「はい。おしまい」 「?」 冷える窓辺、ロッキングチェアで遊ぶもこもこのビビを通りがかったウタが拾い上げた。 夜空から降る白いへんなの。ここ東京では迷惑にしかならない様な雪も、ビビにとってはとても珍しいこと。振り子の様に揺れる椅子に膝立ちをしながら窓の外を眺めていたビビは、ウタが邪魔しなければ雪が途切れるまで眺めていた事だろう。 まだ見たいと騒ぐわけでもなく抱かれたまま大人しくしていたビビはいつものソファへ連れていかれ、ブランケットで更にもこもこにされる。向かい合った膝の上、匂いを擦り付ける様にウタへ頬を寄せた。 「ビビあったかい。…もっとくっ付いて」 「ぎゅう?」 「ぎゅう」 胸に負けてボタンが留められないもこもこのパーカー。頼りないベビードールに隠される胸元へ甘え返すウタをブランケットと共に抱き締めると、肌をきつく吸い上げられるちくっとした感覚。胸下を頑張って支えていた大きなボタンを1つ外して忍んだ手が、下から胸を押し上げてまたちゅうっと音が鳴る。布越しに埋まる指先は楽しげで、赤い痕が追加された谷間はべろりと舐め上げられた。 よしよし、撫でるウタの黒髪。 「とても点ぽち。」 「たくさん」 「タクさん…?」 「うん。たくさん点ぽち」 「…や。」 ちゅ、ちゅ、と痕を残しながら首筋へと伝うウタがビビの唇を探し当てる、その前に。ぐいっと細腕によって離される体。遠退く唇。そのまま逃げようと腰を浮かせたビビを咄嗟に引き寄せて腰を抱き込むと、今度は嫌がって突っ張る腕と零れる大粒の涙。 「どうしたの?キスマーク、…嫌?」 「や、…こわい…。」 「…怖い?」 小さく整ったビビの爪が胸元の皮膚を摘まんで引っ張る。千切れそうな程に伸びたそれがぶちっとなる前に手を押さえつけるが、痕をここまで嫌がられるのは初めての事。そもそもビビには他人がこの痕を見て何を想像するのか、どういう時につけるものなのか、詳しい事は教えていない。ただウタのモノだという証、としか教えていない。それを嫌がられるという事は、即ちそういう事。心に距離が出来たという事。 しかし、先程まで頬を擦り寄せていた事を考えると不自然な心変わりに、ウタはビビの様子をじ、っと観察した。 ウタに掴まれた手を引いて身を捩る。露出した肌を隠そうともこもこを引っ張る様子はまるでウタ以外の男にでも会ったかの様な。試しに、抱いた腰を更に引き寄せてみた。 「ぅ、や…タクさんあっち…!」 「………タクさん?」 「ウタこわい…うう…っ…。」 ウタたすけて。ウタ、ウタ。 やはり、目の前の男をウタだと認識していない言い方。そして変なアクセント。タクさん。これは恐らく、常連さんのタクさん。ビビも何度か会った事がある。やっと話が見えたウタは最悪の予想が外れて心底の安堵をおぼえた。 「ここにいるよ。大丈夫。タクさんはいない」 「タクさんいっぱい…。」 「…やめて。ビビは僕のでしょ」 胸元の赤を引っ掻いたその言葉に結構な嫌悪感。まるでタクさんにつけられたみたいな言い方しないでと。日頃から悪戯をされている所為でまだ疑っているビビは忙しなく周りへ視線をやってはウタを探し、目の前の男から距離をとる。すんすん、嗅ぎ分けられないバカ鼻。 「…ほら、マスクじゃないよ。ホンモノのウタです」 「や!」 掴んでいた手を輪郭へ導こうとすると、がぶ!と噛み付かれ、小さくとも鋭いビビの犬歯が皮膚に食い込んでいる。ジジ、と赤黒くブレる蒼い瞳にビビの拙い本気を見て、単純にえらい、と感心した。 蓮示くん、ビビがんばってるよ。特訓の成果はあったかもよ。 「………じゃあ、おやつ食べる?」 「おやつ…?」 あんなに力一杯噛み付いていたのにあっさり上げられる顔。これで判明、たとえ他の男だろうとおやつには釣られる。 蓮示くん、やっぱりダメだったよ。 「………ビビのばか」 「おやつ、…」 そうやって、おやつおやつって。 