フラグ建築士と回収者



遡ること約二週間前。



「初めから、瑞穂なんか好きじゃなかった。」

小さく俺と松川に告げた唯川の声は震えていた。
怒りか悲しみのどちらかなのか判断しかねるが、柳野をどれだけ案じているのかは嫌でも分かる。
しかし、唯川の言うことに疑問が残る。つか謎しかない。

「それじゃ、なんで及川は柳野と付き合ったわけ?一応、及川から柳野に告ったんだよな?」

いつの頃からか一緒に帰るようになってた及川と柳野。
冗談混じりで付き合っているのか聞けば、及川はいつも通りヘラヘラ笑って肯定しやがった。
あまりにアッサリ告げられたもんなので、色んな意味で度肝を抜かれた。

率直な俺の感想は「まじで?」だ。
だって散々「付き合うなら明るくて活発な子!」って言ってたよな?なんで柳野?全然ちげーじゃん。

俺が認識する柳野は真面目・控え目・おとなしいが揃った人畜無害優等生。悪くいえば、地味。
副会長やってるけど、会長がどえらい美人なもんだから尚更際立つ。
柳野をディスるつもりはないが、やはり及川の理想とする女子とは真逆だ。

及川が真剣交際を始めた、だと… !
と、妙な感動さえ覚えたというのに一体どうしてくれよう。
だって自分の好みと全然違うタイプと付き合うってことは遊びじゃなくて本気なんだろうって思うじゃん。
少なくとも柳野は真面目な奴だから、そもそも遊びなんて無理っぽいし。

だけど健全に見えた男女交際は不健全の塊だったわけだろ?
好きでもない相手と付き合う理由は?意図は?なんで付き合うことになった?

「さあね。あんな女泣かせ最低クソゲスゴミクズ野郎の真意なんざ知らないわよ。」

吐き捨てるように答える唯川。
おう。とてもじゃないが生徒会長様々が見せるお顔と言葉遣いじゃないぜ。

「だけど。」

唯川が唇を噛む。

「瑞穂が報われない。」

唯川は続ける。
悲しそうに。悔しそうに。

「自分が片思いしてた相手に告白されて付き合うことになったのに、その相手は自分を好きなわけじゃなかった。これって、どうなのよ?瑞穂の気持ちはどうなるのよ?確かに瑞穂は何も欲しがらない子よ。知ってるわ。だからこそ、どうなのよ。アイツは瑞穂の気持ちを踏みにじりやがったのよ。そうじゃなかったら、瑞穂があんなに泣くわけない……ふっざけんじゃないわよ!」

唯川が己の右拳をテーブルへ叩き付ける。
ビクリと肩を揺らした店員と客数名がこちらに訝しげな視線を送る。
すいません。なんでもないです。

「あの底辺野郎は何様のつもりなのよ!瑞穂は真剣な気持ちでいたっていうのに蔑ろにしやがって!瑞穂が真面目で面倒くさい女ぁ?おまえの目は節穴かっての!」

わなわなと肩を震わせ、髪をかきむしり、ヤクザも裸足で逃げ出しそうな般若の面になる。
脳内で阿鼻召喚の図が浮かぶ。
美人が怒ると迫力があるって本当だったんだな。
憤怒の炎で焼き殺されそうだわ。
これが自分に矛先向けられたら逃げられる気がまるでしない。

「ああもう!こんなことになるなら松川推しておくんだったわ!」
「え?俺?」

いきなりベクトルがコーヒーをすすっていた松川に移った。

「そうよ!だって及川なんかより、紳士だし、オトナだし、誠実だし、何より女の子泣かせたりしないでしょ!」
「まあ、泣かせたくはないね。」
「でしょ!松川のほうが断っ然というか、ゼッタイ瑞穂とお似合いだわ!」
「ハイハイ、ありがとうな。」

