かまってちゃんとスポイラー
「ごめんねぇ、せっかく来てくれたのに。」
「いえ。」
「誰とも会いたくないって。」
これで、何度目だろうか。
『うそつき』
俺が彼女に放った言葉。彼女が傷付くのはわかっていたこと。気にするのもわかっていたこと。
このままずっと学校に来ないかもしれない。
それも、わかっている。
多分もう、どこにも頼れなくて、どうすればいいのか、わからなくて、小さな身体を、小さくして丸まっている。
どうすれば無かったことになるのか、どうすれば、全ての人が許してくれるのか、思考を巡らした結果、解決策なんて見つからなくて、ただ、泣いている。
それほどに弱くて、脆い。
愛しい人。
「きーちゃんがきてるって言っても、首振って嫌がるの。・・・どうしちゃったのかしら。」
「ご飯は、ちゃんと食べてますか」
皐月さんは、困った顔をした。食べてないんだな。
余計なことをしたのだろうか。
傷つけたくない。そんなものは建前だ。
あの2人のグダグダした依存を、ぶった切ってやりたかった。
あいつが、中途半端に繋ぎ止めているから、楓も心の隅で奴のことを思ってしまっている。
あの男には勝てない。
俺との数年間など、2人の十何年には到底及ばない。俺はイケメンでもないし、頼り甲斐もない。逞しくなければ、奴みたいな技量もない。
それでも、あいつよりは幸せに出来る。自信というよりは意地だろう。
照れながら呼ぶ声が愛おしい。
誰にも渡したくない、なんてありきたりだが。
振り向いて欲しいから、と手当たり次第誰かと付き合って、焦らせる、なんて幼稚な事はしない。
別れを切り出されて、嫌だと駄々は捏ねたけど。それくらいのわがまま、許されてもいいだろう。
あの小さな身体を抱きしめて、「もう!顔酷くなっちゃった!」と笑いながら、泣くあの顔を、みたい。
そう思った。
・ ・ ・
ーチクタク、チクタク。
秒針だけが鳴っている。
部屋の、端の、ベッドの、端。
体育座りで息を潜める。
足元に並べられたたくさんの写真。油性ペン。塗り潰したのは自分の顔。
「めいわく、」
復唱する。
ずきりと胸の奥が、痛む。こんな痛み、くそくらえ。
自業自得。
なんて素敵な言葉なのだろうか。私のためにある言葉なんじゃないのか。
私は弱い。大馬鹿野郎のくそ野郎。
こうなること、わかっていたじゃないか。
瑞穂が怒るのは当たり前。誰だって怒る。いつか必ず訪れるであろうそれを、後へ後へと引き伸ばした。結果怒りは募るし、自分自身のいらない感情が増して、いいことがない。
私自身、いなければ、こんなとにはならなかったろうに。自分自身、いなかったことにすれば、みんな笑っていたのだろうか。
馬鹿なこと言わないで、多分そういうんだ。
結果全ての写真を、黒く塗り潰す事しか出来なかったけど。
「うそつき、」
迷惑よりも、響いた。言葉だけじゃなく、誰に言われたか、そこが重要。まさかこんなにもくるなんて、つまりそういうことだ。
「・・・楓。」
「・・・なんで、」
及川という男に対する気持ちがあるというのに、付き合ってしまった彼。私が気持ちをフラつかせているのを、見過ごしてきた彼。
なにも望まずに、隣に寄り添ってくれた彼。
今、目の前にいる。
「なんで、いるの。」
「・・・ご飯食べなよ。」
私の問いには答えずに、悲しそうな顔で告げる。私は彼に我が儘ばかり言っている。
それでもそばにいてくれる。
利用している。そうでしょ?
