おやつは一日10粒まで。
宇宙人のお肉は三日に一度。貰えるのは親指から小指の内1本だけ。糸が切れた足を労わるダイエットにそうしたルールを設けてから、ビビはウタの匂いを得る事に必死さを見せる様になった。

特大クッションにちょこん、と座り通しのビビを抱き上げる為に近付けば、発情期さながら身を擦り付けて匂いを求め、世間話を手に持つお客さんと向き合えば、悲しげな乾いた音ですんすん鼻を啜ってウタを呼び戻し、待っててねと慰めの手だけで構えば、ぎゅうと腕を抱いてまた匂いを求める。忍んだ影でこっそり胸元を擽る手をそのまま、ただ熱心にウタの匂いを。

移り気な蝶の翅に似て比較的大人しいビビが目の前お客さんよりも自分を優先して欲しいと鳴くなんて、これは甘えやお強請りの仕草とは違い、もっと本能が滲む切羽詰まった行動。

過酷な繁殖のお仕事も花が落ちて終え、ウタと出逢ってからは当たり前に守られるばかりの生活だったビビにも、一個体として生存危機を感じる本能があったのだろうか。或いは、ここに来て初めて新芽が顔を出したのだろうか。落ち花の滲んだ腐灰から。

重ねた血のお足元、飼い猫の右は未だ立たない。


「…すごく震えてる。どうしたの?何か勘違いしてない?」

陽も休む21時過ぎ。
つい数分前にCLOSEされた寒々しいスタジオで、ウタの訝しげを装った声が灰色の毛先を滑べる。空気まで波打つ震えが確かに伝わったのは、一日中じっとしていたビビを案じ、外の空気でも吸わせてあげよう、少しだけ歩く練習をさせよう、思いやりの両腕で抱き上げた時の事。

壊れ物よりも大事に抱いた毛玉のビビをよく見てみれば、愛らしく瞬くべき目々の瞳孔が大きな恐怖を訴え、安寧の隅っこを求めてぱっくり開いていた。診察台に乗せられた犬猫を思わせる震えは大きく、今も髪に鈴を結っていたならきっと、氷麗が見下ろすこの空間にちりちり控えめな音を転がしていた程だ。

ウタの檻で怖いモノから徹底的に遠ざけられているビビが、こうも怯えるのはそれなりに珍しい。悪い子をしたわけでもなく、近くで争いが始まったわけでもなく、夢を見たわけでもなく、ウタからの過剰な愛情もきちんと貰えていて、それなのに。

蒼いっぱいに溜まった涙、微弱な鼓動より大袈裟な弱虫の震え。こうした姿を見ると、胸から寂びた縫針が溢れ出す様な、甘くて赤い汁が滴る火葬の疼きを感じた。次いで湧く、ジグザグに継ぎ接ぎされた花びらのなんと毒々しい事か。

「お外…こわい。」

「そんな怯えなくても棄てようなんて思ってないよ。手放す気もないし…ビビはぼくのでしょ?」

「うん。」

簡単に頷く首は水飲み鳥のよう。分かってもいない癖に、こくん、と。

喉元を這い上がる水と共にお外がこわいと言ったビビ対し、蒸発し易い返しの声を送るウタは、水飲み鳥の緩やか且つ不思議な上下に似た奇妙さで、灰色を手放す気はないよと言う。どういう事だろうか。治まりを迎えない震えは依然として睫毛を揺らしているのに、的を外した声ではなかったらしい。どういう事だろうか。難しい事ではなく、一つの小節前。

――勘違いしてない?

そう言ったウタには、ビビの震えが何故に因るモノなのか分かっていた。

覚え易く圧縮して伝えるのなら、本能。欲しがっても分け与えて貰えないご飯に、ビビの本能は今後を危惧している。ウタがご飯をくれない、もしかしたらこのままウタの庇護を失ってしまうのではないか、と。ビビにとってウタを失う可能性は本能が震える程の恐怖であり、なんとしても忌避すべき道だ。たとえ捨て置かれたとしても、この体に強い雄の匂いは纏っておきたい。

本来喰種という種族は並外れた戦闘力を持ち、勘違いした人間が驕る弱肉強食のヒエラルキーではマスクの下で他を見下ろす立場にあるのだが、その輪に属しているにも関わらずビビは非常に弱い喰種だ。自分で人間を、宇宙人を狩る事もできなければ最低限に身を守る事もできない。

だからこそ毎日毎秒一瞬一瞬を力あるウタに守ってもらう為、ビビの本能は実った恋の元で大人しく足を縫い付け、一生の最愛と共に暮らしている。寄り添い合う胸の隙間には恋だとか或いは愛だとか、そういった特別な感情がクッションとして存在しているのは当然の事だが、目に見えないもっと深層の話として――力のない雌が強い雄に従い頼るのは、生き残りを望む種の本能と言えよう。

それらしい言葉を使って表すなら、元々ウタとビビは加害者と被害者の関係だった。産まれる前の血から計算され尽くしていた身を好き勝手に蹂躙され、些細な抵抗も出来ずに楽しく弄ばれ、強者であるウタを震えて見上げる事から始まった寄り添いの日々は、どうしてか今、暖炉の前でブランケットに包まる世界中の誰よりも温かく幸せに続いている。

最悪の始まりを知っている者からしたら可笑しい話だが、しかし、当人からしたら可笑しい話ではない。きっとビビの本能は自分の弱さを痛みで自覚し、だからこそ遥かに力のあるウタを寄り添う相手として選んだのだろう。始まりこそは辛く苦しく、涙の絶えない爪先の一歩だったけれど、結果的に、絶対の力で外敵から守ってくれる雄を得た。涙の一雫でさえ愛してくれる鏡を得た。可笑しい話ではない。

「震えてるビビも可愛いね。ぼくが居なきゃなんにもできなくて…うん、安心する」

「ウタ、いないになるって…?ビビとこ…。」

「ならないよ。ずっと一緒」

いつだったか見上げた夜空に星が瞬いて、海一面に煌めいていた恋を思い出す。あの時もビビは星空なんかには目もくれず、じっと此方を振り向いていたっけ。

ずっと一緒に居られたらいい。そう思ってはいた。けれど、ずっと一緒に居られるとは思っていなかった。離れ離れになったとして、じゃあビビ以外の誰と寄り添ったらいいのか、今はもう、少しの想像もつかない。ただずっと一緒に居られたらいいと願う。ご飯だって太らない程度に狩ってきてあげるし、意地悪な雄達からは何があっても守ってあげるし、あの部屋からは一生出してあげない。

扉を潜り夜空の下で大事に抱えた弱虫は変わらずウタに頼りきりだが、恋や愛を抜きにして語っても、雌が雄を守ったり雌が雄を捕食してしまったり、そういった些細な例外を除けば雌雄の関係なんてきっと、きっと大体はそんなもの。

――もしかしたら、絵と数字ばかりの図鑑を隅々まで眺めた時、ウタとビビの関係こそが例外であると書かれているのかもしれないが、あくまでも“一例としての話”で「まあ種や個体によってはそれぞれ例外があるのだ」と卑怯な前置きをした上、強引に話を進めれば、雌は守られ雄は守る、生物としてそれが当たり前のカタチだと鼻を鳴らして豪語出来るはず。逆さまに掛けた眼鏡で以て世界をひっくり返そうと試みる、学者気取りの学無し翁の根拠に乏しい力説でも、多数の者は頷くはず。

少なくともビビという雌はウタという雄に守って貰わねば生き抜く事が出来ず、ウタは守りビビは守られる、これが二人にとっての当たり前だった。これがビビにとっての生き残る術だった。

世の例外を数えたら両手を握ってまた開いても足りないだろうけれど、守り守られるのが雌雄の常とすれば、ビビとウタにもカッチリ当てはまる。結局、二人は想い合ってしまったんだって、そういうお話。

「歩けない日はどう?つらい?」

「へいき。」

「じゃあ、楽しい?」

「うん。」

「ぼくも。ひょっとしたらビビの足、あんまり必要じゃないのかもね」

「ね。」

こしょこしょ話で擦り合わせるお鼻。まだ、少しだけ震えていて。

再度抱き直したビビへと寄せた唇はぷにっとした愛らしい柔らかさで応じて貰え、まるで喰べてしまう様なキスをも頑張って受け入れている。意地悪な舌に伝う甘露を、んくっと飲み下す一生懸命さを感じて、ああ余計な栄養を与えてしまったと笑う心は、ビビの右足をどれ程案じているのだろうか。

大袈裟な事を言う様だが、一緒くたに丸めた庇護欲と、愛に唆され鳥籠の鍵を土葬に沈めたウタとしては、例えビビの足が使い物にならなくなってしまっても一向に構わない。元々一人で出歩く許可は与えておらず何処へ行くにも手を繋いでいたのだから、ビビを連れ去る足なんて無い方が安心できる。というのが、林檎の皮で何重にも隠した本音だ。

それでもビビの足を残し、労わり、不自由なく歩けるよう手を引いてあげるのは、この細く頼りない足がビビに幾つもの幸せを与えたと知っているからだろう。

雨が降れば泥濘む土、浅瀬に立てば足首にじゃれ付く白い波。窓すらない繁殖小屋で大人しく過ごしていたビビは優しいウタが手を引いてくれるまで、導かれるまま自分の足で世界を見るまで、扉の外にはこんなにも移りゆく色が広がっているのだとは知りもしなかった。なにせこの足は繁殖小屋と実験室の繋ぎを歩く為のモノであり、絵本の中に描かれる世界は指先で捲る非現実的色彩であり、まさか自らの足でページを渡るものだとは想像もつかず、自由が許される夢の中でまで絵本のページを捲っていたのだから。

楽しそうな足が枯葉をカサカサ踏む音に隠れて、好きだなあと呟いてしまった蒼い思い出は未だウタの胸に新しい。初体験した凍結道路ですっ転んだこと、枯葉の上を歩いていたらカタツムリまで踏ん付けてしまったこと、階段がどうしても上手く降りられなかったこと、頼りない両足の針が縫ってくれた思い出はたくさんある。

だから「必要じゃないのかもね」なんて言いながら、結局は、ビビの足を生かしたまま寄り添う日を選ぶのだ。

真っさらな足首にお粗末な縫い跡は見えず、あるのは思い遣りの支えだけ。「この子は糸の切れたマリオネットだ」と指差しで笑われても、「綺麗でしょ?ぼくのだよ」と幸せそうに笑い返したウタがきちんと抱き上げてあげればいい話。

足なんて無くてもいいし、あったらあったで別にいい。そのどちらでも大事に守る日々は変わらないのだし、言うのなら、ビビであれば何でも良い。構わない。

相も変わらず震えているビビの本能は耳を塞いでいる様だけれど、相も変わらず守る日を縫い続けるウタのそばで、相も変わらず穏やかな日を過ごしてくれたら。

きっと、相も変わらず寄り添い合って、相も変わらず幸せでいられる事だろう。


相変の糸繰り


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