力説する唯川に松川は軽くあやすように相槌を打つと、視線を飲み掛けのコーヒーに移す。

「……」
「松川?」
「松?」
「んー、たぶん俺は柳野と付き合えないなぁと思ってね。」

無言になった松川に首をかしげれば、松川はやんわりのたまった。
数秒沈黙。

「は?何アンタ瑞穂じゃ不満だっての?」
「違うって。」

会長、目が据わってるぞ。
極道の妻が務まりそうなくらい眼光が鋭くなった唯川に構わず、これまた松川はやんわり否定する。

「推してくれるのは嬉しいけどさ、それこそ柳野の気持ちはどうなんの?」

松川はコーヒーに口づけて、カップをそっと置いた。
カップが皿に触れて、小さく音が鳴り響く。

「仮に俺と柳野が付き合ったとして。俺が唯川に言われたから付き合うことになったって知ったらどう思う?何も知らないまま事が進められてたら、いい気分はしないだろ。柳野の性格なら特に。」
「…そりゃ、そうだけど。」

ヒートアップしていたものが幾分治まってきたのか唯川がいつものトーンになる。
それを見た松川は頬杖をついて小さく笑う。

「あと俺は誰かに言われて安易に付き合うような軽い人間にはなりたくないかな。」

…なんだろう。
やけにコイツが大人びて見える。
ほんとに同級生か?

「ま、柳野のことも心配っちゃ心配だけど。俺としては米原も大丈夫か?って感じ。」
「楓?」
「米原?」

きょとんと目を丸くして、俺と唯川は首をかしげる。

「なんか最近ソワソワしてるっていうか、柳野に対してぎこちないっていうか?」
「しょうがないわよ。楓はあのバカと幼なじみだもの。複雑な気持ちにもなるでしょうよ。」
「幼なじみと親友が修羅場とかマジおつ。」
「見たくはないわな。」
「はぁ…」

ため息をついて、唯川は窓の外へ顔を向ける。

「瑞穂も楓も…何も無きゃいいけど…」

唯川が呟いたその二日後。
柳野と米原は衝突した。



・・・




休日練習は一日が濃いけれど、過ぎてしまえばあっという間に終わる。

いつも以上のメニューをこなし、自分の長短所を見直していく。
今日も今日とて高密度な時間を過ごし、後片付けを終えて部室に向かう。
体育館を出ていく際にちらりと端を盗み見る。
いつもなら三人並んで本日の決定率やらなんやら云々を話しているのに、一人足りない。

あの日以来、米原は部活どころか学校にも来ていない。

岩泉が米原の親御さんに聞いた話だと、風邪引いて熱が下がらず、ずっと寝込んでるそうだ。
今日の時点で、すでに片手じゃ足りない日数を休んでいる。
…風邪だけが原因なら、いいけどさ。

「なあ、松の字よ。」
「なんだ、花の字よ。」

隣にいる松川に声を掛ければ、ノリを合わせて返してくれる。

「先週から我が部内で修羅場イベントが多発しすぎやせんかえ?」
「あー、実に濃かったのう。呪いでもかけられたのやもしれぬな。」
「だとしたら誰が恨みを買って来やがったかや?とんだ巻き込まれ事故だな。」

ため息が出る。
二週間ほど前から勃発しているこの事件数は一体なんなのか。

米原が及川をぶん殴り、及川と柳野の破局発覚。
唯川が及川に口撃、騒ぎに聞きつけた監督・コーチによる説教を受ける。
ケーキバイキングで柳野の大食いっぷりを目の当たり後、唯川探偵による破局に関する推察。
米原と柳野の喧嘩、米原は翌日から部活に来ず。

練習試合前だというのに及川が「ごめん軽く左足捻挫しちゃった」と言って岩泉に前頭部スパイク喰らったのは通常運転だから置いとく。
練習試合は滞りなくやれたので問題は無し。

