※ほんの少し、イトリさんとの百合描写に注意。





「栄養がだね、君たち。ぜーんぶ乳に行ってるよ」

「そうだねぇ」

ウタの膝にぐったりと座っているビビの胸に、イトリの繊細な指先がぷにっと埋まった。

ブラウスの薄い生地ごと沈むものだから、慎ましく隠されていた谷間は撓むボタンの隙間から顔を出し、度が過ぎた愛欲の鬱血がイトリを覗き見る。痛々しいまでの紅い点ぽち、犯人は間違いなく後ろの男だ。イトリの手を遠ざけ、ビビの胸を占領し、所有権を誇示する様に頬をくっ付けたままジィ、と見つめてくるこの男、ウタ。なんでも、大事に飼っていた毛玉の足が立たなくなったらしく、近頃では、飼い主然とした少しの意地悪で以てビビのお食事を管理しているのだとか。

軽い綿を詰め込んだかの様なHelter Skelterの空間で、ぼんやりと鳥瞰するライトが仄暗い赤みを落とす。つんのめった氷の音を片耳に華奢なグラスを揺らしたイトリは、日々の電波を通して届く食料要求のSOSにより、ビビがデブ猫認定を受けた事は早くから知っていた。しかし、改めて見てみるとどうだろう。

久しぶりに会ったというわけでもなく、途中途中で顔を合わせているため見慣れているだけかもしれないが、アザラシの赤ちゃんだの日向ぼっこをするカピバラだの、ウタが言うほど肥えが過ぎた風には見えない。上背に乏しいビビは元々アザラシの赤ちゃんであり、カピバラであり、それこそ、出逢った頃から多少はコロコロしていた気さえする。

過去には食事をしなくなって痩せ細った日もあれど、失いを恐れたウタによる強制給餌は確かにビビの体へと血肉を与えていた。ただ、これも“強制給餌”だ。ビビが望んで食べていたわけではない。宇宙人と偽っての食事であっても、自ら進んで口にしている今をどうして手放す必要があるのか、HySyの毛玉をそれなりに案じているイトリには甚だ疑問だった。

個人的な好みを言えば、イトリは丸っこいビビの方が好きだ。これはきっと、ウタ自身もそう。ふっくらと健康的で、眺めていてもそばに居ても、ほっと息をつく安心が出来るから。

ブラウスの裾から忍んだウタの手に引き上げられ寒々しく晒された腰はむっちりしているけれど、体調不良や気分の問題で食事の機会が限られるビビにとっては細めの範疇を出ない。「…おでぶ?」と不安げに聞いてくるビビが中々に馬鹿らしく、やはりダイエットなんて“まだ”必要にない“程度”だろう。まだ。程度を見なければ危ういけれど、まだ、今の所は。

「しっかしこの腰!もうちょーっとだけ肉つけた方がいいんじゃないかい?ダイエットする程じゃないと思うけどねぇあたしは」

「うん。…でもさ、それだとビビ歩けなくなっちゃうから。ダイエットというより現状を維持しつつ歩く練習、かな。このまま好きに食べさせるわけにもいかないし」

黒く艶やかに彩られた男の爪が鳥瞰する赤みに戯れ付かれ、不釣り合いなまでにちまっこい宇宙人の小指を摘む。ともすると身が崩れてしまうそれをゆうるりと運び、ビビの口元へ寄せる様がどうにも意地悪く見えてしまうのは何故だろうか。それはイトリが、穏やかさのマスクに隠された本性をほんの僅かでも知っているからだろうか。

筆先の青紫に似た淀みで吊り上がる口端はおととい死んだ眼球が良く似合う悍ましさで、今にも捕食されてしまいそうなビビをグラスと共に眺めるイトリからすれば、眼前の恋人達の在り方というのは未だに掴みきれない。いや、掴む必要などなく、そもそも掴もうとした事すらないけれど、こうして外野から眺めているだけでどろどろに融け合った依存を感じられる縒り糸は、鳥瞰する様な事を言えばなかなかに面白い。こんなにどろどろでは誰にだって掴めず、よしんば掬えたとしても、決して救えはしないだろう。掴めないからこそ面白い関係など、人間にしろ喰種にしろ、周りを見渡さずとも客を迎えていればままある事で。どうしてだか震えて瞬くビビは大変可哀想であるが、外野から眺める分には理由が何であれ気楽なものだ。