つん、と唇を尖らせて拗ねるウタを見て、いつもの様に吸い付こうとしたビビがなんとか押しとどまった。だがおやつへの期待に涙すら止まっているビビは辺りを見回す。何処を探したって見つけられないおやつ、この男が知っているのかと。 「…いいよ、もう。…おやつあげたら信じてくれるの?ぼくのこと」 「うん。」 即答。案の定頷いた。 ――ビビのばか。 隣にころんっと転がして立ち上がったウタを、身を起こしたビビが目で追う。おやつおやつ。部屋を出て行くウタをぱたぱた追い掛けて、一定の距離からその行動を見守った。おやつじゃなかったらすぐに逃げなくちゃと、途中でスマートフォンも拾った。すんすん、ビビのバカ鼻ではおやつの匂いはわからない。 クローゼットの中、ウタが探っているのはコートのポケット。スルッと抜き出されたおやつの瓶を見て、やっとビビはウタの元へ走り寄った。ホンモノ決定。おやつもらえる。 「まだダメ。……ダメだよ、あっちに行ってから」 「おやつ…。」 「ダメ」 ウタが本物と知ってか、それともおやつか、わふわふ纏わり付くビビは遠ざけられた瓶を尚も追い、片腕で抱き上げられまた同じソファへ運ばれる。先程と同じ様に向かいあったウタの手にはおやつの瓶。 「ビビ」 「はい。」 「ごめんなさいは?」 「ごめんなさい。」 「…何に対して?」 「おやつ。」 じ、とおやつの瓶だけを見つめる。ウタの腹へ置かれた手がタオルケットへやる様にもにゅもにゅと捏ね、はやくはやくと急かした。 「…ぼくのこと、タクさんだと思った?」 「うん。」 「タクさんからはおやつもらっていいの…?」 「いっこ。」 「…1個でもダメだよ。ぼく以外がおやつを持ってたら殺すか逃げるかして…」 「うん。」 「わかった?」 「うん。」 あまり信用ならない返事。 つん、と尖った唇にビビが吸い付いてウタの目を窺う。ちゅっと離れたビビの唇を咎める様に噛んでから、おやつの瓶をジャラジャラ鳴らした。四方が持ってきたコーヒーを詰め替えたばかりの瓶はあまり音がしない。ぎっしりのおやつ。 未だに少しだけ拗ねているウタが焦らす様にテレビをつけるその膝上で、いい子でブランケットに包まったビビが身を揺らして催促した。 「ふにゃって、なっちゃうから…あっち向いて?」 「うん。」 もそもそと反転したビビがウタに背を向け、凭れかかる。 積雪情報で忙しい画面のニュースに、お腹に回された腕とおやつ。ぱかり、と蓋があいて、大好きな香りが身を巡った。 「はい。ふにゃふにゃ」 うう、と小さく身を捩ったビビがぐったりと凭れ、肩へ顎を置くウタに頬を擦り付ける。気を抜けばおやつへ伸びてしまいそうな両手で胸のプレートを弄くり、今か今かと待つのはウタの指先が運ぶ一粒。一握り分のおやつを取って瓶を閉めたウタが、その内一粒を唇へ寄せた。すんすん、と鼻を寄せてからカリカリと食べられる音。 「おいしい?」 「おいし…。」 「もう1個?」 「もういっこ。」 カリカリカリ。着々と減っていく一握りのおやつ。 ふにふにと胸で遊びながら餌付けするウタが画面を見ると、随分と酷い有様になっている都内が中継されている。 凍結した階段や雪掻きの追いつかない道。ふにる手を掴まれての催促に、もう一粒カリカリさせた。 「あ。イトリさん」 「イトリ?」 中継されている都内某所の交差点。そこですっ転んだ女性は非常に良く知る容姿をしている。画面を見たビビも手を振るくらい近しい友人だ。 転んでいましたね、との街頭インタビューに上機嫌で応えるイトリは生中継も気にせず「ウーさん!今からゴム持ってくから待ってろよー!」と叫んだ。酔っ払い。 掲げた四角い箱。極薄の文字。 あわててカメラを遮るリポーターがすっ転んで画面から消え、腹を抱えて笑ったイトリもまた足を滑らせて画面から消えた。 「?」 「本当にくるの?」 寝たふりしてもいいかな。つん、と拗ねた唇はビビに食べられた。 イトリ襲来にてお仕置きは先延ばし。 たくさんのタクさん |