

「…、」

連絡のつかないそれを下ろし、幾つ目かの角を曲がったところで擦れ違った犬は、ビビを誘惑して誑し込んだあの間男だろう。抜けても然したる弊害がなさそうな短毛は艶があり、体躯には断耳と断尾が施されている。精鍛な顔付きにそぐわず陽気に駆けていく様子は恐らく警備犬としての職務を放棄中なのだろうが、危険人物がいれば自らの命をゴミとして人間様を護らなくてはならない事を考えたなら、サボりにより一時でも死と痛みから遠ざかっている今は警備犬にとって最も平穏な時間といえた。

あの犬が自由に走り回っているという事は、どうやらビビは振り切られてしまったらしい。元気な後姿を何とはなしに見送り、ウタは噤んでいた足を進める。

そうして辿り着いた最後の角を曲がれば、隅っこの隅っこで小さく蹲っているビビの姿が見えた。絵画に収められた人物を認識する程度の時間差で、鼻につく臭いの正体を知る。

「ウタとこ…おうちかえして…。」

「もちろんだとも。ああもちろんだとも。私が責任をもって送ろう、何も怖いものはないよ」

面倒な人物は目線を合わせてしゃがんでおり、それは一見して迷子を保護する立派な姿にも見えるのだが、フードをぎゅっと押さえるビビの手を掴む様子からは些かの強引さが窺え、臆病な毛玉の臆病な震えをなお一層煽っているようだった。

容貌を隠しているビビは、基本的には人の目をひかない。いや、フードを被っていて怪しいという点では訝しげな目を頂く渡りも多いのだが、例えば容貌の良し悪しによって声をかけるか否かを決める不埒な輩からは全く相手にされず、従って、遊び相手の女の子として誘われる事は殆どない。

しかし、邪な目をビビへ向ける者も、いないとはいえないのが汚らしい事実だ。そういった外道は子供と大差ない体躯の小ささを判断基準に置いており、世の彼らが全てそうであると決めつけるわけではないと前述した上で枠を暴けば、外道の中身は人々から眉を顰められがちな“ロリータコンプレックス”と呼ばれる性的嗜好の持ち主である。

「よい子にはもうひとつ飴をあげようね。さ、可愛いお顔を私に見せてごらん」

ウタが首を傾げて見つめる眼前、ビビの立たない足を穏やかな声で促し、あまつさえフードの秘密を知ろうとする男。ビビのお腹がくぅ、と鳴る。人間だ。見た目からして40代だろうか、50代だろうか。スーツには皺ひとつなく、白髪交じりの黒髪からは年を召した時計による気品さえ感じた。両者ともお迎え人の存在には気付いていないらしい。ウタは静かな溜息と共に黙していた足を進め、男性のすぐそばへ同じようにしゃがみ込む。

「なにしてるの?“蓮”が怖がってる…放してあげて」

「――!」

静かな声だった。人形の瞬きのように、鼓動を諦める心臓のように。それでも、上下を運ぶ機械音の膜に鋭く刺さる穏やかさを持っている。

突如として現れたウタからひょい、と顔を覗き込まれた男は、ビビのフードに伸ばしていた手をピクリと引き戻し、それはそれは面食らった様子で目を屡叩いた。当然の反応だ、こんな装いの兄ちゃんに絡まれたなら誰だって身が竦むという話である。間を繕う仕草で自らの襟元を正す男は、しっかり握りしめた飴と共に大きな安心を滲ませるビビとは対照的な緊張を揺らせたのち、「……これは失礼、お連れのお方かな?」囚われの手を放して台本の挨拶を読んだ。休符を置かない内に、台詞の言葉は続く。

「いやね、お嬢さんが蹲っているので体調でも悪いのかと思いましてね。迷子を放置するようでは外道の極みでしょう。しかし…ああよかった。なにせ彼女、絶えず怯えておりましたからな。ああよかった、ああよかった」

溜息と共に落とす声は、大半の耳には深い安堵として届くのだろう。そそくさと立ち上がった男の足元をジ、と眺めたウタはひとつ瞬き、ふい、っと背ける。“厚意による保護”へ対してのお礼は言えなかった。台本片手の気品がまたもや間を置かずして、矢継ぎ早な台詞を紡いで見せたからだ。

「申し遅れました。わたくしは“重実”。重きに実ると書き、シゲザネと申します。モノ作りをしておりまして…あそこにパンフレットもありますのでね。お帰り際にでもどうぞ宜しくお願いします」

