25cm


「ささやーん!助けてー!」


工業高校では珍しい、女子の声。しかも俺を呼んでいる。よくも悪くも教室中の視線が集中する。

教室のドアから飛び込む勢いで、そいつは顔を覗かせた。


「どうした?」


それは1年の時同じクラスだった奴。2年以降は専攻学科が別れて以来、今では顔を合わせたら少し話す程度。


「次の時間関数電卓貸してー!」
「は?いいけど、お前が忘れるとか珍しいな」


あいにく俺のクラスには女子がいない。そのためクラス中の視線を間違いなく集めてるのに、奥山は全く気にしない。

奥山の求めるものを片手にドアに近付くが、息巻く奥山には誰も近寄らない。
触らぬ神に祟りなしって考えか、単純に女慣れしてないから近寄れないって可能性もある。


「あの脳筋に貸したのが間違いだった!私がバカだった!」
「鎌ちが壊したのか?」


奥山の言う脳筋が誰かなんてすぐわかる。1年の時、鎌ちも合わせて3人同じクラスで、その時からの呼び方だから。今でも後輩に言われてるしな。

関数電卓を渡すと短くお礼が告げられる。


「落としたとか言ってたけど、絶対嘘だね!外傷ないもん!かまちの馬鹿力で基盤が殺られたに違いない!」


どんな壊し方したんだ鎌ち。

少しでも奥山が落ち着くように、半分無意識で頭を撫でてやる。


「それ今あるか?」
「教室。ほんっと腹立つ!」


学校で使ってるやつは、けして安いものではないからな。もちろん世間には安いのもあるけど、奥山は今まで使ってた愛着ってやつも持ってるだろうし。


「電気工学の後輩いるから、直してもらうか?」
「え、いいの?!」


そう思って修理を提案してみたら、案の定表情が一変した。勢いよく顔をあげられて、咄嗟に手を浮かせる。

…危なかった。一瞬でも遅かったらこいつの顔面握りつぶしてた。


「聞いてみないとわかんねえけど、たぶん直してくれるだろ」
「わー!ありがとささやーん!」


飛び付かん勢いで手を握られる。そして振られる。

男兄弟の中で育ったらしい奥山は、男子との距離感がかなりおかしい。1年の時、俺と鎌ちでさんざん言って聞かせたのはいい思い出だ。
あれがなかったら誰彼構わず引っ付いて、今頃とんでもない悪名が付いていたことだろう。


「ほら、授業に遅れる前に教室戻れ」
「うん!終わったらすぐ返しにくるね!」


跳ねるように廊下を駆け出した奥山は、清楚と言うほど慎ましやかではないが、無邪気と言うほど純粋ではない。
それでも、なぜか奥山の周囲がキラキラして見えるのは、ここが工業高校だからなのか…


「…笹谷、いっ今の…か、彼女か?」
「いや、1年の時のクラスメイト」
「女子の知り合いがいるなら紹介しろよ!」
「あいつ見た目ほどかわいくないぞ?男兄弟の末っ子だから喧嘩っ早いし口悪いし」
「それでもいい!」


真実を告げても壊れない夢か…

まぁ、いつか現実を見るまで夢を見続けるといいんじゃないか?そんな日がくるならだけど。



▽▲▽
 


「うっさい!脳筋ばかまち!」
「誉めてんのか貶してんのかどっちだ!」
「100%純粋に貶してるに決まってるべや!?」


廊下で見かけたのは、場所なんてお構いなしに喧嘩をする2人…
見かけると必ずと言っていいほど言い合いしてるけど、よく飽きねえな。


「まぁまぁ、落ち着けって」


鎌ちの肩と奥山の頭に手を乗せると、そのまま距離を取らせる。

近すぎるからな。他の奴の目に毒だからな。相変わらず頭に血が昇ると距離感が狂う奴らだよ。
いや、奥山に限って言えば距離感がおかしいのはいつものことか。


「だってかまちが」
「だってこいつが」
「鎌ちは今日関数電卓壊したんだろ?そのことをまずはちゃんと謝れ」
「…それはすまん。悪かった」
「奥山は許してやれ」
「…ささやんが言うなら」


よしよし、聞き分けが良くて何より。
不貞腐れた奥山の頭に手を乗せたまま、何度か撫でてやる。


「で、今度はなんの喧嘩してたんだよ」
「聞いてくれよ笹やん!こいつ伊達工じゃなくて青城応援するとか抜かしやがんだよ!」
「当たり前でしょ?!青城の方がイケメン多いもん!」


そう言うもんなのか?


「おま、ふざけんなよ!俺ら応援しろよ!」
「いや、かまちはないわー」
「鼻で笑うなや!」
「あ、あの子ならありかな。1人だけイケメンいたでしょ?」
「は?誰だ?」
「ほら、おっきい人とよく一緒にいる…」
「バレー部基本デカいから」
「えー?んー、茶髪でちょっとチャラそうな…」
「二口か!」
「名前知らないけど、たぶんそれ」


あー、まぁ奥山も女の子だもんな。イケメンがいいよな。そうか、奥山は二口みたいなのがタイプなのか。口は悪いけどいい奴だしな、見た目より真面目だし…二口ならまぁ、うん、いいかな。じゃあ青城の及川とか好きそうだよな。及川は雑誌でもよく取り上げられるから、目につくことも多いしな。でも及川がいい奴なのかは俺にわかんねぇし…やっぱりよく知らない青城の奴と突然付き合ってます報告されるよりは二口と付き合ってますって報告の方がいいな。
二口よりも青根の方がいろんな意味で安心できるけど、青根はどっちかって言うとイケメンじゃねえからなぁ。めちゃくちゃいい奴だし優しい奴なんだけど、怖いからなぁ。


「笹やんはどう思う!?」


すっかり考え込んでいたから、鎌ちの言葉にすぐ対応できなかった。
目の前には俺の回答を待つ2人。


「鎌ちよりはましかと…」
「は?」
「ささやん、体調悪い?」


答えたらなぜか心配された。
え?なに?なんか違ったか?


「悪い、なんの話?」
「食堂の麻婆豆腐の辛さについて」


イケメンのくだりはどこにいったんだよ!
くそ真面目に考えて損した!


「辛さが足りないと思うんだよな」
「誰もが食べやすい辛さにしてるんだから当たり前でしょ?ホーントかまちはバカなんだからー」
「お前ことあるごとにバカって言うなや」
「でも当たってるじゃない」
「うっせ!」
「かまちは機械と話せないべ?」
「いや話せねーし話す必要もねーし。お前も家作れねーべや」
「そこはかまちにお願いするし」
「俺も機械はお前に任せる」


よく喧嘩はするけど、なんだかんだ仲いいんだよな。


「ほら、そろそろ行かないと部活遅れるぞ」
「おお!」
「じゃあ頑張ってね。そろそろ大会だったよね?」
「ありがとな」
「つーか結局応援すんのかよ」
「そりゃあね」
「プロコンは?」
「これから。今年こそ全国の頂点に立つ」
「奥山も頑張れよ」
「うんっ」


軽く手をあげるとすぐさま奥山の頭が突っ込んでくる。
ばあちゃんちの犬と同じ。条件反射なんだろうな、きっと。



▽▲▽



「笹やんさ、」
「ん?」
「あいつの頭撫でるの癖だよな」
「そうか?」
「おう」
「ちょうどいい高さなのかもな」
「それはわかるな」
「鎌ちの肩と同じくらいの高さだし」
「…え、そこ?」

(2016.08.19)