数字がぐるりとドーナツになって、真ん中に変な棒が3つ付いている。

ち、ち、ち、

規則正しい音と共に先端が回るそれは、一般的に時計といわれるもの。ビビが研究所の小屋に居た頃は見たこともなかった不思議な円盤、首を傾げて見つめる。

短い棒が10にあって、外は明るい。朝の10時だ。

昨日もこうして時計を見たのは朝の10時だった――ような気がして、また不思議に首を傾げた。

「からだ、冷やしちゃダメって言わなかった?」

「?」

ただ時計を見上げるビビを捕まえたのは、カーディガンの袖がだらりと垂れた腕。黒く澱んだ爪が覗いていて、まるでお化けみたいで。

そのまま上から覗き込んだウタが髪に口付ける小さな音を聴き、ビビは顎を上げその音を追う。

「はい、これ着て。鉢男がのど乾いたって」

「ハチオにお水。」

「うん。如雨露でね」

「ブリキの。」

「ブリキの如雨露」

見上げる唇に逆さまのキスを遊ばせて、自らが着ていたカーディガンをビビに着せる。ウタが着たってゆるゆるのズルズルなのに、ずっとずっと小柄なビビが着たら、それはもうワンピースだ。肩は落ちて肘に引っかかり、袖は出口が見えず蛇になっている。

しゃがんで釦を留めてやる間、蛇の袖に隠れた手がウタの手を捕まえてすりすりと撫でた。押し止めるでもなく引き離すでもなく、退屈な子供を思わせる手手はこれといった意味を持たず、釦の隊列はすぐに揃った。




お店の前にある鉢植え。
外とはいえ水やりをする少しの間にも関わらず、もこもこと着込んだビビが如雨露を傾けて、ちょろちょろと降る少しの雨で以て鉢男を湿らせ命を先延ばす。

穏やかな時間だ。
くすんだ灰色の如雨露と、ビビと、ウタと、鉢男と、ドラム缶と。

昨日と変わらない穏やかな時間。

自分が水を落として湿った土と葉を、不思議そうに眺めるビビもまた昨日と同じ。空になったブリキの如雨露はビビの指に引っかかったまま名残惜しい雫を垂らす。ち、ち、時計の針みたいに。

「あ」

「?」

「忘れてた。ビビの髪、やってないや」

「うん。わすれてた。」

「ね。今日はどうしようかな」

かしゃん、とブリキが落ちたあと、
ぱしゃり、と音が鳴った。ぱしゃりの犯人はビビの持つスマートフォンで、鉢男を結構な至近距離で撮影している。それを合図として本日の水やりは終わりとなったのか、店の扉を開けたウタに続いてビビも中に入った。

ぱたりと閉まる扉――が、また開いた。忘れられたブリキの如雨露をウタが掬い上げて、今度こそ扉は閉まる。




空も赤くなった夕方とはいえ、店に篭ってマスクに向き合っていればウタ自身には見えない景色である。一切の隙間もない箱の中で夕日を感じるには?浮かんだ一節はそのままに、ウタは2階へとあがった。

いい子にしてるかな、と探したお目当ての子は、やりかけの刺繍を膝に乗せたままお友達のスマートフォンを弄くっていた。もたもたと滑る指はきっとメールを打っているのだろう。

後ろから覗き込んでみる。特に焦る様子もなく、隠す様子もなく、素直な指先はまた画面を擽った。予想はついていたけれど、宛名にはイトリ。これはもう毎日のこと。

送信された時を見計らってやんわりとスマートフォンをもぎ取ると、これにも抵抗はなかった。ソファの後ろから腕を伸ばしたまま操作しメールの履歴を確認すれば、いつもと変わらない内容が並んでいる。毎度思うがイトリにしてはマメだ。

“今日の体調はどうよ?”
“鉢男は相変わらずいいオトコだわ”
“今日はどんな髪にしてもらったのかなお嬢さん”

背凭れに手をついて振り返るビビが甘える様に頬を擦り寄せるから、片腕で抱き返してやりながらイトリに返信をすれば、それはもう直ぐに返信が届いてスマートフォンが2度程震える。

犬の様に反応したビビは直ぐ様スマートフォンを覗き込み、はやくはやくと急かす様にくしゃくしゃに丸まったタオルケットを捏ねる。放られたままになっている針付きの布をよけて、新着のメールを開いた。

“またメールチェックかよ。ホントにウーさんってバッキーだわ”


「バッキー?」

「イトリさんの年齢バレるよね」

「?…バッキー。」

少し空いて、近いウチお店においでとあった。おいで、その文字を爪の先で擦るビビがもう一度バッキーと呟くが、やはり知らない言葉らしく不思議そうに目を瞬く。

「なんて返す?」

「バッキー?」

「ううん。行きたい?イトリさんのお店」

「うん。…ウタ、ダメいう?」

「ぼくと一緒ならいいよ。血酒は飲まないって約束できる?」

「うん。できる。」

決まり、
言葉と共に打ち込まれるメール。画面には送信しましたの文字。これでイトリには届いた。

それを見て安心したように頷いたビビがもう一度刺繍の布に手を伸ばす。気持ち的にも、一区切りついたようだ。小鳥の刺繍がまた針を通され、完成への時間が進む。


さてと。
気怠い踵が地を擦る様なお客さんの気配を感じながら、ウタは身を離す。ビビの横顔へ唇を落とすのを忘れずに。

「後でね」

「うん。」

「夜は寒いからブランケットと仲良くしてて」

「うん、がんばる。」


言いつけ通りブランケットを羽織った最愛の姿を見届けて、ウタはまたスタジオへと降りた。


ブリキの瞼


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