言う事をきかないビビの所為で色々と忙しいウタは、定期的に2階へ上がってはビビを充電してスタジオに戻る。充電中も1匹残された食パンを構い通しなビビを見て余計にパンへの敵対心が募るが、それでも充電をしなければ集中力が続かない。

背を向けられる今宵もまた、スタジオを閉めたウタは食パンと戦う。




第一次食パン戦争。袋入りの2匹はぶん投げられた挙句ぺしゃんこに潰され、戦死。

残る1匹は内臓こそぐちゃぐちゃに掻き回されてはいるけれど、一応生き残っている。カビはまだ生えておらずカチカチに固まっていて、ベッドやソファをパンくずだらけにする困ったやつだ。そいつを胸に抱いて、やはりビビはベッドへごろりと寝転がっていた。

よしよし、と撫でる茶色からパンくずが落ちる様を一つの瞬きで眺め、いつぞやと同じ様にベッドサイドからだらーっと凭れるウタは、投げ出されたビビの真白い足を掬い上げて甲へと唇を寄せる。

「…今すぐかまってくれないと死んじゃうよ。それでもいいの?」

「…?」

重い言葉にだって、返ってくるのはゆったりと眠そうな瞬き。甲に唇を寄せたままじ、と見つめてくるウタを同じ様に見つめ返して、ぱちり。もう一度ゆったりと瞬いた。次いで、す、と宥める様にウタの頬を撫でる気怠げな足先。

“そのパンを棄ててぼくのところにきて”。願いは虚しく、一層強く抱き締められるカチカチの食パンは見窄らしいくせに誇らしげ。茶色へ頬を寄せぱちりぱちりと瞬くビビは、パンを胸に抱き抱えつつ足先ではウタの頬を可愛がる。パンにも劣る粗略な扱いに、つん、と唇が拗ねた。

あの手この手の謀略合戦も、色々と賢くないビビには少しも通用しない。本能のまま食パンを可愛がり、本能のままウタをキープする。今だって、もうこれでウタを構った気でいるビビは、抱き直した食パンへ頬擦りをしてまたゆったりと瞬いた。

疲れたのか、飽きたのか、頬から離れようとした足を捕まえその首に噛み付く。痛くはしない、甘噛み程度。

自分よりも遥かに力のある喰種に噛み付かれているというのに呑気なビビは、はふ、と小さな欠伸をしてまた食パンを構い始めた。ウタがあけた穴に指を突っ込み、角っこに鼻先をくっ付け、そしてキス。かみかみと噛まれる足首が擽ったくて捩る身は、パンくずまみれも気にしない。

「気まぐれにゃんこ、可愛くない…早くぼくにもキスしてよ」

「ん。」

来て、と伸ばされるビビの手。食パンは抱いたまま。いつも自分から噛み付いてくるくせに、お気に入りが出来たらすぐにこれ。本当にかわいくない。

一歩たりとも動かない怠惰な猫に、また拗ねた唇をしながらもウタはベッドへ乗り上げた。垂れる髪を抑えたビビの手に引き寄せられるがまま、馬乗りになって唇を寄せる。が、

「待って。…ビビ、パンくずまみれ…」

「?」

ふっくらとした唇で遊ぶパンくず達。頬にも、鼻にも。ウタの許可なく好き勝手にくっ付いている。

袖口で全員蹴散らしていると、はやくと催促するビビの足。もじ、と擦り合わされる太ももはビビが急いている合図で、こうして寝転がりじゃれ合っている時など良く見られる癖。

気取った態度で表面を整えていても、欲しがりビビが滲み出ていた。容易に剥がれる鍍金。おやつの時以外に焦らす事はそうない為、ビビは辛抱ができない。貰えるとわかったら今すぐにほしい。待ては苦手なワンコ。でもがんばって我慢。

こっちの方がかわいい、気紛れにゃんこは嫌。

「もじもじしてる。どうしたの?」

「や…。」

しないの?
上からの態度で呼び寄せたのはビビだ。それなのに焦れて引っ掻かれる食パン。くしゃりと握られる黒髪。さっきまで散々ウタを放置していたくせに、求める様に甘えて擦り寄せられた鼻先はどこまでも身勝手で、ちょうだいちょうだいと見上げてお強請り。

言わせたいけど…うん、いいや。ぼくがガマンできないし。

「いい子は舌だして?」

「ん…。」

意地悪に首を傾げたウタを見上げ、従順に覗いた真っ赤な舌先。ほんの少しだけ見える赤い服従は生意気な態度を叱られる様に噛み付かれ、もっと出ておいでと器用な舌に掬い上げられる。柔らかく弄ばれる心地良さと舌に広がる甘さ。んく、と小さく飲み下して、もっとちょうだいと首筋を撫でて強請った。