癖なのか、気が急いているのか、“重実”と名乗った男の唇は忙しい。「…ウタです」お礼代わりにぺこんとした会釈を返し、ほんの息継ぎの間でただ一言短く呟く。

依然としてぷるぷる震えたままのビビを抱き寄せて目をやったのは、通路の脇に整えられたパンフレット達。ここからでは見える文字に限りがあるが、“人形展”というワードが確認できることから、この男は人形師か何かなのだろう。薬品の臭いが鼻につく。物静かなウタとは全く反対側にある天秤の皿だが、なるほど、スーツと反して皺の刻まれた手元には職人特有の角質肥厚がみられる為、日常的に作品を手掛けている事に間違いはなさそうだった。「大丈夫?」「へいき、」ウタの問いは男の独り言に隠れる。

「それにしても…そうか、ウタくんか…いい名だ。それで、そちらのお嬢さんが…?」

「“蓮”です」

「“蓮”ちゃん…これもまたいい名だね。しかし…てっきり白人の子供かと思っていたよ。お名前からしてハーフかな」

「…ええまあ、そんなところで」

目深なフードからは唇と輪郭が覗いているとはいえ――この男、よく観察している。どこの国だい?年齢は?いかにも“子供好き”な皮を装う声は優しく穏やかであるが、半歩、もう半歩と下がる踵は心なしか忍んでいる為、こうした忙しい台詞もまるで瞼の隙間を塞ぐ綿のようだ。
おデブの鞄を大事に抱え情けなく震えているビビを、ウタは軽々しく抱いたまま立ち上がる。男が一歩後退った。子供へそうするようにポフポフと背をあやす手へ向けられる目は、善良な人間の枠に収めるには幾分も濃い紫色の羨望を湛えている。

「何はともあれ、無事に再会させてあげられてよかったよ。お兄さんも安心しただろう。ねえ」

「はい。でも個展に使うフロアだったようで…邪魔してすみません」

「いいやなんの。こんな夜中ともなれば私ひとりしか居なかったんだ、可愛らしいお客さんは大歓迎というものだよ」

エレベーターの音が壁を伝って届いたと同時、小さな足音と共に先ほどの犬が角を曲がってきた。あれから数分、或いは十分程度は秒針も歩いたが、職務放棄さんはまだ元気に走り回っていたらしい。なんの目的もないだろうにひた走る犬の背を見送り、男は茶目っ気を持った顔で呟く。「もちろん彼もね。いいや、ひょっとしたら“彼女”かな?」そうした理解ある態度は器が大きく、それこそ時間が押していても子供を保護するような優しい人にしか見えない。

背を向けていたため通り過ぎてからやっと犬の存在に気付いたビビは、背筋を伸ばして職務放棄の後を追おうとしたけれど、ウタに抱え上げられている以上はそれも叶わず、至極残念そうに最愛の頭へ頬をくっ付けた。この態勢はウタからしたら少しだけ、ほんの少しだけ――正直にいえば大分胸が邪魔だ。頭や肩をテーブル代わりに使われないだけマシだが、シルエットを隠す為に着せていたケープのフリルも手伝って、なんだかとてもモッサリしている。だから、ビビを真似てぽふりと胸へ頬を預けた。もう毛玉に震えはなく、緩い緩い溜息がウタの黒髪を遊ばす。

そのままぺこん、と頭を下げたウタが言葉を紡ぐ前に、男は半歩下がり、ひとつ喉を鳴らしてから唇の台本を開く。

「さて…余計な節介をしたようで悪かったね。私はそろそろ失礼するとしよう。またどこかで」

――これは命拾いをしたといってもよいだろう。あと数拍の間を置いたなら、些細な興味を装うウタから個展に使う人形について訊ねられていた。ウタはどの質問にも飄々とした態度で快く答えてはいたが、“あなたを警戒しています”といった冷えは別段隠していなかった為、男は本能的に、もしくは経験的に察したのかもしれない。察するように、手を招かれたのかもしれない。

慣れが滲んだ所作で一礼を演じた男は、ウタの足元へ落とした視線を上げることなく踵を返した。宝石の上でも歩けば大層素敵な音を奏でたであろう靴底が、カーペットの埃に声帯を潰されながら早足に去る。しかし、

「――あ、これ…」

知っていながらツトツトと袖を引く様な、あまりに穏やかな声が響く。聞こえないフリだって出来てしまうくらい平静とした音吐であったのに、爪先を揃えて立ち止まってしまう男の足は引かれるがまま踵をひとつ戻し、そうして静かな黒を振り返った。

