泥棒とも言える努力で集めたウタとイトリの古着、何回も洗濯機で苛めたゴワゴワのタオルケット、ゲームセンターにて1回でぽとんしたエビフライのぬいぐるみ、底に少ししか残っていない瓶詰めおやつ、精神安定剤のウタ。病褥の共として望まれこの寝室に集められたビビのお気に入りたちは、ボスのウタを筆頭にフルメンバーである。

そして忘れてはいけないもう一つ。何かあった時に役立つ四角くて大きなお薬箱。木製で有り触れた茶色のお薬箱は初めこそビビからの寵愛を受けられずにいたが、少しでも仲良くなれたらと願ったウタの手でガーベラとバラの彫刻が成され、今となっては有り触れた茶色も柔らかい花弁となりビビに可愛がられる立場を得ている。

ウタが時間を割いて形にしてくれた想いの心臓は茶色であれ四角であれ三角であれ、同じ心臓で想うビビにとっては全てが宝物。だからビビの玩具箱にはウタがポイした背の低い鉛筆やもう飽きてしまったピアスなどがたくさん。古着と同じくコツコツ拾い集めてコレクションしたもの。調子が悪い時にいつもそばにあった嫌なお薬箱だってウタが手を加えたならそれはもう宝物だ。

目に痛い陽だまりにカラスの影が横切る寝室で、大人しく横たわっているビビが出番なくお口を閉じている薬箱から静かに目を移す。僅かな沈みと共にベッドへ腰掛けたウタをじっ、と見やる瞳孔は亀裂の様に細く、ヘレナの様に蒼い。

「悪巧み?脱走したいって顔してる。…残念だけど、もうどこにも行かないよ」

「いっしょ?」

「うん。ビビと一緒」

採血した血液サンプルをとある医師へと送り、少しでもストレスを減らすためビビのお気に入りをベッドに集める。そうしてせっせとやるべき事をこなすウタに覚束ない足で着いて回っていたビビは、何度ベッドに連行されてもフラフラと抜け出しウタを困らせていた。この目は今もまたウタの動向を窺っているよう。

この通りウタの心配なんてどこ吹く風。くしゃみ以外に症状がないとなれば体そのものは元気な為、ウタの気持ちもいまいちピンとこないらしい。ビビを飼育していた施設の方々を見習い、錠で以て縛り付ける事はもちろん可能だけれど、一緒にいようよ、そう寂しがって着いてくる毛玉を思うと気持ち的に不可能。やりたくない。

結局は厳しくできない自分自身とビビを甘やかして無駄な攻防戦を演じる事になるのだが、幸い分厚い前髪を避けてちゅっと労ったおでこに熱はなく、この甘やかしが悪い方向に転ぶ事はなかったと知る。――今の所は。

お薬箱のピタ冷えろも舞台袖で一つの安心を浮かべている事だろう。

想って乱される心を嫌とは決して言わないけれど、心配をさせたり、不安にさせたり、嫉妬をさせたり、いじめっ子にさせたり、この灰色毛玉の困った子はウタの感情に手足が生えて歩き回っている様なものなのに、そんな自覚なしでフラフラコロコロと掃除機から逃げる毛玉みたいに落ち着きがないから。――振り回されるって、大変。自分の事は棚に上げて、また今日もお兄さんぶった溜息でビビの毛先をほわっと揺らした。ブリキの如雨露が降らせた毛玉の雨に、胸のガーベラもぽつぽつと揺れている。

「へ…へふ…、

     ………ふ、」

ちゅ、ちゅ、とウタから可愛がってもらっている中、またまたマヌケな声を出すビビ。出そうで出ないくしゃみは鼻先をタンポポの綿毛が撫でた様なもどかしさ。

「どっか行っちゃった?」

「…いないになった、」

分かるよ、とでも言う様にうんうん頷いたウタが頬同士をぺったりくっ付けて宥めても、きゃふっとした勢いのあるくしゃみは居なくなってしまった模様。あの綿毛は小さいイトリにフーされてしまったのかも。

居合斬りに挑む武士も踵を擦ってたじろぐほどムッとした難しい我慢顔を思い出すと、マヌケなこれも愛らしくなってしまうから不思議だ。格好の付かない毛玉だからこそビビが好きなのか、ビビだからこそマヌケでも好きなのか、想い過ぎた今ではもう分からない。ただ言えるのは、服やら何やらにくっ付くしつこい毛玉も、それが灰色なら四隅のあるゴミ箱なんて必要ないということ。

そんな灰色毛玉にすりすりと数度頬擦ってから起こした身。ベッドについた手が柔らかい髪にじゃれ付かれ、覆って見下ろす宝物のビビにウタの影が落ちた。陽射す橙を受け、糸の様に細まっていた瞳孔がひゅうと音でも聞こえてきそうに丸みを帯び、じぃっと見下ろすウタを同じくじぃっと見上げる。

