昔に比べたらよほど元気っ子になったとはいえ、数日の意地悪に続いてあんな事があったから。ビビの体調を観察出来る様に、今日一日は目の届く範囲に置いていた。

どこかしらに触れていなくても死にはしない事。なんとか理解してくれたらしいビビは、お散歩綱を括り付けたタワシを楽しそうにずるずる引き擦ってスタジオ内を覚束なく歩き回り、疲れたらウタの足元にボン、と置かれた超特大クッションの上で丸くなってお昼寝。起きたら気が済むまでウタに頬擦りをしてまたお散歩。

そうして楽しい楽しい招き猫のアルバイトを終えた夜、

「へっふ…」

「? なに、今の」

「…………へっきゃふ!」

「…くしゃみ?」

風邪の予兆がみえた。この間はベッド代わりにされたソファの上、タワシなんてどこかへ放ってひたすらウタに可愛がられていたビビが、ぴたっと静止したと思ったら最大級のくしゃみ。普段はくちんくちんと小さいくしゃみなビビの事、ばふっと胸板に顔を埋めても尚きゃんきゃん劈く声は程度の大きさを物語っているようだ。ビビ本人もびっくりしたらしく大きく目を開いてぱちぱちと瞬きをしている。

「風邪かなあ…。嫌な予感はしてたんだよね。あんなコトしちゃったから…」

――おいで、ぎゅうしよ。
ビビが丸めて抱っこしていたタオルケットでその身を包んであげ大事に大事に抱き込むと同時、きゃふっとしたくしゃみがもう一度聞こえた。悪戯な徹夜で心配をかけてからのアレはさすがに堪えたらしい。

「はな…なにかいるよ、むじむじって…。」

「鼻だけ?他にはいないの?」

「いなひ、っふ…へっきゃふ!」

擽ったくて仕方ないのかウタの胸に鼻をぐりぐりするビビはまるで変な匂いを嗅いだ犬みたい。わ、かわいい。と思ったけれど、こう言っていられるのも今の内。どうか悪化だけは避けたい所だと先手を打ちたくても、今の段階ではまだお薬が使えないため枝分かれした症状のどこへ転ぶのか待たなくてはならず、代わってあげられないウタにとっては只々辛い期間だ。マヌケなくしゃみから始まるルートで症状が酷く悪化した事は滅多にないからといって、放ったらかせる程ビビに無関心にはなれない。

血酒を零したあの日、散々楽しんで満腹な悪戯が両手を合わせて頭を下げた。

「ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて、…うん、上手だよ」

もさもさした髪をゆったり撫でながらの促しは体調を崩した時に乱れがちな呼吸を優しく導いて整える。初めの頃は満足に看病すらできず、医師に診せても「この子の体はわからない」と首を傾げられ、薬にもならない励ましの言葉だけを片手に寄り添って時を過ごしていた。

幾度も経験する中でビビの陥る症状や自分のやるべき事をそれなりに理解したけれど、胸に活けられた心配性のガーベラはあの頃と何も変わらない様に思う。ビビが弱ると抱き込んで片時も離したくなくなるのも、分け合いたいと一緒に呼吸を合わせてしまうのも。

胸にぺったりくっ付いてジ、と耐えるビビはとても良い子で、むじむじする不快感と戦う難しい顔が愛らしくて、こっち向いてと呼ぶ様におでこへちゅっと唇を弾ませた。抱き込んだ腕の中は狭く、もぞついて顔をあげたビビの唇とすぐにくっ付く。ぷにぷにで柔らかい。

「はな、」

「…むずむずする?」

「うん。…なにいる?ビビの…。…こわいよ。」

「大丈夫、ぼくがやっつけてあげるから。それなら怖くないでしょ?」

「うん。」

鼻先を寄せ合ったままのこしょこしょ話。他には誰も居ないのに潜めた声はまるで広々とした空間をまあるく凝縮したようで、大事な毛玉を腕の中へ閉じ込めてしまう事の安心感、温かさ、愛しさ、その全てを持って小さい硝子玉に隠れてしまったみたい。二人一緒、ぴったりくっ付いて。