カリ、カリ、
控えめに砕かれる骨の音。本日は三日に一度訪れる嬉しい嬉しい餌の日らしい。ダイエットをしているのに肉をやるなんて、どうにも可笑しい話だと思っていた。戦闘もなく消費をする機会に乏しいビビは、摂取する量を減らさなくてはきっと思う様な減量は出来ない。それなのに、少量とはいえご飯の日を設けている。苛めっ子気質なウタの事、また意地悪をして楽しんでいるのだろう、と。

しかし、そうかなるほど。ウタの手元を見て、まるで釣られる様にグラスへ唇を寄せたイトリが呷りの後に一つ頷く。問題になっているのはコロコロしたビビの体重ではなくそれを支えられない足であり、どちらにせよ、そう大袈裟な話でもなかったようだ。

縫った言葉の通り、ダイエットが一番の目的ではない。底知らずの暴食を矯正しつつだからこそ、ウタは制限を設けてまで小さいお肉をちまちま分け与えている。“この程度で肥満なんて医者の頭腐ってるわよ”、出掛かった暴言はネトついた血酒と共に喉へ下し、満足げな頷きを数度続けたイトリは、これからもビビが、量は少なしと言えど美味しい宇宙人を変わらず口に出来るのだという事を知った。――同時に、ウタが目玉のおやつを食べる度、物欲しげなビビがなんにも入っていないお口をもぐもぐと動かす仕草を思い出し、焦らしに焦らしていると思われる意地悪な日常も。

楚々とした絵を押し付けてくる詰襟のブラウスは力無いビビにとてもよく似合っていて、清楚の奥に隠蔽されたどす黒い交合いを目にしたいと、薔薇の模りで誇る小ぶりな釦を胸元まで外す。そうして覗いた独占の痕はやはり痛々しく、しかし、今にも花が咲きそうな赤は何処までも尊く。時の経過に手を引かれ姿を消してしまう愛欲の痕なんて、どこぞのオカマが見たならザラつく頬に手を当てて悦びそうだと思った。

「ところでウーさんや。この痕いつのよ?」

「うん。さっきかな」

「だろうよね。すっごいウーさんの匂いするもん」

如何にも皮膚が薄そうな首筋、白でぼやける谷間、抱き支えた下腹をこしょこしょと構っているウタの手をぺしっと追い払い、抱き着く様にして鼻を埋めたお腹。同じ香水を使っているからだとか、寄り添っているからだとか、本人がすぐ後ろに居るからだとか、そんな褪せた理由ではなく。

ビビの身の内から、ウタの香りが滲んでいる。

まるで沈んだ海床、砂の上にて脈を打つ花の様だ。数多の爛れを眼にしていると、こうして雄の匂いを抱えている雌というのは別段珍しいわけでもなく、それが恋人同士とあればなんら可笑しい事では無い。しかし、程度はどうだか知らないが、じゃれ合いで疲れ切っている恋人を連れてくる友人の無神経さと適当さを見て、劣らないほど適当なイトリが誰よりも整った容貌にニヤ付いた笑みを湛えた。

「少しくらい禁欲してやれよ」そう茶化しても「どっちみちビビは歩けないよ」悪びれもなく返してくるウタは、身を暴く雄の匂いで自分らしさを見失っているビビが大層お気に入りなのだろう。長く見ていればわかる。今だって、遡った長針で楽しく苛めたに違いない首筋にくんくん、と顔を埋めたウタが、まるでお気に入りの縫いぐるみへそうする様に頬を擦る。もちろん、喰い破らんばかりの痛みも傍らに。

次いだビビの瞬きで涙が落ちるのは、決して優しいとは言えない愛咬に物言わず耐えているから――ではないのだが、どうしてか、ウタが苛めている所為でビビが泣いていると外野を決め込んだ心が錯覚してやまない。