おっとりとした瞬きに言葉なき愛情表現、そよそよと陽気を招く窓。脱走防止の鳥かご鉄格子から遊びに来る陽光はぽかぽかと暖かく、フラフラ歩き回っては心配性のウタによって連れ戻されたこのベッドにシマウマ柄の影を描いた。狭い格子をすり抜けてまで会いに来てくれる温かい太陽、いつも一緒にいてくれるウタによく似て。

「、」

いつもなら。
いつもならビビは、鉄格子の向こう側をぼうっと眺めてくんくん鼻を利かす日が多々ある。晴天の空に渡るのはありんこに良く似たカラス、雨の窓辺をお散歩するのはビビの大好きなかたつむり、あまり自由の利かないビビにとっては狭い鳥かごの窓も立派なシアターになるから。

しかし、垂れるウタの髪を耳に掛け愛おしそうに瞬くビビは今日を切り取った窓辺に一瞥としてその蒼を運ばない。じ、と見上げる目が愛情を伝える様にゆったり瞬いては、覆う最愛に遮られる影の中で素直な瞳孔を休めるばかり。

身を寄せ合った当初は戯れに覆い被さっただけで震え上がりすぐ様うつ伏せて涙を落としていた為、リラックスしきったこの目元を見ればどれだけ信頼されているのかが良くわかる。野良猫と大差ないほど嫌がっていたお腹も抵抗なく触らせてくれる様になり、今では自分から仰向けになって“撫でて”と催促をしてくるほど。

安心を滲ませて凪ぐ瞳の海はあまりの恐怖で瞳孔が開ききっていた隅っこの目とはとても思えず、自分の身なりには少しの気も遣わない優しい義眼の人形師から「そこの角を曲がった柳の満月にね、ドールアイを交換したんだよ」と言われた方が余程の説得力があるだろう。本当に、よくここまで仲良くなれたと思う。

「…ビビの目って素直だよね」

「?」

「ほら、キラキラしてる。…そんなに好きなの?ぼくのこと」

「うん。」

大きく出たウタにも即答。毛玉のなんと素直なことか。恐怖にしろ、好意にしろ、ビビの目は嘘をつかない。だからこそ他の子に目が向いた時、どうしようもない嫉妬心であの蒼さえ哀しい海に見えてしまう時がある。

愛情を語る蒼。これが哀しい色だなんて、本来ならそんな筈はないと首を振れるけれど。――連れ歩く女の子を取っ替え引っ替えする日々に糸切りのバイバイをして、ビビと心臓を縫い合わせてから、気付いてしまった事が一つ。

恋とはとても我儘なもので、たとえ片想いでも一緒に居られたらいいと。一を望んだら、
想いを受け入れてほしい。二を望み、
抱えきれない愛を感じたいと。三を望んだら、
もう誰の目にも触れさせたくない。四を望む。

恋とは、我儘なもの。そうして増えていく望みの毛玉は10個並んでも100個並んでも尽きる事なんてなく、もう毛糸のマフラーにでもして上手い事付き合っていくしかないと諦める他なかった。少しでも熱を冷ます方法なんてどこを探してもないのだし、ビビなんて好きじゃないよと強がりの距離を置いてしまうと余計に想いの毛玉はコロコロと大きくなってしまうから。一身に受けるビビは大変でも、仕方ない。それがウタなりの愛情というもの。

「ウタこと、」

「ん」

「とても。」

「…とても?」

「うん。」

「“とても”なに?ちゃんと言って」

「?」

「………でた。いつもの知らんぷり」

そこまで言ったなら最後まで伝えてくれればいいのに。

ぱちぱち、と羽搏く瞬きは口程にモノを言うが、“好きです”と続きを紡がない唇はしっかりと日頃の意地悪をやり返しているようだ。この毛玉に報復の精神があるとは到底思えないけれど。

言葉にしなくとも想っている事に変わりがないビビは、体重を掛けないよう配慮をしてくれる大きい手に指を絡めて、にぎにぎと遊んで、そして口元へ。人差し指が甘噛みされるのを依然として眺めるウタは人間様にじゃれ付く仔猫に似た口元を眺めて首を傾げ、小さい癖に鋭い犬歯の奥でちらちら遊ぶ舌を指の腹でぷにっと圧した。

出会った頃、焦がれに焦がれたビビの唇が彫物だらけの指と遊んでいる。夢にまで見ても、夢にも思わなかった光景。

「…ビビが意地悪だから腕疲れちゃった。ゴロンしてもいい?」

「ビビも。」

「ビビはもうしてるでしょ」

「? うん。ウタこと、すき。とても。」

「……………それ今言うの?」

ごろん。
隣に寝転がったウタへ当然の様に引っ付いた毛玉が、もうとっくに過ぎ去った4小節目にセーニョのお返事をぽいっと投げた。もう一度聞きたいと強請っても襟に噛み付いてぐいーっと引っ張りながらの無視は予想通りで、有り難くない倍返し。しいて言えば瞬きが無言のお返事をした程度。