へふへふやっているビビは頭痛も倦怠感も訴えない所からしてくしゃみしか自覚症状がないらしく、鼻が痒いのかただ甘えているのか、またウタの胸にぐりぐりと鼻を押し付けた。

「小っちゃなイトリさんあたりが悪戯してるんじゃない?えい、って」

「イトリ?」

鼻になんかいると主張するビビへ渡したその名前。イトリ。

“お散歩行く?”に反応した犬の様にぱっ、と顔を上げるビビが期待に開き切った瞳孔でウタを見つめる。なんだか面倒くさそうな反応。思ったより元気かも。そんなビビをシレッと無視をしたウタは、毛玉の頭を飽きる事なくなでなで宥めながら“喰べられる内に”と用意したご飯へと手を伸ばした。

お子様ランチを真似てドイツの国旗がぷすっと刺された新鮮な脳みそ、脂肪と血液を混ぜたオレンジ色のジュース、皮膚を剥がされた耳、片手間に蒸された乳腺。その他美味しいの数点。これらは、いつビビの容体が変わるとも知れないから5分以内に、と制限を掛けて狩ってきた宇宙人。の一部。死亡者の肉を買わずにわざわざ狩ってきたのは鮮度への拘りから。

大事な雌に新鮮で栄養のあるものを喰べさせたい、ただそれだけの為に殺されてしまった女性(宇宙人)は上質な部分のみをもぎ取られて、残骸はそっくりそのまま地下に転がされている。ウタの分が用意されていない事から、本当にビビの為だけに殺してきたようだ。いいとこ取りであちこち虫喰い状態だとはいえ、充分美味しく喰べられるお肉がみっちりとくっ付いているにも関わらず、ビビからの追加注文が入らない限りはこのまま冷たい床の飾りだなんて。宇宙人扱いもさることながら、口から吐いた血の泡も笑うほど随分な厚遇。

自分を差し置いてせっせと餌を分け与えるウタの献身的な愛情は片腕欠損の拍手くらい貰っても良いものだが、人間の目からしたらさぞ残酷で非道な行いに見えるだろう。なんて惨い事を、と白鳩の十字に目を伏せ祈るだろう。

もういらないから、と犬猫をガス室送りにする人間。舌にまろやかなフォアグラを得るため、家鴨の嗚咽は無言として胃に直接餌を流し込む人間。殺して食べる為だけに命を生み出す人間。

喰種よ絶えろと祈るよりも、懺悔する非道がある事だろうに。

地下に捨て置かれた肉はご近所にお裾分けか、このまま廃棄か。脳を引っこ抜かれた元人間宇宙人には到底分からない。

「、」

イトリがどうしたの?と言葉の先を待ってジ、と見つめるビビは、ジュースを弄るウタの手元なんて一瞥すらせずに只々赤い瞳を見つめる。期待と興味でぱっくり開いた瞳孔で、ジ、と見つめる。地下に宇宙人のご遺体が待機している事なんて少しも知らないし追加注文の予定もなし。

「ウーちゃん。」

「はい」

「イトリ?」

「んー?」

「……イトリ?」

「いろり?」

「?」

舌足らずを茶化すウタに、こてん。ビビの首が不思議にかしげた。さっきまであんなにへふへふしていた癖にイトリの名前が出た瞬間にこれ。くしゃみなんて平気そうな顔でジ、っとウタの言葉を待っている。万能薬さながらの効きっぷり。

お話聞いて、とお腹を引っ掻いてくる手や唇のリングをつんつん突ついてくる尖った鼻先は、そう時間の経たない内に痺れを切らすから、

ビビの子供みたいな唇が薄く開いた瞬間

「イトむ、…ゃふ…っ。」

ちゅうーっと唇をくっ付けて、いろりいろり煩い舌をねっとり舐め上げ黙らせた。

自分からイトリの名を出しておいて随分だが、今ビビにお話させたらしつこそう。だから、こういう時は早々に唇を塞いで舌を突っ込むに限る。拙くてはっきりお喋りできないビビのそれを根元からくちゅくちゅ構って、塗りつける様にべろりと擦り合わせて、大人しくさせている内に脂肪だらけになったスプーンで脳みそを掬った。脳も脂肪で出来ている事から、脂肪+脂肪でとても栄養たっぷり。見た目が不味そうとかで喰わず嫌いしているビビは微妙な顔をして嫌がるけれど。

