ここ数日の習慣に倣うなら、今頃ビビは夜毎の疲労を癒し、今夜も夜更かしをする為のお昼寝をしている時間だ。これがないと体力に乏しいビビが意地悪なウタを受け入れるのは難しく、日向の睡眠を欠くと反抗的な体調と折り合いをつける事すら難儀してしまうから。 ところが。 今日はお昼寝の時間になってもウタに引っ付いてスタジオに居座ったまま。あの日買ってもらえなかった食パンを強請るでもなく大人しくしているビビは、只々引っ付く事が目的らしく、ウタが着ている女物のドルマンカットソーをぎゅっと握りしめて身を寄せ片時だって離れる様子がない。 「コアラ、みっけ」 お客さんのお帰りと同時に落とされる、ビビの姿を隠す白い布。現れた手元はやはりウタの服をぎゅっと掴んでいる。不安でどうしようもない臆病コアラみたいに。 膝に抱き上げる間も掴み続けるものだから、びよーんと伸びて腰が寒かった。 「お昼寝しなくて平気?連れてってあげようか?」 「へいき。ウタこと…ちゃんともってるよ、一緒いる。」 ずっとこの調子。 鼻先を擦り合わせて覗く瞳は眠たそうに蒼いのに、どうにか眠ってしまわない様に緩やかな瞬きを繰り返してウタを監視している。にぎにぎと服を握り直す手は絶対に何処かしら触れていようと気を張っているようだ。今にも滲みそうな瞳がこんなにも不安がるワケは毎度の如く簡単なことで、単にウタの言葉を重く大きく捉えてしまったというだけ。 “離さないでね。捕まえてて、ずっと。じゃないとぼく、もう生きていけないから” 乏しい日本語知識を咀嚼して理解したビビは絶対にウタを離さないようずっと捕まえている。離したらウタは死んでしまうから。居なくなってしまうから。これほどに不安な事なんて他になく、実験台の上で四肢を固定されていたあの瞬間の方がよっぽど心穏やかだったと思えるほど。 もしも怖い事と引き換えに、一生ウタと共に居られる約束を得られるとしたら――ビビは怖い怖い実験台の上、喜んで横になるだろう。何より素敵なお昼寝だと大喜びをして。 そうしてどこまでも錆びた方へ理解しているビビは、誰かが首を傾げた雨音の窓辺によく似て暗い。それはもう、暗い。不憫なほどビビにはウタしかいない。不憫なほど乏しい日本語知識。 大事なウタがいなくなるその不安を表す様に、擦り寄せられた頬は緊張から冷んやりしており、戯れに重ねた唇も舌を絡める前に早々と離れてしまう。ふう、息苦しさの浅いため息は不安で重い。 「ならここで寝る?いいよ、抱っこしててあげるから」 「や。へいき。」 退屈なまでの白い布で以て温めてあげながらの提案にも、予想通りの断固拒否。平気の一点張り。ウタの頭を大事そうに胸へ抱くビビは何が何でも起きているつもりだ。絶対に絶対に離さないよう、そして少しでもウタの疲れがどっかへ行くよう、ぎゅっと抱き込んでよしよしと撫でている。一瞬だって離さないよう、大事に大事に抱き込んでいる。心さえ縫い合わせてあるならば、体がちょっと離れたくらいで死んだりなんてしないのに。 ビビの理解に間違いがあるのなら早く正してあげればいいものを、現在天秤が意地悪に傾いているウタは不安が揺すって落とす愛情の実を堪能するばかりで、一切安心を教えてあげない。最近はきかない面を見せて反抗的だったビビがこうもしおらしく愛情を垂れ流していると、可哀想に思うよりも可愛らしさが勝ってしまって天秤は傾くばかり。 とはいえ少しの葛藤もないわけではなく、ビビの本心が知れるこれは大事に守っている子を傷付けているのと何も変わりはしない、と咎める気持ちも勿論ある。それは勿論ある。ただ、不安にしている姿が心を擽ってどうにもやめられず、今はその背徳感すら喜悦の手助けをしている始末。まっすぐに向けられる愛は息苦しそうな心配を見せているのに、それすら嬉しいなんて。 やはり徹夜続きで疲れている面もあるのだと思う。ウタとは違い精神の状態が体調に直結するビビを思えば、こんな事はするべきではないと分かっているはずだから。そう頭では分かってはいても離れたくないと不安がる姿は劣情まで揺らすようで、ビビと大変仲の宜しい腰がねっとりと甘ったるく燻る。愛されたい渇望は何年経ったってどれだけ一緒に居たって、びしゃびしゃに潤う事はないようだ。 もやもやと煙る勝手気儘な愛欲に、つつつ、と舌でなぞったビビの唇は毒々しい悦に味付けされてとても美味。食い破りたくて力加減が少し。少し、難しい。少し。 「いいこ、ウタいいこ。」 がぶ、 すっかり虐め慣れた首筋に埋もれて悪さをするウタは破りこそしないが結構な噛み跡を残していく。治り掛けの皮膚に増える新しい紫色。本当の意味でビビの体を傷付けない様、薄っぺらい気遣いの中にあるじん、とした痛みは決して乱暴ではない。だからこそビビも咎めるどころか一層と身を擦り寄せ、甘えるように強請るようにウタの髪を愛おしさの指で梳いた。 よしよし、離さないからね。 いいこ、よしよし。 「…おかしいなあ、意地悪してるつもりだったのに。…ひょっとしてぼく、慰められてるの?」 「?」 いじめられている自覚がなさそうなビビは只管によしよしとお疲れのウタを優しく優しく撫で、何があっても離してはならないとまた大事に大事に抱き込む。きちんとウタがいる事を確認しているのだろう、すんすんと鼻先を髪に埋めては猫可愛がりの頬擦り。痛みを伴った意地悪まで愛情で返されるものだから、こてんと首を傾げて愛情垂れ流しのビビをじぃっと見つめた。 ぼやっとしている灰色の毛玉は眠そうにも見えるし、元からこんな風だった気もする。人畜無害を匂わす顔立ちは平和ぼけをしていてこっちの気まで抜けるよう。なにせ毛玉だし。一拍遅れで同じように首を傾げるビビがおっとりと瞬き、再度なでなでと可愛がってウタの擬態した疲れを一生懸命に慰めた。 「ウタ、寝るんだって。ちゃんと夜…ビビに。」 「本当?ウタさんがそう言ってた?」 「うん。」 「へえー。ぼくが聞いた時は今日も徹夜だって言ってたけど…どっちが本当なのかなあ」 また適当な事を言っているビビをよいしょ、と抱き上げ、作業台にちょこんと座らせる。劣情の別離として半ば無理矢理体を離した形になった為くっつき虫のビビは嫌がったが、そのまま椅子を近づけてお腹に抱き付くと妥協する様に頭をはむはむと啄ばまれた。 昔は触らせてすらくれなかったビビのお腹。今は撫でても頬擦りしても抱き付いても、指で押しても引っ掻いても警戒する様子はみせない。中に出していないから怖がる必要がないだけ、かもしれないけれど。 頬を預けたお腹は相変わらずのぺったんこで、ふうと1匹の溜息が脱走した。いっそ避妊の失敗でいいから出来てほしいと望んでいるが右向け右の一方通行は向き合う事がなく、ビビのお腹は一向に膨らむ様子を見せずいつだって空っぽ。約束を破らない程度に騙し騙し隙を緩めても、一度殺したお腹で結ばれる糸なんてないようだ。 ぺらり、捲ったブラウスの裾。男って無責任だと自覚した上で、頑張ってよとぺたんこの下腹に労わりのキスをした。ちゅう。べろり。 「おわり?お店、もう。おわりする?」 「…強引にきたね。でも…まだ無理かな。ぼくのマスク、ビビよりも寂しがり屋だから」 朝まで構ってあげないと。 言いつつ片腿を持ち上げてかぷかぷ噛み付くウタを見て、大層心配そうに眉を下げたビビが大人しくコクンと頷く。寂しがり屋のマスクはビビの隣で待機しているのにウタは白くて柔らかい内腿にじゃれ付くばかりで、寄せられる心配には知らんぷり。濡れた舌で舐め上げては甘噛みで可愛がるお肉をもう少し楽しみたいからとビビの心配なんて知らんぷり。 いい子で頷いた首とは正反対に、美味しそうな太腿の奥は内緒が話したいからこっちへ来てと誘惑の尾を揺らす。もさもさのスカートから丸見えのドロワーズは色気なんてこれっぽっちもない癖に拙く幼稚に誘うようで、お上品な血統書付きはさすが口を噤んでいても体が生意気だ。ぱんつ丸見えの癖に。お客さんが来ちゃう、なんて可愛らしい恥じらいすらない。 ただ、そんな薄ぼんやりに本能を握られているのもまた事実で。ちゅ、ちゅ、ヘンゼルの落としたパンくずを辿るように行き着いたそこへ、誘われた雄はあむっと柔らかく噛り付いた。 ドロワーズが丸見えでもそこに噛み付かれてもべたべたに濡らされても、只々心配そうに瞬いては深まる瞳の海。ウタの代わりに全てをこなす事が出来ない無力な以上しつこく反抗する気にもなれず、 ウタを離さない、それだけに努めて不休のお疲れをよしよしと慰めるに留まる。 自覚の用無し、鞣しの無力。 ビビからウタに贈れるものは、 どうやっても形のない心配しか思い浮かばなかった。 もしもしウタさん。ちゃんと寝るって…今日ちがう?ビビの…。 はい、ウタさんです。 お問い合わせの件ですが、徹夜はあと3日続ける予定です。不安にさせてすみません、今日も貴女が好きでした。 起伏の天秤シーソー |