-2015/12/02
   ウタさんのお誕生日-


プレゼントとして受け取ったものをゴミとして捨てる。そうした行為を公然と為せば、一般的には“心ない”と眉を顰められるのが常だが、しかし、頂いたプレゼントをプレゼントとして捨てる、そうするしかない者達が存在している事もまた、常としてある公然の事実だった。

12月の2日ともなれば匆々とした都会の空気も蒼く冷え、自宅の屋上にて見上げる夜空はひやんと澄んでいる。今日はウタの誕生日。だから、お葬式をしなくてはならない。贈られても眺めるだけに止まったクッキーやケーキ達の、そのお葬式を。


「“お誕生日おめでとうございます。ビビちゃんと一緒に召し上がってください。今度こそおいしいはずです。明日香より”」

「なに?」

「カップケーキだって。今年は上手に焼けたみたい。…かわいいね」

「ね。」

背の低いレンガを椅子代わりにしているウタが、足の間でしゃがむビビのお鼻を中指で突き、背後の花壇へメッセージカードを差し立てる。ほんの一瞬、ほんの僅か片時でも離れてしまった身体が酷く寒々しく、喪に服しているトークハットのベールをわざわざ避けてから、ビビのまあるいおでこに頬をくっ付けるようにして抱き直した。温かい。安息に白むため息までもが胸に灯り、そっと睫毛を伏せる秒針は暖炉のゆらめきで体温を分かち合うかのよう。

こうして平生と大差ない寄り添いで誕生日を過ごすのは、もう毎年の事だった。気分のままに出かけ、手を繋ぎ、流れ着いたイトリの元で赤を嗜む。列挙してみれば瞭然で、普段の休日とさして変わりはない。何か一つ違いを上げるとするのなら、帰宅を出迎えた扉の元にいくつものプレゼント/お菓子の遺体があったというくらいだ。“今日だからこそ”なんていう特別さはなく、今日も今日とてウタとビビは寄り添い合っていた。この秒針が当たり前として、引かれる後ろ髪もなく12月2日は過ぎてゆく。

「いちご。」「舐めてみる?」「うん。」作り手の優しさを赤い赤い苺で表すカップケーキは喰種の眼から見ても可愛らしく、味わう舌を持たないくせにビビは興味津々で目目を瞬くから――ホイップなんて可愛らしい台座でお座りをしていた苺を引っこ抜き、なんにも付いていない先端をお口に差し出す指先が少しだけ切ない。ひとつ注釈を挟むが、“自分達が人間だったらよかった”と、そう思っているわけではないのだ。この菓子を人間の女の子たちがどれほど幸せそうな唇で撫ぜるのかを知っている為、眼前で苺の表面をちらちら舐めて無味を味わっている最愛にも同じ幸福を与えてあげられたら、そう目を細めただけ。ひとつでも多く幸を手渡してあげたいけれど、色彩に実直な舌は縫い合わせてあげられないって、ただそれだけ。

瑞々しい赤へ噛り付こうとしたお口から苺を離し、ひやんと冷えた鼻筋へ唇を寄せる。赤い残像と共に呑み込まれた空白はどんな味をしていたのだろう。ほう、とぼやけた吐息が曖昧に白いということは、やはり、ビビの舌へ曖昧に触れた空白も、そこに苺が在った事実さえ曖昧な白い味だったのだろうか。「舌、だして」掌から落としたカップケーキはビビが抱く雪花石膏の鉢に身を投じ、風に虐げられる包装袋がザラついた音で地面と擦れた。熱をもって擽り合う戯れなんて赤も白も感じず、ビビの味しか分からない。