この様に地点を戻すダルセーニョ片手に好き勝手お喋りをするビビは、会話の順序を自分勝手にカチャカチャと組み立てては戻りたい会話にS字のセーニョ記号をぶん投げ、
そして現在の地点にダルセーニョのワープ看板をぶっさす。人並みの会話能力、喰種並みの会話能力、それらが備わっていない事を十分理解していてもなお目立つマイペースっぷり。波を揺らしては凪ぐ風の様なこれは、ビビにとって日本語教師であるウタの影響を多分に受けているようだ。

毎日一緒に起きて、毎日一緒に遊んで、毎日一緒にお喋りして、毎日一緒に泡泡になって、毎日一緒に寝て。触れ合う肌の細胞から赤と蒼まで溶け合ったとしてもなんら可笑しくない程べたべた寄り添う毎日では、お互いの影響を深く受けてしまう事も当たり前と言える。ビビのマイペースは間違いなくウタが大きく育てたもの。

くんくんくん、利かす鼻が胸元を探ってはぐりぐりと押し付けられ、合間合間にへふへふとしたマヌケな声が聞こえた。べたっとホールドをしてくるビビは寝技でも仕掛ける勇ましい柔道家を彷彿とさせるが、陽射しに煌めいたモコモコの髪は攻撃性の角なんか少しも無くなだらかで、どうにも綺麗で、不思議な色合いで。いつもは組み伏すビビに押さえ付けられるのも、そう悪くはないしむしろ好き。

「……、……ふ……………へっきゃふ!」

首筋をすんすん探検していたビビは襲ったくしゃみにやっとすっきりできたようで、ふにゃっとした溜息がウタの黒い毛先をほんわり撫でる。

と、

――ヴヴ、

間を置かずして、ウタのスマートフォンがくしゃみへ返事の着信を告げた。

「?」

「なに…だれ?」

水を差されるじゃれ合い。モコモコの髪を撫でて毛玉を可愛がっていたのに、音へ反応したビビはパッと身を起こしてしまう。こっちを向いて欲しくて太ももをむにむにしてもジ、と静止し耳を傾ける姿は宛ら犬だ。

サイレントに選ばれないという事はそこそこ重要な、或いは親しい人物からの連絡であるということ。にも関わらず面倒くさそうなウタは自分で出る気配など少しもなく、音の方向を特定しようと振り返っているビビの腰を撫でて代わりの確認を促した。

「、」

ウタの命令通りもぞもぞとポッケを探ったビビは、お目当のスマートフォンをすぽっと抜いて画面を確認する。過ぎた愛により束縛のキツいウタはしょっちゅうビビのスマートフォンをチェックしているけれど、その逆はなかなかに珍しい。ウタのそれにはビビの指紋だって登録されているしパスワードだって教えてあるのに、もう全く興味がないようでチェックされているのを見かけた事がない。だから、ウタのスマートフォン×ビビの光景はとても貴重。

ウタの視線の先で、フリガナがあるとはいえ少し迷って画面を見つめていたビビが、おっとりと瞬いてからウタへと目を向けた。ヴ、止まる振動は時間切れだろうか。

「れんじ。でんわ。」

「蓮示くんかあ…」

あの男がわざわざ連絡をしてくるという事は、よほど大きな何かがあったか酔っ払っているか。むぎゅ、とスマートフォンを胸に抱いたビビはウタの返答を待って首を傾げ、恐る恐るの非常にゆっくりな動作で身を伏せる。一層押し潰されるスマートフォンと、控えめなへっきゃふ。

大ごとだとしても四方は四方でうまくやるだろうし今はビビの為の時間だし、

「…うん、いいや」

かけ直さなくていいと手っ取り早く伝えるため、熟れた赤林檎の唇にかぷっと食い付いた。

酔っ払い四方なら通話中にしたまま放置すればビビの監視に支障はないけれど、これが家を空けなきゃならない大ごとだったらとてもとても頂けない。波が不安定なビビを置いていく事は論外であり、連れて行くのもまた論外。ビビの体調管理、ストレス発散、じゃれ合い相手、お昼寝用抱き枕、飼い主ウタにはまだまだやる事がいっぱいだ。

はむはむちゅっちゅと啄み合う唇の隙間を覗くエビフライのぬいぐるみやその他お気に入り達が暇そうに放置されているのを見れば分かるように、結局ビビにとって一番のお薬はウタ。――もしくはイトリ。

少なくとも今この状況でウタより勝るお薬なんてありはしない。激しい雨に花の香りを運ぶ鉄格子の窓も、舞台袖から遠ざけられたお薬箱も。このまま2人でのんびりするのが最善なら、あえて危ない橋を渡る事はないだろう。

じゃれ合いに区切りをつけたくないからもう少しだけ糸を縒り、体温を分けあって赤みの増す唇をツン、とした鼻先に押し付ければ、解放されて自由になった唇を言いにくそうにむにむにさせたビビが“怒らないでね”と前置きをするように鼻先へキスを返し、ごめんなさいの瞬きに連なって言葉を紡いだ。

「……もしもしって。ビビ…でちゃった。」

「…え。繋がってるの?それ」


やっぱり毛玉はセーニョを投げる。


様子見のS字※


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