“いらっしゃい、ほら座って座って”。始まりの声を掛けた時、既に小さな震えを見せるビビは目尻の赤みに蒼い涙を滲ませていた。だから、どうせこの涙も、ご飯が食べたい故の蒼に違いないのに。

どこの学校にも、どこの職場にも、どこの輪の中にも、苛められるのが得意な子というのは少なくとも一人はいるもの。それは人間でも喰種でも変わらず、ここで言うビビが良い例だ。普段は肌を隠す生活をしているため誰かの目に触れて心配をされる場面などないのだろうが、もし一般的な心を持ち合わせた人あるいは喰種が、日々好き勝手に愛されているビビの体を目の当たりにしたら、まず初めに「どうした?誰にやられた?」そう問い傷付いた身を保護しようと努めるだろう。まさか愛情の鉛筆が彫った傷だとは夢にも思わない。そしてビビの返事を待つ事なく傷跡を作った者を加害者とし、持ち前の正義心で以て引き合う愛から遠ざけるはずだ。「もう怖い事なんてないからね」砂上の楼閣は傍迷惑な言葉と共に。自分は決して苛めっ子にはならない、そう言い切れる根拠すら持たず。

苛めにも様々な種類があり、ウタとビビのそれには他人の干渉を拒む様に愛情で編んだ膜が張っているけれど、それでもひもじさに、意地悪に泣くのが当たり前になってしまったのか、涙で束になった睫毛がそれはそれは綺麗な影を頬へと映す。きっと、ウタのそばに在るからこその愛らしさ。そうであって欲しい。ビビもビビで、どんなに意地悪されてもウタのそばを離れようとしないのだから、きっとそうに違いない。

涙の中で揺蕩う愛がどんなものか、外野から覗き込んでは茶化して手を振るイトリには知り得ないけれど、それらしい言葉で例えよと強いられたとしよう。強いられたとしたら、羊水の中でお昼寝をする感じ。と、そう答える。適当だ。それらしい言葉をそれらしく言ったまで。しかし、温かい胎で揺られる刻が心地好いと表す者の多さを考えれば、視界を暈すそれが羊水だろうが涙だろうが、曖昧な揺籠で揺られる安楽さにそう大差ないのではないかと思った。

ビビに引き寄せられるまま再度覗いた胸元は未だじゅくじゅくとした林檎色の艶を見せ、拙い再生の道をなぞっている。店前の階段を上るだらし無い足音にすら劣る縫合が、それでも真っさらな肌へと爪先を向け、愛されては白に、愛されては白に。

「楽じゃないわね、おチビも」

「イトリ、…。」

「はいはいビビちゃん。そばに居るんだから泣くなー」

ぷにっと頬を包んで、ぷちゅっとグロス濡れのキスをしてやると、喉に引っ掛けて嗤う様な、高みの余裕が滲むウタの声が聞こえた。くつくつ、と。それはビビとイトリの戯れを楽しむ悪趣味な音にも似て、“好きにすれば?”と言わんばかりの手が痣だらけの細い喉元を支えて固定する。大事に可愛がっている男の前で、大事に可愛がられている毛玉に手を出しているのに、ウタはいつもこうだ。“イトリ”がビビに触れても、可愛がっても、何も言わない。むしろ、その泥濘すら楽しんでいる風にも見えて。

ぬるつく不快感と共に唇を解放してやれば、追い縋る様な弱々しい呼吸がはふっ、とイトリの頬を撫ぜた。二枚貝の皮膚から透ける真っ赤な色味に負け、薄いピンクベージュが誇りだったグロスはただのテカリと成り下がっている。艶ともいえない汚れは墨が彫られた指の腹で拭われ、後はもう、ビビに頬を寄せた男が見下ろす谷間に指を擦り付けるまま、異性を魅了する色と謳われたピンクベージュの気品を失くしてゆくだけ。

