自宅付近まで来た時点で分かってはいた。ビビの匂いがしないのはいつもの事だが、そばに居るはずであるイトリの匂いまでしない。

ああ連れて行かれたんだと分かった。ビビは着いて行ったんだと分かった。

争った形跡もなければ血液の匂いもしない。という事は不逞の輩に連れ去られたわけではなく、ビビは自分の意思で着いて行った。それでも、静まり返った自宅に嫌な音をたてる心臓。ビビしか書けない様な誤字だらけのメモ書きを見ても気分は落ち着かず、血で汚れた服を着替えながらビビへ連絡を入れる。

たった1回のコールで聞こえる呑気な声。騒ついている背景からはイトリのバーでお手伝いをしている事がわかり、耳元からミシ、と心の軋む音が聞こえた。あれだけダメだと言ったのに。

ビビのお出かけは時偶。こうしてウタの許可なく家を出るなんて事は、更に稀。白鳩への警戒もある。体調の問題もある。ただ、何よりも大きいのは愛情色の独占欲。外に出したくない。

十分に理解している心の狭さは、しかしどうする事も出来ず。置き去りにされたビビのマスクを手に取って、少しの血に固まる毛先もそのままに、最愛のお迎えへと向かった。




普段とは違う盛り上がりを見せるHelter Skelterには、ドン引いた様な小さい悲鳴と囃し立てる拍手。

扉を開いた目の前で、カウンターに乗り上げたビビが曲芸の演目を行っていた。

ぐにゃり、
背面から頭上に伸ばした足。太ももの裏に後頭部がくっ付くそれは、コントーションと呼ばれる柔軟芸。数人のお客さんにギャーギャーと気持ち悪がられながら頂いたお小遣いは、全て座長イトリの手へと渡っている。ヒラヒラ振られる万札とニヤついたイトリの口パク。あ、り、が、と。

「…」

人目に晒したくないと閉じ込めているのに、これではなんの意味もない。目深に被られたフードは確かにビビの顔立ちを隠してはいるが、ならその唇は?マスクすらつけていないそれがにっこりと笑えば最後、誰かが死ぬ事になる。かもしれない。例えば、フードの中を覗こうとしているお客さんとか。

人知れず、がちりと苛立つピアス。見世物小屋に売った覚えはないよと、ビビを連れ出す毒林檎の魔女に舌を出した。

ビビを楽しむお客さんは4人だ。ウタの纏う血の匂いに振り返った男女2人は、確認するまでもなく喰種。残り2人は屠殺前の人間。くんくん、利かす鼻は似たり寄ったりな匂いを覚える。

気に入らない。


「ビビ」

「?」

「おいで」

声をかけて初めて気付いたビビは掴んでいた足を下ろし、締めの挨拶すらせず大喜びでカウンターからぴょん、と降りた。普段はのそのそ鈍い癖にやけに身軽に降りたと思えば、予想通り縺れてつんのめる体。脱走犯をぽふっと捕まえて、隅の壁際まで連行。

サングラスを取ろうとする悪戯な手を掴んで身を屈め、内緒話をする様に唇へと人差し指を当てた。

「体は平気?」

「とてもへいき。」

こしょこしょ。小さな声で答えるビビが内緒話の指を手に取り爪の先へと口付け、屈んですぐそばにあるウタの頬へと擦り寄り鼻を利かす。くんくん。お遊び帰りの血の匂い。黒色のピアスもどことなく赤い。

「忘れモノは?」

「?」

「忘れモノ。…大事なモノだよ。ビビは忘れてるけど…」

忘れモノ。外へ出る時は肌身離さず持ち歩く約束のマスク。喰種にとっては必需品で、それ以上にビビの容貌を隠しウタの嫉妬心を抑える役目を担っている。それが置き去りにされていた。ビビの忘れモノ。

フードに隠れて見えない目はきっと、いつも通りぱちぱちとした瞬き。考え事をする様にむにむにする唇は摘まみたくなるし、舐めたくなるし、齧りたくなるし、吸い付きたくなる。でもダメ。今は甘やかせない。少しくらいは厳しくしないと。

「思い出して、ぼくとの約束」

言い付けは守っているつもりのビビにはまったく思い当たる点がなく、ウタと遠くのイトリとを見比べてもじもじする。

メモを残したからウタに内緒でお出かけしたわけではない。電話にもすぐにでた。イトリのそばからも離れていない。白鳩にも会っていない。肌もきちんと隠している。

考えてもよくわからない。

自由になった手でウタの服を捕まえ身を寄せたビビは、壁に手をついて屈むウタへと恐る恐る唇を触れ合わせた。

ふに。

「おかえり?」

これしか思いつかないよ、とばかりにつかれる諦めの溜息は、はふっとどこまでも緩い。

さすさすと上下に摩られる横腹、窺ってもう一度押し付けられた唇。おかえりの挨拶。あ、まずいかも。


「そうじゃないけどさ……ただいま」

ほら、許した。

甘やかさない、少しくらい厳しく、その決意はいつぞやの食パンの様にぶにゃぶにゃに崩され、ビビと同じはふっとした緩い溜息によって棄てられる。なにもこの場でお説教しなくても帰ってからゆっくり優しく言い聞かせればいいわけで、それにおかえりの挨拶だって大事だし、

