「見切ったら避ける、見切ったら避ける、…それを繰り返せ」 「や…っ…」 隅っこに蹲るビビ、追い詰める四方。目を瞑って壁に額を寄せるビビには見切るも何もなく、小さな頭に四方の拳がコツン、と当たった。 「…、」 「う…うっ…や…こわい…うた…、」 「………ウタに頼るな。向かってくる気概を見せろ」 コンクリートに囲まれた、だだっ広い地下。 ――蓮示くんがおやつ持ってきてくれたってさ。暗いお部屋にいるからいっておいで ビビはおやつで以て誘い込まれ、こうして鍛錬に参加させられている。「ぼくだと手加減しちゃうから」と相手を任された四方はウタの出した条件を守りつつビビに拳を近付けているわけだが、これがまっったく話にならない。 そもそも、怪我をさせない。ゆっくり。過度に恐怖を与えない。こんな条件の中でマトモな鍛錬が出来る筈ないのだ。少し離れた場所に置かれたパソコンからはウタへと映像が送られている。ビビが甘えるからと追い出した、うるさい恋人の監視付き。 やるからにはせめて護身に必要な要素は叩き込まなくてはいけないのに、開始早々ぴーぴー泣かれてはこれ以上ハードルを下げることが出来ない。まず、拳を見ない時点で駄目。闘おうという気持ちが針の先ほども感じられず、これでは自分の身すら守れないし抵抗もできない。守られる環境に慣れてしまったペットと同じで、喰種としての戦闘本能が欠如している。 「…、」 こうなってしまった以上はやはり、一度痛い目に合わせる必要性が出てくるだろう。身の危険に直面させて喰種としての本能を引き擦り出す為に。荒療治だが、友の為を想ったら踏み出すべきだ、 自分がやらなくては。失う前に。姉の様に失ってからでは遅い。ウタに同じ痛みを与えるわけにはいかない。ビビを蹴り飛ばす覚悟で持ち上がる踵は、しかし、 「ストップ」 自分から鍛錬を頼んだにも関わらず図った様に投げられる恋人ストップ。ウタはビビが関わると、じっとしていられない。上で観てるからね、と退室したのはたったの5分前なのに。 鍛錬開始2分でビビが泣き、その3分後にはウタが乱入。泣き顏にたった3分しか耐えられない恋人が居たのでは、前に進めるわけがないと誰が考えてもわかる。ビビの元へ一直線に歩み寄るその背中へ無言の説教を投げた。 「…どこやられたの?ぼくにみせて」 「ぅ…っあたま…ここ…。」 ウタは “やられた”なんて大袈裟に言っているが、四方は殴ったわけではない。ほんの少し拳をコツンと当てただけ。ナメクジすら押し潰せない様な柔らかい接触。にも関わらず腕の中にビビをすっぽりと収めて甘やかすウタは、よしよしと灰色の髪を撫でて唇を寄せている。 いつもこうだ。 四方は幾度か2人の鍛錬に立ち会った事があるが、まずくっ付いて離れない。泣いて駄々をこねるビビをウタは甘やかして受け入れるし、怖がって隅っこに入ろうものならすぐに抱き寄せてごめんねと謝る。打ち合っている姿なんて見たことがない。 「…ウタ、甘やかすな」 「………だって蓮示くん、ビビが泣いてるから」 ツン、と尖るウタの唇。ひっくひっくと泣き頻るビビが怖い大人を見る様な何とも言えない顔で四方を覗き、目が合うとウタの胸に隠れた。もう完全に嫌われている。 まるで保護されていた迷子と迎えに来た親の様な光景は、暗い地下室ではとてもどす黒く映った。 「――…、」 甘やかす事は、ビビの為にならない。ボソついた四方の声はビビの啜り泣きに消え、ただウタの耳にだけ届く。 そんな事はウタだってわかっている。当たり前だ、でなければ四方に頼んだりなんかしない。それでも、ムリなものはムリだった。胸が痛くて、見ていられなくて、知らんぷりも出来なくて、助けてあげたくて、やめてほしくて。 隅っこに蹲るビビはウタの心的外傷そのものだから。最愛を痛め付けた残酷な記憶。その中のビビもまた、冷たい床の隅っこで痣だらけの体を震わせ泣いていた。蹴った体の柔らかさも、引き擦った体の脆さも、助けての言葉すら知らずにただ泣くビビの姿も。全て全て、全て鮮明に覚えている。 ぎゅう、と抱き込んだウタがビビの足首をなぞる、その優しい手。 鍛錬続行はない。今回も甘やかして終わり。性格上、気を遣って落とせる言葉も見つからない四方はさっさと区切りをつけ、放っていたコートを拾う。深いポケットから引っ張り出したのはコーヒーの袋。あんていくのコーヒー豆。 「…またな」 近付く四方から逃げる様に縮こまるビビのお膝元、お土産のおやつを置いて踵を返した。ごめんね、と零すウタへ一つだけ頷き開ける鉄の扉は酷く重々しい。 鍛錬の上達はなし。 ウタの我慢も進歩なし。 ビビからの好感度も急降下。 おやつ以外、得たものはないようだ。 過保護の隙間 「ダメ。そこにいて」 「や…。」 「ダメ」 「…。」 なるべく安全な方法をと考え抜いた結果、大きなベッドの端と端に別れた両者。おやつはウタ側より参戦。そばに来ようとするビビに厳しく接するウタの手には丸い毛糸の塊があり、なんとか言うことを聞いて大人しくしているビビへと放る。 ぽーんと放物線を描く毛糸のボール。目で追ったビビの額にポコンと弾み、ぽんぽんと床へ落ちていった。 ころんとひっくり返るビビ。 自分でダメと言ったにも関わらずそばに寄って覗き込むウタ。 用意した5個の毛糸中、放られた毛糸はたったの1個。 結局くっ付いて寝転がる2人に鍛錬など無理な話だった。 |