幼なじみちゃんと元カノさん




堅苦しい話をさせられ教室に戻ると、あたしに気付いた瑞穂と目が合った。瑞穂は音が聞こえてきそうなニッコリという笑みを浮かべた。


「菜々実ちゃん、おかえり。悪いんだけど、今日の部活は先に行って。」

どこかいつもと異なる言い方に違和感を覚えた。
いや、いつもと同じか?でも、なんか違う。なんだろう。

「いいけど、なんで?」

瑞穂の顔が、笑顔から真顔になる。視線の先は空になっているあの子の席。

「楓ちゃんと、話すから。」


話し合いなんて出来るのか。
正直あたしは無理だと思った。あんなに避けてる楓が素直に応じるとは思えない。
でも真面目な瑞穂のことだから、このままじゃ駄目だってことも分かってる。


「……分かった。なんかあったらすぐ呼びなさいよ。」
「うん。ありがとう、菜々実ちゃん。」

やはり違和感が消えない。その疑問の正体が判明したのは帰りのホームルームが終わったあとだった。
担任の話が終わったあとの瑞穂の行動は実に迅速だった。

楓が教室から出ていく前に、楓の席の前に立ち塞がっていた。もちろん、楓は瑞穂を無視するつもりだったんだろうけど、瑞穂はさせなかった。

まだ椅子に座ったままの楓に話し掛ける。いつもどおりの調子で。あたしは自分の席から、その様子を伺う。



「楓ちゃん。一緒に来て。」
「…部活には行かないって言った。」

瑞穂の顔を見ずに低い声で誘いを断る楓。
全く気に留めず変わらぬ声のトーンの瑞穂。
二人の横顔しか見えないけど、内心ひやひやする。


「部活じゃないよ。話したいことがあるの。」
「早く帰りたいんだけど…」
「すぐ終わるよ。一緒に来て。」
「帰りたいって言ってんじゃん。」


少しずつ楓の苛立ちが表情にのぼってくる。
他人の機微に誰より敏感な瑞穂がそんな楓の様子に気付かないわけがないのに、やめる気配はない。

「五分もかからないよ。来て。」

普段の瑞穂なら相手が断れば了承するのに、今日の瑞穂は全く引かない。
いつもと同じく柔らかい物腰が、今日は一段と緩やかになっている。小さい子に言い聞かせるみたいだ。

けど、じれこんでいる人間からしたら、更に膨張するのは当然のことで。

「しつこいな!行かないって言ってんじゃん!」

案の定、沸点に達した楓が声を荒らげて、思わず瑞穂を見た瞬間。

「何度も同じこと言わせないで。」

瑞穂の笑顔がフェードアウトしていき、まるで感情が全く何も読めない無表情になる。
棒読みのように抑揚がない声音は張り上げているわけじゃないのに、ひどく静かに響いた。
その冷たさに総毛立つ。楓の顔が強張った。たぶん、あたしも楓と同じ表情をしているだろう。

「いいから来て。私、お願いをしてるわけじゃないの。」


ここで違和感の正体が判明した。そうだ。なんかいつもと違う言い方な気がしたんだ。
命令形。命令形なんだ。
瑞穂は命令形を使っていた。瑞穂は人に何か頼むとき必ず相手の都合を確認するのに、昼休みも今もソレが無かった。

つまり、相手の意思は聞かない、ということ。拒否も反論もハナからなかった。



「…わかった。」
「じゃあ行こうか。早く帰りたいんだもんね。」


かすれた声で返事をした楓に、ずいぶん瑞穂は事務的で寒気がした。
こんな瑞穂、あたしは見たこと無い。


「菜々実ちゃん。」

瑞穂が振り向き、あたしの名前を呼ぶ。
心臓が跳び跳ねた。血液が瞬く間に激流し、全身を巡り始める。

「なに?」

上擦らなかった自分を褒め称えたい。認める。あたしは今すごく動揺してる。混乱してる。

「すぐ行くから、先に、行ってね。」

能面の笑みを貼り付け、瑞穂は一言一言区切るように、あたしへ告げる。
二人が教室から出ていく。あたしはしばらくその場から動けなかった。
雨の音だけが響いていた。






・・・





嫌な予感がした。
逃げろ、と自分の中から声が聞こえる。
手遅れになる前に、と。声が聞こえる。

先を歩くこの人は、いつもと違う。いつもの優しい大らかなあの子ではない。
聞こえもしないのに、警報が鳴る。
あぁ…いやだなぁ。

「…なんで、本当の事、言ってくれなかったの。」
「…え?」

不意に立ち止まった瑞穂は、淡々とした口調で告げた。一瞬理解できなかったが、多分、私が思っている事で合っているはず。

「別れたって言った時…好き同士なのに…って、泣いてくれたよね。」
「…ん。」

返しに少し時間がかかってしまった。そんな事を、確認するために、わざわざ…?