時折擦れる鼻先も、ふにふにと遊ばれる胸も、全てがふわふわ。同じ作戦で1匹取り上げられた事などすっかり忘れて、ウタの舌にとろりと蕩けるビビは食パンを抱く手を緩めてしまう。庇護を失った食パン。

くちゅりと絡まり合う音の影で、ウタがこっそりと手を忍ばせた。ビビの大事な食パンへと。

こく、
また嚥下する喉。じんわりと痺れる様な甘さは呼吸を邪魔して、いい加減耐え難いとウタの身を押す。しかし、離れかけた唇はもう一度塞がれた。やめて、とむずかり顔を逸らした目の前で、ばばん、と飛び込んでくる食パンの危機。

「…?…や!」

あぶない、またぺしゃんこにされるところだった。
すぐ様抱き抱えてうつ伏せになる。決してウタには取られないよう、敷いていたタオルケットでぐるぐる巻きにして。

「仲良くしようとしただけなのに…」

「や…。」

寂しそうな前科二犯に少しだけ絆されて申し訳なさそうにするビビは、それでもパンに伸ばされる手をやんわり押さえて制する。結構がんばるビビに覆い被さったままじー、と見下ろすウタは、ピアスを舌で擽って何か思案顔。ふい、と顔を背けると、あっさりビビの上から退いた。作戦変更だ。

ベッドへとぴったりくっ付けられたビビのお腹は分かり易い程の警戒を示す為、見せて、と催促する様に横腹を優しく撫でる。

「ビビは少し…べったりし過ぎだね、彼と。ぼくが仲良くしちゃ嫌なの?」

「ぺしゃんこする…。」

「しないよ。ぺしゃんこにはね」

「…。」

なでなで。
ほんの少しだけ傾くビビの体。出来た隙間に手を差し入れてまた同じ様に撫でると、もう少しだけ隙間が大きくなった。

タオル生地から覗く欠けたパンの耳。

「カビ生えそう…」

「?」

「それに彼…へんな匂いするよ?お風呂、いれてあげた方がいいと思う」

「おふろ?」

ころん、
撫でる手に促されて上を向くお腹。わさわさと撫でられて気持ち良さそうなビビがタオル越しに抱いた食パンに唇を寄せた。愛情表現の甘噛み――させるわけにはいかないので、代わりに指を差し出して邪魔をしながらウタは尚もお腹を撫で続ける。ここまで来たらもう一押し。

「そう、お風呂。いれる?」

「…。……うん。バスタブ。」


頷くビビは少しも賢くない。ウタの謀略はやっと通った。




バスタブだと沈んじゃうから、と。お洒落なバスボウルに鎮座したビビの食パン。

二人してしゃがみ込み、ビビの頭に顎を乗せるウタの手にはシャワーが誇り、よしよしと食パンを撫でるビビの手を掴んで遠ざけたウタが早々とコックを捻ねる。食パン相手に長い戦いだったが、ビビの頭にごめんねのキスを落とし、いざ。

ふり注ぐ無慈悲なシャワーはカチカチの茶色をぶにゃぶにゃに崩し、ウタの手によって掻き回されるボウルの中でビビのお友達はぐずぐずに溶けて居なくなった。瞬きの間、あっという間の出来事に、

「?」

こてん、傾げられる首。

「ウタ。」

「はい」

「いない。」

「うん。いなくなっちゃったね」

「?」

どろどろのお湯を掬うビビには焦りの色が見え始め、縋る様な目でウタを振り返る。どこにいったの?元にもどして、と問い掛ける瞳は見ないフリをして、唇をちゅっ、と啄ばんだ。

――ごめんね

食パンさんはボウルをひっくり返して排水口へご案内。

殲滅完了。

「!」

しれっとボウルや手の汚れを洗うウタを信じられない様な目で見たビビは次いで排水口を覗き込む。いなくなった。ボウルの中にも排水口にも引っかかっていない。いなくなった。

「おわり。あっち行こ?」

「や…。」

「バスタオルね。きちんと拭かなきゃダメだよ。ビビ、すぐ転ぶから」

「や!」

もう泣いてしまう寸前のビビは何が起こったのかまるでわからないと渡されたバスタオルをぐしゃぐしゃ丸め、きゃんと劈く仔犬の声でお友達の食パンを求める。

はいはいと宥める様に抱き上げてくるウタの首にキツく噛み付いて、ついにぼろぼろと涙を零した。


第一次食パン戦争、ビビの完全敗北にて終戦。


食パンの姦通罪

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