あー本当に意味が分からん。わけが分からん。どうなってんだ。
青城バレー部の事件簿ファイルは分厚くなるばかりで一向に解決の兆しが見えない。

「またなんか起きちまうのかな…」

こう続くと次の心配が出てくる。
いやホント部内で修羅場とかマジ勘弁だしもう起きてほしくないしスッゲー嫌なんだけど…


「花さんや、それフラグだから。」


げんなり笑う俺に松川がつっこんだ。
口は災いの元って、誰が言い始めたんだろう?
俺が実感するときまで、そう時間はかからなかった。




「あ」




部室に入って、自身のロッカーの手前で気付く。

「どした?」
「…サポーター置いてきた。」
「まだ体育館カギ閉まってないだろ。行ってこいよ。」

すでに帰り支度を終えた岩泉がカバンを背負いながら、親指を体育館の方へ差す。

「…岩泉、着替えんの早ぇな。あれ、及川は?一緒じゃねえの?」
「今日は菜々実と帰っから。及川は便所行ってる。まさにクソ川だな。」
「うわー…」

ノロケおつーなんだか及川おつーなんだかわかんねー。

「なんだ、その顔?」
「イエ、ナンデモナイデス。」
「花、負けてる。早く取りに行ったら?センセーが見回りきたときに見付かったら面倒だろ?」
「ですよねー。」

どうせ明日も同じ体育館を使うから、そのままでもいいんだけど、そういうわけにもいかない。
俺達の代じゃないけど、いつだか私物紛失騒動が起きて一悶着あったらしい。
それ以来、忘れ物・落とし物などの件に関しては中々面倒なことになっている。

なので、基本的に置きっぱなしというのは出来ないのである。
見つかった日には自己管理云々について生徒指導から直々に説教をもらう。
もちろん、そんなの御免だ。

「ちっと行って来るわー。」
「おー。早く戻れよー。」

再び俺は体育館に向かう。
初夏に近づいているとはいえ、すっかり日が暮れれば肌寒い。
体の汗が引いたあとは余計に冷える。
休日ということもあり、校内で電灯が点いている箇所は限られているため薄暗い。
言うまでもなく生徒は少ないから、いつもより静かだ。

職員室の脇を通り抜け、校舎から出て体育館に近づいていけば、扉から灯りが漏れていた。
重厚な体育館の扉を開けて中に入れば、誰もいない。
消し忘れじゃねえよな?
最後に体育館出たのは誰だっけ?

「花巻くん?」

短期記憶を辿っていると、後方上から声が降ってきた。
振り返って首を四十五度にすれば、柳野がバインダーを持ってギャラリーに立っていた。

「どうしたの?忘れ物?」
「そー。サポーター置いてきちまってよ。」
「あ、花巻くんのやつだったんだ!ちょっと待って!今持っていくから!」
「おー、さんきゅー。」

柳野が小走りで、こちらに向かう。
別にそんな急がなくても大丈夫だろうに。
多少呆れつつギャラリーに上がる階段へ歩いて行けば、慌てて降りてくる影が見えた。
真面目っつーか、なんつーかなぁ…
柳野は俺に気付くと、またパタパタ走ってくる。

「はい、どうぞ。」
「ほい、どうも。」

無事に柳野からサポーターを受け取る。
ふう。これで説教地獄は回避した

「ごめんなさい。すぐに持っていけば良かったね。」
「別にいいよ。むしろ体育館カギ閉まってなくて、こっちはホッとしたし。お前ひとり?唯川は?」
「菜々実ちゃんには先に帰ってもらったの。岩泉くん待たせたら悪いから。」
「あー、そういや一緒に帰るって言ってたっけ…」
「菜々実ちゃん、最近ずっと私と一緒に帰ってるから…私が今日は岩泉くんと帰りなよって言ったの。最初は断られたんだけど、岩泉くんが来てくれて最後は了解してくれた。」

柳野は苦笑する。
唯川が自分と一緒に帰る理由を解っているからだろう。
もう一人の親友とあんなことがあって、おまけにその相手はずっと休んでいる。
仲直りは、おそらく出来てない。
唯川が岩泉と帰ってないことが、その証拠だ。

「そうかい。そんで久々の夫婦水入らずを提供した柳野副会長は残って何してんの?」
「ああ、これやってたの。」

柳野がバインダーに留めてある「確認表」と題された紙を見せる。
ずらずら長たらしい上、事細かく書かれているチェック表。

「うわ、見るからに面倒だなコレ。」
「慣れれば、そうでもないよ。今日の分は済んだし、あとは提出するだけだから。」
「コレ出さなきゃなんねーの?更にめんどいな。」
「大丈夫、土日は職員室のドアに掛けておけばいいだけだから楽だよ。」

職員室に行く時点で全然楽じゃねぇと思うのは俺だけか?