ビビのまあるいお尻を支える手で差し出されるカードケース。「落としましたよ」つとつと、雨粒の声はやはり大人しい。

「…ああ、ありがとう。ぼんやりしていてはいけないね、大事なものだ。もう一度礼を言うよ」

「いえ…。すぐに気付けて良かったです」

控え目で、男性にしては可愛らしく微笑むウタの手元からケースを受け取り、男も柔らかく微笑み返す。照明を遮る睫毛の影が頬に落ち、出で立ち通りの気品を面立ちに添えた。「またね、お嬢ちゃん」「、」サングラス越しの視線を引き連れたままのご挨拶だ、さぞ喉の震える思いだったであろう。会釈を落とした男は、やはりウタの顔を目に映すことなく踵を返し、そうして絵画と花瓶の通路へと去ってゆく。

しん、と耳を刺す寂寞の中で、上下を運ぶ機械音が静かに唸った。シミひとつなく赤いカーペットはこんなにも姦しいのに、色と音の違いとは不思議なものだ。「こわい。」「もういないよ」男がいる間いい子でずうっと噤んでいたビビに「ん、」と唇を示し、ぷに、としたキスをもらう。よくよく耳を澄ませてみれば、上下の声には監視カメラの機械音も混ざっているかもしれない。

勝手にそばを離れ、夏の羽虫の様に危険へ身を投げたのはビビの方であるが、一切咎めないウタは「ごめんね」と囁く。どちらが悪いだとか、何をどうすべきであったとか、どこぞの犬が原因だとか、そうした問答などは二人にとってどうでもよかった。

「変なコトされなかった?」

「…、」

「いいよ、怒らないからぼくに聞かせて」

ビビの身に何かされたと思っているわけでもない。あのままふたりきりで置いていたら十中八九ビビは持って行かれたであろうが、ケープやスカート、抱く腕に触れるドロワーズなどに目立った乱れはなく、また、ビビの身体からは相変わらずウタ自身の香りが強く主張している為、手首を掴まれた以上の戯れがないのは明白なのだ。それでも問いを手渡すのは、躾の確認に近い。ビビがきちんと報告すべきことを理解しているか、正直に報告できるか、今までに教えてきたその確認に。

「、」

ゆったりゆったりと赤の上を歩く揺り籠に促され、唇をむにむにと戸惑わせているビビはフードの奥で視線を彷徨わす。ウタに抱かれて俯瞰する景色は普段の目線よりずっと高く、眼前に広がるそれらは先までの色と違う気がした。三つ目の風景の中であおい眼をした少女が過ぎ去る。“人形展”、重実の語った可哀想なパンフレット。とどまっているのは彼女達だけで、秒針と共に去っているのはビビとウタの方だ。

揺れる視界で冊子の反射を見つめ、ひとつ瞬いたビビは握っていた飴玉を申し訳なさそうに差し出す。貰えた色とりどりの可愛さをウタの片手にコロコロと落とし、もうなんにも持ってないよと手をヒラつかせ、何かを白状するような手付きで手首の袖をまくってみせた。そこはあの男に掴まれていた個所であるが、強引さが窺えた割に痣もなければ傷もなく、そうしたところに職人としての頑固な拘りが垣間見える。

「ウタ、ごめんなさい。」

「はい。許します」

そういえば初めて顔を合わせた時、ビビはどのような反応を見せたのだろう。女性や年配の男性には着いて行きがちなビビだから、ああして怯え切っていたという事は鼻につく臭いで警戒すべき輩として認識していたのだろうか。ちゃっかり飴玉は貰っているあたりがビビらしい。ただ、知らない人からは何も受け取らないように、帰ったらやんわりと言い聞かせないといけない。「ぼくもビビも気を付けようね。会えなくなっちゃったら嫌だから…」「うん。」「わかった?」「うん。」「いいコ」言葉の通り、連れて行かれてしまったらもう一度お話できる確証など何処にもないのだ。

若干楽しんでいた節のあるウタは心底安堵したようにはふっと溜息をつき、心配を掛けたビビも真似をしてはふ、と溜息をつく。ポケットに隠された飴玉達への興味は既に失われているみたいだが、プレーリードッグのように背筋を伸ばす様子からは色の違う興味が窺い知れ、その糸はどうやら、ビビをここまで導いた職務放棄の犬に繋がっているらしかった。ザラついた機械音が上下を運ぶ。楽しそうにしていた犬の姿はない。

突き当りの花瓶を左に曲がったウタは、絵画を背にして姦しい色を踏んだ。指先に挟まれた二枚のカードが、袖に隠れたまま赤いカーペットを指差す。

真田忍昭和4×年6月6日
東京都中野区××2-×2-1
人形師×××-66××-××××

実りの重き紫斑

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