「可愛いでしょ、ぼくのビビ」

「そーね。しつこくないビビならそこそこにね」

「もっと触っていいよ。イトリさん、いつもはビビが強請っても相手にしないから。…今日はどうしたの?気まぐれ?」

「そ。ウーさんもあるっしょ?そういう時。徹夜明けとかさ」

「あるかなぁ」

翅よりも軽い言葉は、翅よりも軽い癖に、翅よりも速く互いを飛び交う。そして、どうしてだか、未だ泣き止まずに零れ落ちるビビの涙。

この毛玉は、どうしてこんなにも泣き虫なのだろう。満足にご飯を貰えない、手加減はあったとはいえウタにじゃれ付かれて疲れ切っている、そうした理由が絡んでいるのは分かっているが、寂しさを滲ませつつぬいぐるみに甘える子供に似た叱るに叱れない態度を見て、イトリは意識せずとも苦い笑みを零してしまう。小馬鹿にする様な、仕方なさを滲ませる様な、反して温かみのある笑み。ただ眠そうに瞬く目々から艶のある雫が転がっていて、もう本当に泣き虫が癖になってしまったのだと、内心にて同じ様な苦みで笑った。

意図的に言葉足らずを演じるウタから“ダイエットが辛くてビビは毎日泣いている”と聞かされた為あの四方もボソボソと案じていたが、毛玉の毛にここまで泣き虫が染み付いてしまっているのなら外野が心配するだけ無駄なのではないかと思う。しくしく泣いて、それでも仲良くしているのが二人であり、傍観するだけの役立たずが外野。悪い意味では決してなく、これが一番バランスのとれた形なのだろう。距離のある外野にも関わらず、酔わされたり心配をしたり、四方の負担は僅かばかり多い様だけれど。

イトリが涙を拭ってやるすぐ側でビビの白い首筋をかみかみと苛めているウタが、じっと耐えるビビから涙を誘って抱き込むのを見て、いつからこんな狂気的な独占欲を見せる様になったのかを回顧した。過ぎし線路を、いったい幾度辿っただろう。深くを知らない周りの者が“穏やかで可愛らしい恋人たちね”と微笑む傍で、まるでビビを殺さんばかりの執着を目にする度、イトリは面白さからこの記憶を辿っている。

喰い荒らされた谷間。欲の渦に紛れる様に、片鱗に触れる様に、直ぐそばの絵に投影する様に。ちゅう、と音を立てて乗せた鬱血の紅色はビビを揺すって苛めた男の痕よりも余程頼りないはずなのに、何故か、瞬きの一瞬にはかくれんぼをしてしまい見分けがつかない。傷も紅も赤も透けた血の青も、そのどれもが群れた紅となんら変わらない平静の色味に見え、これが普通なんだっけ、こんなものか、と白痴な錯覚をする気持ちは、歌詞付きの絵の具が渾渾と湧いているパレットをまるで当たり前の様に閉じた。“可愛らしい恋人たちね”、盲いて紡いだ声は錯覚のページで、安い愛に紛れた永えの日常で、ポケットに隠した貝殻のお手手で。

「…イトリの。」

「嬉しいかい?」

「うん。」

「だってよウーさん。浮気だね!」

「浮気だね」

「?」

ウタに倣い掌でそうっと包んだ膨よかな胸の、生を感じる温かさには名前が彫られている。それは執着であり独占欲であり、喩えるなら、誰かが口遊さんだ愛だ。どこにでも転がっているだろう。友としての愛、家族としての愛、この世の中では目を凝らせば聴こえる音は多い。耳を澄ませば見える物は多い。しかし、そんな当たり前の事はどうだって良い。目は聴き耳は見る。今更言うまでもなく。

細胞にザラつく谷間の傷跡を頻りに構ってしまう指は、はたしてビビを愛でているのだろうか。それとも、今まさにビビが苦しがっても舌をじゃれ付かせているウタの様に、苛めの囁きが滲んでいるのだろうか。分からない。

ただ言えるのは、こうして考えを巡らせるのは指折り数えた両手が蝶になっても足りない程で、飛び立った指達が帰ってくる事は一生なくて、それでも指折り数えて首を傾げる日々を、イトリ自身が心から望んでいるという事。

素直に言うのなら、当たり前となったこの日常を、鳥瞰するライトが暴く埃の数ほど縫い渡っていきたい。それだけ。


女々の舌遊び


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