米原楓はずるい女だ。
早く解放してあげなければ。こんな女から。
「・・・別れよ。」
最近、言葉を発しなかったからか、声が小さくて聞こえなかったかもしれない。
「・・・痩せたね、楓。」
今の言葉など聞こえていなかったのだろう。彼は少しずつ近づいてくる。
「もう、終わりだよ。別れよ。」
「なんで、顔塗りつぶしちゃったの。」
ばらまかれた写真に彼は手を伸ばした。
全ての写真。私の顔だけ真っ黒だ。
彼との写真も、全て塗りつぶした。
小さい時のも、家族とのやつも。
でも、満たされない。
「もう、君、飽きたから。」
「大切な思い出でしょ?なんで消すの。」
交わらない会話。
合わない視線。
互いに見つめているのは、無様な写真だけ。
隣に映る人間は全て、笑顔だったのに、私がそれを壊した。
「ねえ、なんで話を聞いてくれないの?」
「熱はもう無い?下がった?」
それでも私の言葉に返事はしてくれない。
「お願いだから、話を聞いてよ。」
最近の自分だったら、ここで声を張り上げる。でも、そんな気力もない。
悲願するように言えば、彼は私の前にしゃがんだ。
視線が交わる。
久々に見た彼の顔。
「…何?楓」
「別れたい。」
「どうして?」
ベッドの前にしゃがみ、こちらを見上げてくる。手に触れて来ようとしていたのに、引っ込めたのは私の方。
どうして?
その理由を聞いてどうするの?わかっているじゃない。わからないわけがない。
…ああ。これが及川の言っていたことかな。
「知ってたよね。私が及川好きなの。」
「うん。」
「あなたとお付き合いしたの、うっかり返事しちゃっただけだって。」
本人には、直接的には言わなかったけど、わかってたみたいだし。
卒業式。
終わったらみんなで遊び行こう、そんなしょうもない約束で気持ちが高ぶり、彼の告白を理解しなかった。
好意ではなく、尊敬だと思っていた。
もしかして、恋愛的な?とも最初は思ったけど、まだ中学一年生だもん、それはないない。と、自分の中で解決させてしまった。
好きになったら関係ないもんね。私だってそうだった。
「…そうだね。」
ーごめんね、私、好きな人がいるの。
そんな簡単な言葉。言えずに何年も何年も。
デートをした。映画館も行った。公園で散歩した。遊園地ではしゃいだ。手を繋いで花火も見た。家でまったり過ごした。
そう。デートだ。
好きでもない相手とデートなんて、総バッシングだよね。
罪悪感にまみれたまま、彼と数年間過ごした。
その間に、少しずつ背が伸びて、声変わりをして。抱きしめてもらうたびに、安心するようになった。私だけに向けてくれる笑顔に、胸が高鳴って。
私は及川が好きなのに。
及川が好きなんだ。
自己暗示のように繰り返した。
今度こそ、今度こそ言おう。そう思った時、瑞穂の気持ちを知ったんだ。
「…俺は、楓とお付き合いをして。…付き合えば付き合うほど、楓の事、すごく好きになった。」
「……。」
ストレートに言ってくれる。
胸が締め付けられるのは、…罪悪感なの?
「好きだなって思ったのは、俺だけなの?」
泣きそうな顔で彼は言う。
そんな事、ないよ。
「そ…」
言ってどうするの?
あの胸の高鳴りを、好き、と表現したとして。じゃあ私が及川に抱いている感情は何になるの?
二人とも好き?そんなの、世間一般では許されない事だよ。不誠実だよ。
今、他の人と付き合っている自分が、言えることではないけれど。
「…ごめん、なさい。」
また、謝罪の言葉だった。
情けない。かっこわるい。
「だから。もう。終わりにしよう。」
言った。
目を見て。
もう、流せないよ。
「…そう。」
彼は小さく呟いた。そして静かに立ち上がる。
これで。終わる。
一つ、終わる。
安心したのもつかの間、返答は望んでいたものではなかった。
「その意見だけは、聞けないよ。」
絶望感、だった。
なんで?
思われていないのに。
どうして、別れないの。
「…なんでっ!」
「別れないから。」
理由を聞いても、彼はそれだけを告げて、静かに扉を閉めた。
反射的に枕を投げた。扉にぶつかるだけで、そのあとは何もなかった。
時計の針の音だけが、虚しく響いた。
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