「コレ、持って行ってやろうか?」

同じ部員といえど、当然ながら着替えは男女別。
マネージャーが使っている更衣室と俺達の部室は体育館を挟んで向かいだ。
女子のほうが体育館に近いが、職員室まではいささか距離がある。
職員室まで行くのなら、俺が掛けていく方が合理的だろう。

「ええ?そんなの悪いし、いいよ。花巻くんの帰る時間が遅くなっちゃう。」

俺の申し出をやんわり断る柳野。
その言い分はおまえにも当てはまるだろ、と声に出さず突っ込んだ。

「そう?そんじゃ、よろしく。さーて、さっさと戻るか。」

柳野の返答は予想通りではあったから、そのまま承諾する。
これが唯川だったら「花巻頼んだ」の一言だろうな。
米原なら、きっと一度断るけど「ゴメンまきまきお願い暗いの嫌だから一緒に行って!」とか言って結局行くことになりそうだ。
アイツ怖がりだしな。

「…………。」

一週間以上、顔を見ていない。
もうひとりの、俺たちの大切なマネージャー。

「なあ、柳野。」
「うん?なに?」


米原のこと、どうなった?

舌に乗せようとした言葉をすんでのところで飲み込んだ。
聞いてどうする?
俺が聞いたところで、解決できているのなら大したことじゃない。
女同士のいざこざなんざ、男の俺には理解できないだろうし、首を突っ込んだところで何も出来やしない。

でも思うのは。
また三人が揃って並んでいる姿を見たいってこと。

「花巻くん?」

呼び掛けといて、そのあとが続かない俺に柳野は困惑しているようだった。
俺は笑ってごまかし、結局なんてことないことを口にした。

「やー、またケーキバイキング行きてぇなって思ってよ。」


今度は、みんなで。


「ああ、そうだね。また行けるといいね。」
「次は二十皿完食?」
「さ、さすがに二十皿は食べないよ…たぶん。」

その返事に吹き出せば、バインダーで口元を隠しながら柳野も笑う。
早く元に戻ればいい。
米原がバカやって、唯川が突っ込んで、柳野がアワアワして。
そんで笑い合ってる三人に戻ればいい。



「ばっかじゃないの?」



そう思った矢先、乱暴に体育館の扉が開いた。
続いて、吐き捨てるような低い声。

反射的に出入り口を見れば、これでもかってほど不機嫌そのもので立っている我が部の主将。

「いいご身分だね。」

嘲笑して、ドアを開けっ放しのまんま一歩ずつ近づいてくる。
しかめっ面に反さず、声も刺々しい。

「親友が苦しんでるっていうのにヘラヘラ笑って男とデートの約束ですか?はー、ずいぶん楽しそうなことで。」
「は?」

何言ってんだ、コイツ?

「遊んでる暇あるなら、まずやることあるんじゃないの?なんで君が部活に来てんの?部活に来る意味あるの?」

及川の視線は俺と交わらない。
俺の隣、斜め右下に向けられている。
これでもかってくらい剥き出しの嫌悪付きで。

「君が来なくなれば良かったのに。」
「…及川。」
「なんで居るの?図々しいにも程があるでしょ。」

さすがに言い過ぎるだろ。
制止を含めて名前を呼んでも相変わらず俺には目もくれず。
及川の両眼は柳野しか映ってないらしい。

「君が視界に入ると目障りでしょうがないんだよねぇ。迷惑極まりないから、さっさと辞めてくんない?」
「及川、おまえな…」
「花巻くん。」

いい加減にしろと及川に詰め寄る前に、柳野が俺へ体を向ける。


「ごめんね、やっぱりコレ持って行ってもらっていい?」


困った笑顔で差し出されたのはバインダー。
ちょっと待て。何故今ソレを出す。
明らかに違うだろ。今の話の流れで確認表へ繋がらんだろ。
おまえは空気が読めないタイプじゃないはずだよな?

