先輩さんと後輩くん


あんなに楓ちゃんが苦しんでいるのに何も気付けなかった。
分からなかった自分が心底情けない。
親友…いや、友達失格だ。
もしかして、ずっと我慢してきたのかな。
私がしてきたこと、すごく迷惑だったのに言えなかったのかな。

メールも電話も返ってこない。謝りたいのに謝れない。しばらくは口を聞いてくれないだろうな。
振り払われた右手の感触が生々しく蘇る。
ねえ、楓ちゃん。私がつらいときにそばに居てくれた。
だから私もそうしたいんだよ。気付けなかった分、そばにいたい。
でも、それすら今はあなたにとって苦痛でしかないのかな。



昨日の夜から降りだした雨が地面を突く。
傘を差そうか差すまいか迷う程度の小雨。午後は豪雨になるかもしれないと天気予報でいっていた。
きっと帰る頃は土砂降りなんだろう。どうやら明日まで続くらしい。
自分の心模様がそのまま表れているみたいで苦笑いするしかなかった。

朝練はいない。朝のホームルームはギリギリ。休み時間になると、いつのまにか空席になっている。
楓ちゃんに話し掛けられない。話し掛けるタイミングを作れない。

避けられている。
それはもう昨日より一層あからさまに。
チャイムが鳴ると同時にどこかへ行っていて、全く足取りが分からない。
それは休憩時間が長い昼休みでも同じだった。いつも三人で昼食を取るのに今日は一人足りない。
お弁当を広げて、ごはんを口に運ぶ。おいしいはずなのに味気ない。砂を噛むような味ってきっとこういうことをいうんだね。

「まったく、あの不良娘。どこほっつき歩いてんだか。」
「ごめんね、菜々実ちゃん…」
「瑞穂が謝ることじゃないでしょ。」
「でも、原因は私だから…」

楓ちゃんは「八つ当たり」と言っていた。
だけど楓ちゃんにとって言って欲しくないことがあったのに、私がその引き金を引いてしまった。
だから、嫌だったんだよね。頭にきたんだよね。
友達に嫌な思いさせた。させていた。
どうして私はこんなに疎いのか。自分の鈍感さが腹立たしくてたまらない。

「瑞穂、違うからね。」
「え?」
「楓が言ったこと、ぜんぶ、違うから。」

まっすぐな目の奥に私を気遣う優しさが垣間見えて嬉しく思う。ほんとに私は恵まれているなぁ。
だからこそ、自分が、許せない。
大切な友達なのに、気付けなかった。

「ありがとう。菜々実ちゃん。」
「うん。」

菜々実ちゃんは目を細めて、お弁当を食べ始めた。私もお茶で流し込むようにしておなかに入れる。ちゃんと味わって食べなくてごめんなさい。
一応、完食してお弁当箱をしまうと、菜々実ちゃんが何か思い出したように「あ」とこぼす。

「どうしたの?」
「そういえば推薦のことで担任に呼ばれてるんだったわ。」

面倒くさそうに溜め息を吐く。
優等生の菜々実ちゃんは二年の終わりから、すでに推薦が確実なのである。
私も一般推薦が取れたらいいけど、まだ分からない。

「AO入試の?」
「そう。せっかくの休み時間に行きたかないけど行ってくる。」

菜々実ちゃんが席を立って、ふと私も用事を思い出す。

「瑞穂もどっか行くの?」
「うん。図書室で過去問のコピー取っておこうと思って。」
「なんでウチの学校は職員室のコピー機を使わせないのかしらね。非効率だわ。」
「お金とられないだけいいけどね。」

途中まで一緒に行って、私と菜々実ちゃんは各々の場所へ向かった。







「あ、国見君。」

図書室でコピーを取って教室に戻ろうとしたら、国見くんと遭遇した。

「どうも。」

国見君が軽く会釈すれば、私も「こんにちは」と返す。
こんなところで会うとは思わなかったな。部活では顔を合わすけれど、国見君だけという機会はあんまりない。

「購買行ってたの?」
「はい。先輩は?」
「図書室で過去問のコピー取ってたの。この問題集、学校のやつだから持ち帰りとか書き込みダメなんだよね。」

苦笑いしてファイルに入れた紙束を見せれば国見くんは無気力に感嘆する。

「先輩は受験生の鑑ですね。」
「そう?」

途中まで方向が同じなので、私と国見君は並んで他愛のないことを話しながら歩く。
特別に親しいというわけじゃないけど、先輩・後輩としての仲は悪くない方だと思う。
一見クールに見える国見くんだけど、案外いたずらっ子だったり、塩キャラメルが好きだったりする男の子。
不愛想で取っ付きにくいと思われることもあるみたいだけど、私からしたら可愛い後輩のひとりだ。

「雨強くなってきたね。」
「天気予報でひどくなるって言ってましたけど、ほんとですね。」
「帰るときがこわいなぁ。絶対びしょびしょだよ。明日も学校あるのに。」

廊下の窓から見える大雨に気分が落ち込む。制服とローファー明日までに乾くかな。

「柳野先輩。」
「うん?」
「なんで先輩は及川さんと付き合ったんですか?」

え、なんで今その話?

「えっと…?」
「分からないことは聞いていいんですよね?」
「確かに言ったけど…」
「二人が付き合うことになった経緯が全く意味不明なんですよね。」

具体的に分からないことっていうのは勉強面とかに関しての意味だったんだけどな…無機質な国見くんの双眸が私を映して言葉につまる。
どうやら彼の中で私の異性交遊は中々不明瞭なものらしい。
なんだろう。国見君の中で私は恋愛と無縁だと思われていたのかな。
自分なりに解釈してみるけれど、先程の世間話から一転、まるで違う話題になって混乱している。
だって今関係なかったよね?全然触れてなかったよね?お天気の話をしてたよね?
ほんとに、なんでだろう。

「えっと、それは、付き合わないかと言われまして…」

戸惑いつつ答えて、むせかえるようにあの日が頭によぎる。


文化祭の日に、教室で言われた。あのときは本当に嬉しくて。涙が出そうなくらい胸がいっぱいで仕方なかった。
だけど、同時に小さな違和感と疑問が拭えなかった。

どうして私なんだろう。

今まで彼が付き合っていた女の子はまるで私と正反対だったのに何故?
私は顔もスタイルも良いわけじゃないし、地味で平凡な人間だ。
だから私と付き合う理由が分からなかった。
でも、このときの私にとっては些細なことだった。
ただの気まぐれでもいい。彼のカノジョになれる。
一瞬でもそばにいることを許されるなら、いい。彼が要らないというまで居たい。そう思ってた。

……思ってたんだ。


「なんで柳野先輩だったんですかね?」
「…気の迷い、だったんじゃないかな。」


なんで、と言われても、むしろ私が聞きたい。
なんで私だったのか。
なんで私を選んでくれたのか。

「前に及川さんが聞いてもないのに、俺って活発で明るい子がタイプなんだよねー、って心底どうでもいい戯れ言ほざいてましたけど。」

その言葉遣いは注意したほうがいいのかな…
国見君、仮にも先輩だからね?主将だからね?
内心ひやりとする私をよそに国見君は紡ぐ。

「そうだったら柳野先輩は当てはまらないですよね。対称的すぎますし。」
「そうだね…」

改めて事実を述べられると苦笑しかでない。
とっくに過ぎたことを気にしてどうする私。
でも…それなら、どうしてなのか。
たぶん、私は彼に好いても嫌われてもいなかっただろうと思う。
部活じゃ事務的なことしか話さないし、今まで同じクラスになったこともない。
彼にとって私はただのマネージャーで、それ以上でもそれ以下でもなかったはずだ。

眼中に無かった人間であった私に何故そんなことをいう気になったのか。


「ここからは、推測ですけど。」


国見君が立ち止まる。つられて私も止まる。

「誰かにすすめられたなら?」
「すすめられた…?」


平坦な国見君の口調。それに対して私の胸がざわめいた。

「人にすすめられたりしたら、興味なくても気になりませんか?」
「ああ、うん、確かに。」
「自分に近ければ近いほど、そうなると思うんですよね。たとえば、仲のいい先輩とか友達とか。」

そこで彼は一旦区切る。

「…幼なじみ、とか。」

その単語に自分の心臓が凍り付いた気がした。
拍動はいつもより早く激しくなる。指先が震えそうになる。

「そんなの…」

知らない。聞いてない。言われてない。だから、そんなのわからない。
…わからないのに。

「あくまで俺の推測ですよ。でも、こう考えるのもアリなんじゃないですか?そう考えると、昨日のことも納得できるところもありますし。」

右手が熱を帯びる。
振り払われたときの痛みと痺れは跡形も無いのに、まるで警告しているように消えない。
ひとつひとつ大きく鳴る脈動が、うるさい。胸から鼓膜に直接響く。

「ごめん、国見君。私、先生に呼ばれてたんだった。また部活で。」

分かりやすい出任せ言って、国見君の返事を待たずに立ち去った。




・・・





逃げるようにして別れて、のろのろ教室へ入る。菜々実ちゃんは戻ってないらしい。楓ちゃんの姿も見えない。

頭の中が渦巻く。
くしゃくしゃになった糸玉みたいにこんがらがってる割りには、やけに冷静になっている自分がいる。
国見くんの言ったことはあくまで仮定だ。本当のところは分からない。
分からないけど、もし、そうなら…

ふと楓ちゃんの机の下に何かあるのが見えた。
そばに行って見てみれば、楓ちