木漏れ日の間


「あ、けーじくーん」

時間は間違えていないはずだが、そこには既にいろはさんがいた。
春っぽい淡い色のワンピースに茶色の羽織を着込んだいろはさんは、いつもと印象が違って見える。

「すみません。待たせてしまいましたか?」
「そんなことないよー?」

俺の肩より少し下から見上げてくる表情に嘘はない。まだなにもしてないのに、既に楽しくて仕方ないって顔にかいてある。

「大丈夫でしたか?」
「うん。何回か道聞かれたから、交番の場所教えてあげたくらいかなぁ」

それはたぶん、と言うか間違いなくナンパです。言っても気付かないのがいろはさんだから、あえてなにも言わないけど。
つーか何回かってなんだよ。そんなに声かけられたのかよ。次は絶対いろはさんより先に来る。

「あまり待ち合わせ時間より早く来ないでください」
「だって、楽しみでお家にいられないんだもん」

そう言っていろはさんがふくれる顔は、本当に俺より年上なのか疑うくらいにかわいい。
木兎さんをはじめとして、なぜ俺の回りには年相応な人が少ないのか…解せない。

「もし声をかけてきたのが危ない人だったらどうするんですか」

するりと右手を拐って歩き始めると、いろはさんもつられて歩き始める。
歩き始めは少し遅れて歩くいろはさんも、ほんの一瞬の後には隣に並んでる。

「そのときは、けーじくんが助けてくれるでしょ?」

さっきとは違う見上げ方。覗き込むように見上げられて、一瞬すべての音が消えた。
この人は、時たまいつもの幼さを感じる可愛らしさを何処かに隠して、女の人の綺麗さを突然表す。これを無意識でやってるのか、それとも作為的にやってるのか。
もしそうならとんでもない策士だ。

「…あいにく、俺はスーパーマンじゃないのでいつもは無理ですよ」
「えぇー」

俺が必死に返した言葉も簡単に一蹴される。小さく笑う姿は、無邪気さよりも淑やかさが勝っているようで…ホント、困る。

「いろはさんは、どこか行きたいところでもあったんですか?」
「ないよ?」
「え。じゃあ今どこに向かって歩いてるんですか?」
「さぁ?」

さぁって…

「けーじくんが歩き始めたから、どっか行きたいところあるのかなぁって思ってた」
「それは、すみません」

偶然部活が休みになった事を知らせたら「それなら出掛けよう」と言い出したのは、いろはさんの方だったはず。
まさかなにも考えてなかったとは。

「けーじくん、いつも部活大変でしょ?だからね?色々考えたんだけど、よくわかんなくなっちゃって」

…なにも考えてなかったんじゃない。

「俺のことは気にしないで、いろはさんの行きたいところ行きましょう」
「でも疲れてるでしょ?」

そうだった。いろはさんがなにも考えてないわけがなかった。

「疲れてないですよ。だから、今日はいろはさんの行きたい所に行きましょうか」

俺はほとんどの時間をバレーに費やしてるし、いろはさんは受験生。更に学校も違うとなかなか時間が合わない。
たまの電話でも俺のどうでもいい話を楽しそうに聞いてくれる人が、会えるとなってなにも考えてなかったなんてあるわけない。

「どこに行きます?」
「じゃあね、洋服ちょっと見て、そのあとは上にある水族館行きたいなぁ」
「いいですよ」

嬉しそうにへにゃりと笑うと、やっぱり、とてもじゃないけど年上には見えなくなる。

「どうして水族館なんですか?」

いくつかお店を冷やかして回った後、ふと思ったことを聞いてみた。

「マンボウがね、見たいんだぁ」
「マンボウですか?」

まさかマンボウが出てくるとは思わなかった。ペンギンとかアザラシとか、そう言うのじゃないのか。

「マンボウはね「正面からくる魚とぶつかったらどうしよう!」って思っただけで死んじゃうような豆腐メンタルなんだよー。かわいいよねぇ」

それがかわいいかどうかは、あいにく俺にはわからない。たぶん、わかったところでどうとも思わないだろうし。

「それ本当なんですかね。「空中の虫を捕食しようと跳ねた後、海面に落ちて死ぬ」って言うのは信憑性ありますけど」
「メンタルはマンボウに聞かないとわかんないからねぇ」
「…その発想はなかった」

なんだその発想。普通魚に聞くって発想出るか?いや、木兎さん辺りなら考えなくもないか…

「けーじくんどうかした?」
「いや、木兎さんに教えたら少しはおとなしくなるかなと…あ」

しまった。こういう時って、違うこと考えてるとケンカの元になるってなんかで見た気がする…

「あ、いや、今のは」
「あのうるさい主将さん?うーん…どうかなぁ…」

…なんて思ったのに、まさかのいろはさんが本気で悩み出した。
なんだこれ。洋服掴んだまま、本気で会ったこともない木兎さんが黙るかどうか脳内でシミュレーションする彼女を見てる俺って。なんなんだ。

「なんだか面白いことになりそうだよ」

しかも面白い形でシミュレーションが終わったらしい。…うん。よくわかんなかったけど、いろはさんが楽しそうでなにより。

洋服はもういいらしい。シミュレーションしている間に頭の中はすっかりマンボウ一色になったらしく、洋服の代わりに俺の手を取るとエスカレーターに向かった。

「けーじくんの先輩に会ってみたいなぁ」
「会わなくていいです」
「なんでー?」
「なんでも」

会わせろと駄々をこねるいろはさんを先輩たちに会わせたらどうなるか、考えてみた。

木兎さんくらいなら、まぁうるさそうだけど会わせるくらいなら大丈夫かな…そうだな、木葉さんが1番めんどくさ…いや、以外とマネージャーが…あー…

「やっぱりなしで」
「えー」
「いろはさんの制服も私服もほとんど見てないのに、木兎さんたちが当然のように目にするって考えたらムカついた」
「…なにそれっ」

いろはさんは吹き出したけど、その理由はよくわからなかった。なにか笑えることを言ったつもりはない。
考えてみたら、なんとなくいろはさんと先輩たちが仲良くなれそうなのはわかった。特にマネージャー。でもなんかもやっとして、こう、嫌だなと思った。

「それってつまり、ヤキモチですか?」

そういろはさんに言われて、自分の言葉を思い出して、しゃがみたくなった。消えたい。今すぐに。
エスカレーターに乗ってるからそんなことできるわけもなくて、苦し紛れに右手で顔を隠しながらいろはさんに手を引かれてエスカレーターを登り続ける。

「けーじくんも、ヤキモチなんて焼くんですねぇ」
「…悪いですか」
「いつもは少しもそんなそぶりないのに」
「いろはさん女子高じゃないっスか」
「そーだった!」

あーくそ。やらかした。あー。

「共学の学校に通ってる彼氏持ちはいつもそんな気持ちなんですよぉ?」
「…思ってないくせに」
「あ!そんなこと言うんだー。そんなこと言ってたらねぇ、今度合コン行っちゃうんだからねー」
「は?え、合コンってリアルでやるんですか?」
「うん。そうみたい」
「…行かないですよね?」
「どーかなぁー?」

ああ、もう。楽しんでますよね?嘘は年1回、午前中だけで充分なんですよ。

「けーじく…」

にやにやと楽しそうに言葉をこぼす口を、塞いだ。

「エスカレーターって、一般的な階段より段差が高いから、目線が近いですね」
「うん。そうだね」
「身長が並ぶことなんて滅多にないんで、こうなるといろいろしやすいですね」
「人目があるよ?」
「虫除けです」
「ふふ、ヤキモチ焼きだ」
「悪いですか」
「悪くないよ」

今なら、手で触らなくても魚を火傷させられそうだ。なんて思った俺も、大概バカなのかもしれない。

2017/04/18