もういいや。仲良くしよ。

お説教おしまい。というより、始まる前に終わってしまった。前座止まり。

耳を欹てていた座長イトリが吹き出す音を背中で聞いて、構ってもらえず暇そうにゆらゆらしているビビを抱き上げカウンターの上へ座らせる。ぷらりと揺れる足元は靴なんて履いておらず、まるで上等な洋服を盗んで着こなしたジプシーのよう。

「どこやっちゃったの?靴。ちゃんと履いてきた?」

「あっち。」

指差されたのはすぐ下。カウンターの下を覗くと1足の靴がお行儀悪くコロン、と転がされていた。仕方ないなぁと拾い上げるそれは随分な厚底で、ビビには歩きにくそう。車で来たらよかったかも。

ぱたぱた動く足を捕まえて靴を履かせるウタの苦労などそっちのけ、後ろへと体を捩ったビビ。血酒とお土産片手に寄って来たイトリは相変わらずの上機嫌で、ビビにアルバイトのお駄賃を渡している。500円玉1枚。

「500ペム。」

「と、これね。ビビのジュースにウーさんのお酒。持ってきな」

ビビを通り越しウタの手に渡されたそれの中には、幾つかの血液バッグに血酒。それと底に押し込められたゴム。全国生中継の大騒動に比べれば、今回は中々にスマートな渡され方だ。ただ、やはり間に合っているしウタにとっては積極的に使いたいものではない為、ビビが見つけない内に捨てて帰りたい。

ちらり、と盗み見たカウンターの上、首に下げたがま口のお財布をケープの襟から引っ張り出したビビはお駄賃の500円玉を大事にしまい、ふかふかするお財布の綿を弄ぶ。カウンターの向こう側からビビを抱き締めたイトリがスマートフォンの画面を見せている事から、また何かを企んでいるようだ。イトリの顔を振り返って画面を見ないビビを咎め、一生懸命に画面内で説明するイトリ。

ビビの目がない内に袋からゴムの箱を取り出し、カーディガンの深いポケットへ落とした。

帰るよと一声掛けても引っ付いてる二人に唇はつん、と拗ね、ビビの腕をぶらぶらと引っ張る。

「…ねぇイトリさん。はやくビビ返してよ」

「返してってアンタ…何様のつもりだい?身請けするからって偉そうに…あたしゃねぇ、こんな危ないオトコにビビを」

「ふざけてないで」

「…ビビが絡むとすーぐ蓮ちゃんになるんだから。バッキーめ」

お客さんも呼んでるからと、しっしっと追い払ったイトリはあっかんべーをしながら中指を立ててくるし、抱き上げたビビは名残惜しげにイトリを振り返るし、身請けって喜ばれるものじゃないの?と咎める様に後ろを向くビビの首にがぶりと噛み付いた。

四方呼ばわりされてしまうのも納得してしまうくらいには今のは大人気なかったかなと思うが、イトリのからかいに付き合っているといつまでも帰れない。どうせ無愛想にしたって途切れる仲ではないのだしと、大して気にもせずHelter Skelterを後にした。




「あ。UFO」

「?」

ウタの黒い爪が指し示す夜空。痩せた路地では細長く切り取られていて月すら見えない。

じ、と空を見て未確認飛行物体を探すビビの死角、ウタが音もなくとりだしたもの。イトリからの悪趣味なプレゼント。幾つか寄り添う太ったゴミ袋へと、風を切る音をさせて投げ入れる。ぼす、袋を突破して埋まるゴムの箱。

「!」

「……なんか聞こえたね、今。ビビのこと迎えにきたのかも」

「や…。」

空にいたはずのUFOがいきなり後ろにきた。音の聞こえた方向を振り向いてオドオドするビビは、何処かで聞こえる若者達の笑い声にもビックリして足元をフラつかせる。頭に過ぎるテレビの再現VTRはどれも誘拐ばかりで、それによればUFOに連れ去られると何か変なことをされるらしい。もう戻ってこれない場合もあるのだとか。

連れて行かれたくないの一心でだらりと下がったウタの手を掴み、抱き締めてもらいに身を寄せた。

「ウチまで着いてきたりして。どうしよっか」

「ウタ、へんなのやっつける…。」

「えーぼく?…どうしよう。ビビお留守番できないし…どっか行っちゃうし…」

「おうち、いるよ…おかえり言う…。」

ぐいぐい引っ付いてくるビビをぎゅうっと抱き締めて、靴底で石の擦れる音を鳴らす。やはりビックリしたビビはこれを皮切りに震え始め、ウタの服へと顔を埋めて現実逃避。

「家から出ないって、約束できる?」

「やうっ…できる、…っ。」

ふうっ、と髪を吹いただけで上がる悲鳴は面白く、悪戯心はこしょこしょと擽られる。

ふ、ふふ、
顔を逸らして堪える笑い。これだけ怖がらせればもう今夜はウタを大人しく見送るだろう。寝室に閉じ籠りいい子で待っているはず。


見世物小屋から取り返したビビ。

もう少しだけ遊ばせてと、腰に回した腕で灰色の髪をつんつんと引っ張った。


達磨のコントーショニスト



UFO騒動で吹っ飛ぶイトリからの言葉。

――ウーさんから目を離すな


イトリのお金が4人も殺されてしまうからと託された任務はすっかりビビの頭の中から消え去り、お家に帰ればウタがやっつけてくれるの一色しかない。

お留守番の約束は即ち任務失敗。


マスクの必要ない安全な空間で待てばいいだけのビビの所為で、4人のお金さんは宇宙人と託けてやっつけられてしまう。

任務の失敗、消されるお金。


Helter Skelterではままある行方不明事件。


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