「んー…。」

「…なあに、嫌?」

「いちご…。」

「食べたいの?」

「いっこ…。」

苺が食べたくて申し訳なさそうな毛玉をじぃっと見つめながら、全ての決定権を持つウタが首を傾げる。幸せの定義とは、よくよく考えてみれば酷く曖昧だ。現在ビビの幸せは赤い苺の中に秘められ、皮を剥いた鼻の様なそれに噛り付く事こそが花咲く幸せなのだろうが、しかしながら、ひとたび犬歯を突き立てれば途端に劇薬の汁が唇を濡らし、きっと、幸せを手にしたはずのビビはどういうわけか涙を落とす。だからといって今目の前にある苺を遠ざけてしまうと、それ即ち手の届く距離に実る幸せからビビを引き離す事実に他ならず、この選択は正しいようで矛盾している、という事実に他ならない。

テセウスの船、メビウスの帯、人間であれ喰種であれ、考えたって堂々巡る時計の針は多い。だからこそ楽しく、だからこそ世界は仄暗いのだろうが、一瞬だって立ち止まってくれない秒針は掛け替えがないのだから、こんなことに拘泥していられる時間は精々ビビの瞬きみっつ分だ。強請って擦り付けられる頬にキスを返す。さて、指で摘んだこの苺をどうするべきか。禁断の果実とやらは、かの女性にどうされたのだったか。

「ビビが食べるなら…ぼくも食べたいな。いい?」

「うん。」

「でも少しだけだよ。体、悪くしちゃうから」

「うん。」

結局、手に取った選択は希釈だった。逸る気持ちのまま身を乗り出すビビの眼前で、鷹揚と舌に迎えた果肉と果汁は正直、当たり前だが正直、この世の何よりも酷い味をしている。変に繊維質で、舌が融ける様で、この赤い幸せを食物として否定してよいのなら、舌で感じているのは味ではなく刺激だ。幸せにも舌の色彩にも到底繋がりそうにない食生活を送っているのに、なぜ人間はあれ程までに美味しいのかいつも不思議に思う。転じて、苺を食す人間は喰べられるのに、苺そのものは味わえない自分達の舌も、同じく。

また一般論を引き合いに出すようだが、プレゼントを捨てれば眉を顰められるのが常なように、三段階の内の二をすっ飛ばして一を食らう者なんて居やしないのが常だろう。舌に美味い豚肉を飛び越え、わざわざ飼料を食す行為は一般的ではない。人間達の間ではまずい料理を豚の餌と呼ぶのだから、そう考えればどれだけ常識を逸した行動かよく分かるというものだ。そうしたぶっ飛んだ発想もウタとしては決して嫌いではないが、なんでも無警戒で口にしてしまうビビはウタが随一守ってあげなくてはならない存在な為、“庇護をする”という枠の中において、やはり望まれるがまま与えられる食べ物はひとつとしてなかった。意地悪でもなんでもなく、すべては愛しているがゆえ。

「ビビも…。」

「うん。待ってね」

もの欲しそうにお口をもぐもぐさせるビビが嚥下と共に上下した喉仏を指先でさすり、“一緒”と約束したにも拘らず残り僅かになってしまった苺とウタとを不安そうに見つめる。ウタはそこまで顔に出すような男ではないから、悲劇だか幸せだかを水分のたっぷり含んだ果実として作りかえたこれが、可愛らしい見た目に反して如何様な味がするのか、すんすんとお鼻で催促するビビは全く分かっていないのだろう。むしろ、見た目通りに華やかな味わいを夢見ている風にすら見える。室内飼いの毛玉ともなれば暢気なもの。きれいな花に棘があるのなら、可愛い苺に棘があったって可笑しくはないのに。