「柳野。」
「お願い。」
「今それは関係無いだろ。」
「いいから。」

柳野は笑う。

「お願い。行って。」

いつものように、笑う。
なのに有無を言わせない圧力が俺にのしかかる。
喉に詰まって、声がうまく出せない。
何か言うべきなのに、何も出てこない。いや、出させないんだ。
選択肢はこれしかなかった。

「…わかった。」
「ありがとう。お願いするね。」

笑顔の柳野から確認表を受け取り、俺は体育館の外に出る。
脇を通りすぎるときでさえ及川は柳野を睨んだまま。
開けっ放しの扉が閉まる際まで、柳野は微笑を崩さない。
重い音と共に内外が完全遮断される。

渡されたバインダーを脇に抱え直し歩き出す。
職員室のほうへ向かって。
もちろん。いわれた通り、素直にバインダーを掛けて来るつもり…




「…なんて毛頭ねーわ。」




さかさか早足で体育館を半回り。
向かうは鍵が壊れて直してない小窓。
さながら諜報員にでもなった気分で屈んで身を隠しつつ、窓を三センチほど開けて中を覗き込む。
二人の横顔。遠目からだと細かい表情はわからない。



「マッキーを巻き込みたくないって?ほんとに良い子ちゃんだよね。」
「…そんなんじゃないよ。」


多少、聞き取りにくいが体育館が静かだから耳には届く。
俺がいなくなったこともあるんだろうが、及川の口調が荒くなってる気がする。


「岩ちゃんに聞いたよ?楓のお見舞いにも行ってないんだって?薄情すぎじゃないの?」
「…今私が行っても、迷惑になるだけだから。」
「だったら土下座でもなんでもして許してもらいなよ。なんでしないの?自分が悪いって思ってるならそれくらい当然でしょ。出来ないの?出来ないんだね。だって本当は悪いなんて思ってないから。この偽善者。」


俯いて黙る柳野に及川は尚立て続ける。


「君は偽善者だよ、柳野さん。なんで楓を傷つけた張本人がここにいるの。本来ここは楓がいる場所だろ。君が居ていい場所じゃない。君は最低だね。ほんっと最低だよ。君のせいだよ。ぜんぶ君のせい。ぜんぶ。ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ!君のせい!どう責任取ってくれんだよ!責任取れよ偽善者!」
「………。」


普段じゃ考えられないくらいの及川の激昂加減に俺は声を失う。
柳野は黙ったまま。
沈黙の柳野が癪に障ったのか、こちらからわかるくらい及川の苛立ちが表面化する。


「黙ってないでなんとか言えよ!」

柳野の体が小刻みに震えてきた。
怒る?いや泣く?
さすがに女の涙は見たくない。
俺は体育館に戻るべく、立ち上がろうとした。



「…ははっ。」

しかし。
怒るでもなく、泣くでもなく。
柳野は噴き出した。


「アハ、アハッ、アハハ!アハハハハ!アハハハハハハ!」


仰け反って大声で無遠慮な笑い方をする柳野に呆気にとられる。
俺の認識する柳野。
真面目。控え目。おとなしい。人畜無害優等生。
決してこんな野卑な笑い方をするような奴ではない。
このノイズが混じる耳障りな音を発しているのが、本当に柳野なのか己の目と耳を疑う。
けれど、まぎれもなく発信源は柳野で背筋が凍る。


「あー、おかしい。」


やがてスイッチを押したみたいにピタリと高笑いが止む。
仰いだまま、無感情な口調で柳野がつぶやいた。
おかしいって言ってるのに、ちっともおかしそうじゃない。
仰け反っていた首をゆっくり戻し、柳野が目線を及川に合わせて一歩ずつ近づく。

「及川くん。」

どちらかが手を伸ばせば確実に届く距離。

「甘えたこと言わないで。」

起伏が一切なくなった声が聞こえたのと同時に、及川が柳野の胸倉を掴んだ。

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