「私と及川君…正反対だから、まるで彼が罰ゲームにあってるみたいだよね。」
「そんなことないよ。……お似合いだよ。」

言葉が詰まる。
でも…お似合いだった。控えめで何でも新鮮な瑞穂に、ベタベタしすぎない及川の距離感。完璧、とまでは言わないが、良い距離があって理想の恋人同士に感じた。


私にとって、それは、凄く、心を抉ったけど、安心もした。これなら、と。

「嘘ばっかり。…本当は、すごく嫌だったんでしょ?」
「なんで?」

…嫌なわけ、ない。
…そんなわけ、ない。
そんなわけが、あるはずない。
だって。だって、私は二人に…


「そんな気持ちで、…私、お付き合いなんてできないよ。」


なんで、そんなこと、いうの?
痛い。胸が痛い。
心臓を鷲掴みされるって、たぶん、こういうことだ。

こんなの知らないままでいたかった。苦しい。

だって、及川は明らかに他の女子と違う扱いを瑞穂にしていた。
女たらしだからキザっぽい似非紳士みたいなところがあるけど、大切にしてくれてた。

だから、きっと、徹は…

「っなんでよ?!好きなんでしょ?!せっかく両想いなんだから、」

なんで否定をするの?なんで振ったの?あんなに好きだったじゃない!?徹から、じゃなくて瑞穂から別れを告げる、なんて可笑しい。瑞穂が言わなければ、まだ、続いていたのに!

「違う!!両想いなんかじゃない…あの人の、楓ちゃんを見る目、………わかる?」
「え」

血の気が引く。指先からどんどん冷たくなっていく。何を言っているの?わけわかんないよ。
なんで、そんな声を張り上げたの?

「私には、あんな顔……してくれなかった。」
「瑞穂、」

瑞穂はポケットから何かを出す。生徒手帳。そして開かれた場所には、見慣れた写真。

「大事に持ってるじゃん。」

瑞穂が決して強くない力で私に手帳を返す。
私は罪状を突き付けられたみたいに受け取る。
足元の感覚が無くなる。踏ん張ってないと崩れ落ちてしまいそう。

「…ち、違う。」
「何が違うの?楓ちゃんが及川君に言ったんでしょう?私が彼のこと好きだ、って。」
「ち…ちが」

絞り出した声が出ない。言葉を出せば出すほど、胸が締め付けられる。

ばれた。
瑞穂に。

「私が好きって言ったから、楓ちゃんは彼に言えなくなったの?友達だから、私に譲ろうとしたの?」

何も言い返せない。
雨の音がうるさい。このまま、雨音だけ聞こえれば良いのに。

「…教えてよ、楓ちゃん。」
「………違う。」
「それはもう聞いた。」

いつもの声色と違う。いつものあの優しい瑞穂じゃない。彼女を、傷つけた。本当の意味で。

「好きなんだよね。」

声が出ない。
目を見ることが出来ない。

「なんで何も言わないの?肯定してるってこと?」

瑞穂の声は、あくまで淡々としている。どんな気持ちなのか。それを聞いている私も、言っている彼女も。
また、違う、と言えばいいのか。
そうだよ、と肯定したところで、どうなるの?
あぁ、このまま時が止まれ。

止まれ。

止まってください。


「…それ凄く……迷惑だよ。」
「……」

迷惑。
ナイフより鋭い二文字に抉られる。

「ちゃんと、正式に…きちんと、勝負したかったよ。」

瑞穂なら私の気持ちを知ったとしても、それをひがんだり妬んだりしない。不誠実な奴らと違って、しっかり受け留めてくれるだろう。

傷付けたくなかった。そんなの建前。

本当は親友を傷付ける存在が、自分でありたくなかったから。
今は、どうだろう。

「ごめんね。」

口から出たのは随分と陳腐なもので笑いたくなった。
なんで、なんで、こうなっちゃったんだろう?

「不戦勝?…ばか。楓ちゃんのばか。」

瑞穂が走って行ってしまう。
でも追いかける気力なんて無かった。

涙を拭うことすら、出来なかった。





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