逃がさないよう片腕で大事に大事に抱いたビビはすっかりウタの舌に弄ばれ、おやつを食べた時の様にくたくた。お口の周りはべったべた。意地悪してちゅうーっと吸い上げた甘い舌に、名残惜しいながらもちゅぽんっとバイバイした。ビビが飲み零した蜜もべろりと舐めとって、袖口でちょいちょいと拭ってあげて、はいおしまい。

「ぅ、…、」

イトリ菌の除菌完了。

ぐったりして胸に頬を預けるビビとは反対になんら変わりのないウタは、謝る様にもさりもさりと毛玉の頭を撫で、そして指先で摘んだ銀色のスプーンを見せびらかす。ビビの髪色よりも少しだけ濃い四方の髪、よりもずっと濃い鈍色のスプーン。当たり前の様に鎮座している宇宙人の脳みそ。

「いや?喰べたくない?」

「…。」

あのキスで怒られた気持ちになったのか疲れてしまったのか、あるいは喰べたくないだけか。申し訳なさそうな顔をしたビビが逃げる様にウタの胸へと一層寄り添った。

とろり、と脂肪の垂れるそれはデザートに例えても良い程の絶品なのに、唇に近付けて促してもビビのお口はムッ、と嫌がって開かない。宇宙人のだよ?と商品説明を足しても嫌なものは嫌らしく、ぱちりと情けない瞬きがウタの目を見上げている。

「ぼくが喰べさせてあげよっか?いいよ、それでも」

「…。」

口移しなら平気でしょ、とスプーンを自らの唇に近付けた。が、

「…やなの?」

「…。」

タシ、と止められる手。やはりいくら宇宙人の脳とはいえ喰べたくないようで。

お皿に用意されているサイコロカットの心臓をチラチラ見ている事から、そんな不味そうなのよりあっちのコロコロが喰べたいのになあ、とでも思っているのかもしれない。またむずむずと戦いだしたのか難しい顔をしたビビが、申し訳なさを前面に表す様に縮こまって胸に顔を埋める。情けなさ全開の姿。結構この申し訳なさそうな姿が気に入っている為、今にも滲みそうな蒼で様子を窺ってくる瞳をじぃっと見つめて首を傾げた。

ぺろりとピアスを舐める舌先に誘われたのか、へきゃふ…、ほんの小さなくしゃみが零れ、これまた申し訳なさそうにウタの服へと擦りつけられる鼻。はなみず。

そして、恐々とスプーンを見つめる弱虫の瞳。早めに寝かせてあげたいから無理に喰べさせる必要はないのに、こうも嫌がられると如何にかして喰べさせたくなってしまうもので。

もう、なんというか。
この申し訳なさそうな態度が宜しくない。具合が悪い時くらいはやめてほしいくらいだ。もっと見ていたくなってしまうから。

今だっておずおず覗いてくる姿に悪戯心が揺さぶられるし、ちょっとくらいはいいかな、なんて天秤が首を傾げている。反省したとはいえ結局また引っ張り出される意地悪な気持ちはどう見たって極悪毛玉のビビに擽られていて、そのいじめられっ子体質どうにかしてよ、と責任転嫁の溜息で以てビビの前髪をふうっと揺らした。


反省のうみそ



「美味しい?」

「おいし。」

もちもち咀嚼中であるビビのお口に近付く、美味しいサイコロ心臓を支えた銀色のスプーン。

もっと喰べたくて従順に開かれたお口へと招き入れられる瞬間、もう片方の手に摘まれていた脳みそ支えるスプーンがひょいっと滑り込んだ。あむ、無事にお招きされ、同じようにもちもち咀嚼。なかなか減らない心臓のお皿に疑問すら持たないビビは、まだあんなにたくさん喰べれるとホクホク顔で脳みそを喰わされている。

掏り替え給餌、ウタの得意技。

支えを失った小さな国旗が、ポロンと倒れてビビに訴えた。

それ、脳みそだよ。


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