「おいし?」「うん。不思議な味だけど…おいしいよ」確かに苺自体は酷い味ではあるのだが、贈り手の温かさを拾えば決して、決して嘘ではない。鼠色の地で大人しくしている鉢には幾らか土が入っていて、カップケーキが鎮座していて、そして、緑のへたに白い果肉が曖昧に残る苺も同じように、棺となる雪花石膏の鉢にポトリと落とされた。隠し事と等しく飲み下す苦み。寂しそうにしているビビを抱き寄せてついた溜息は曖昧に白く、ここに苺があった事実さえも曖昧と喩えた色は喉のずっとずっと奥、心臓の縫い目にまで尾を引くほど酷い白みだった。周りを気にしない性格もあり、人と良く関わる割に付き合いを合わせて何かを食べる努力なんてしてこなかったから、なんだかいつまでも舌に味が残っている。ここに苺が在った事実は確実だ。まあるくされた手にお腹を引っ掻かれ、はやくと急かされる秒針の糸はこれ以上引き延ばせそうにない。仕方なし。荒れに荒れていた育ちが窺えてしまう所作でプ、と唾を吐き捨て、待ち切れずに身を離したがるビビを捕まえたまま舌を差し出した。

「、」

まるでそうする事が当たり前かの様に、苺の味が知りたいビビはかぷっと喰い付く。含んだままちゅくちゅく吸っては舌先で味を拾う様子が、昨日のビビが熱心に見ていた“カピパラ特集〜湯気も白む温泉地より〜”で美味しいミルクを飲む仔カピを思い出させて、乳臭いところは出逢った頃とそう変わりないなあなんて、冷えに一層しっとりした髪へ指を差し入れながら思う。嫌がって犬歯まで立てる毛玉を無理に離し、「美味しいの?」そう尋ねながらお顔を覗き見たところで――あ、まずいんだ、と悟った。一生懸命ちゅうちゅうしていたわりに、なんとも小難しい表情をしていたから。

ウタが薄めてくれたお蔭でそこまでのダメージは受けていないらしいが、何に例えたって足りないほどの酷い味を再度として求めるあたり、恐らく、最愛のウタが美味しいと頷いたのに不味い筈がないと一縷の希望を持っているのだろう。ちゅ、と啄む戯れの中でも難しいお顔は依然としてあり、舌に籠っている味が気になってしまうのかお口をむにむにさせている。

「平気?」

「…。」

「…ふふ、いいよ。ぼくにちょうだい」

ウタの笑みが白くぼやけ、少しだけ戸惑ったビビが舌を差し出すまでは瞬きみっつ分の秒針。鏡の世界で時計を繰り返すように小さいそれを唇に招き入れ、裏筋の血管を辿って舐め上げる先でちゅくりと吸う。舌の違和感、違和味をウタに持っていってもらうだけの平淡な行為だが、凭れて胸元を握る手は別の味を感じているらしい。頬を刺す冷気はこんなにも素っ気ないのに深くを求めて擦り付け合った唇が痺れを伴なう程熱くって、結果的にはビビとふたりの舌で味わっているこの現状に、背後の花壇で文字を埋めているカードの一節を暖炉に等しい心中で反芻した。

冬の夜空は高い。数年前の今日、目も開けていられない大雨を背に見下ろしていた子は腕の中に居る。偶然と気紛れが結ばれた末の出逢いであったが、そういえば、どこまでも深い蒼みからビビと亡き花びらの匂いを落としていた雨は、何があっても決して離さないでいてくれる男にだけ声無き声で灰色の存在を教えていたのだろうか。こうして考えを丸めてみると、伝う唾液の甘さを舌先で辿る脳裏にて、欄干から目にした雨粒の糸が無数の矢印に見える。もう一度最愛の温もりが欲しくて唇を寄せたのに、くたりと胸へ逃げてゆく毛玉の自由さ。くすくす白を融かして抱き込む灰色は温かい。

「まだ寝ないで」舌先のじゃれ合いで蕩け切り、今にも眠ってしまいそうなビビの身体を抱いたまま揺すれば、子供をあやす動作にも似たそれに一層心地よさげなあくびが聞こえて、はふっと胸を撫でる吐息に暖炉の火が笑う。こんな荒廃した深夜の4区でも毛玉は瞼を下せるくらい安心をしているのだから、もうそれだけで、ふたり一緒にいる意味が分かるだろう。灰塗れの前髪を乱すように頬を擦りつけつつ、ビビの眠気を追い払ってくれそうな色を探す。


「見て、これ」

「? かっぷ…ケキ?」

「んー。分からない。けど、ビビの名前も書かれてる。…ここ、」

そうして幾つか群れを成しているラッピング袋達のひとりを、胸にぺったりくっ付いているビビの鼻面へと差し出せば、しどけなく伏せられていた睫毛が持ち上がり、「わあ。」と小さな感嘆の声が聞こえた。これもまた可愛らしい菓子で、たとえ人間だったとしても食してしまうことが勿体なく感じてしまうほど。「誰からだろうね」、ウタがそう言うようにメッセージの類は添えられておらず、その質素さが尚のことチョコレート色の名前を甘くしている。

そこに考え至るまでの過程や理由は一先ず置いておくとして、こうしたビビを見ていて思うのは――贈られたプレゼントが菓子で、その全てが食べられるわけではないとしても、散々眺めて愛でたのちに名残惜しみながら土の下へ埋葬する結果は、一般論がどうであれ、今の自分達にとっては間違いなく幸せということだ。うつらうつらと舟を漕いでいたビビも一瞬の内には目目を大きくし、眺めているだけで胸に彩りが湧く人間の作品をジ、と愛でている。「それでも、口にしない事には気持ちを踏みにじっているに等しい」と、作り手にそう言われてしまえばまた幸せの定義が揺れてしまうのだが、舌で味わうべくして形にしたものを目だけで楽しむしか出来ない喰種だからこそ、その分たくさん視線を移して些細な幸せを探す。

抱き込んだ手でビビの前髪を避け、幸せそうに緩んだ口元を同じような穏やかさで見下ろすウタは、このプレゼント達から幾つもの幸せを拾っていた。“たくさん作ったからふたりで仲良く食べてね”そうした優しさの形をひとつとして口に出来なかったとしても、決して不幸せなんかではないのだ。この世は難しい。立場や生い立ちが変われば個々の価値観だって変わる。一から十までの人間や喰種と分かり合うことは一生を掛けたって無理だとしても、自分達は自分達なりの楽しみ方を見つけた。それが理解してもらえるか、理解は得られずとも受け入れてもらえるかについては“自分達”の輪を外れた他人の思想にあるのだから、無理をして合わせる事なんてせず、なんとなく思った通りに楽しんでみたらいい。幸い、ビビが幸せそうに笑うならウタも幸せで、ウタが幸せそうに微笑んだならビビも幸せで、表から辿ったって裏から辿ったってメビウスの帯は幸せに行き着くのだから。

夜気に濡れた群青ではよく分からないが、薄くピンク掛かって見える包装袋からビビの手が菓子を取り出し、そうして棺の鉢へとそっと導く。額、胸、左肩、右肩、順に点を結んで十字を切る様子は教えてもいないのに哀悼を滲ませていて、後ろに流してしまったトークハットのモザイクを指で掬い、それこそ土葬に沈めるビビの手手の様にそっとそっと唇が隠れてしまうまで導いた。十字の意味も概念も、ビビは何一つとして理解していないだろうが、きっと、伏せた睫毛の祈りは嘘ではない。施設の誰かから教わった通りに十字を切る無知は世間知らずだったとしても、口にされないまま土に還ってゆく形を心から愛おしく想っている。

「ごちそさまでした。」「ごちそうさまでした」言いながら、小さなスコップで花壇の砂を鉢へ移すビビ。ウタの足に茶色をぼたぼた落としつつの埋葬は穏やかで、高い夜空もじきに朝日を呼ぶほど幸せなものであった。残りのご遺体は6つほどだが、それは次の棺にて。

そういえば――と、見上げた夜空に思う。イトリの店で日を跨いだのだから、今はもう12月3日だ。ほら、現在時刻は午前4時。「どんぐり。」「…見たことあるね。なんだっけ」「も。…もそぶ。もそぶら。」「うんうん…。そんな感じの」こしょこしょ話は白い吐息として耳に届く。


暖炉と口と12/02土葬と毛玉で

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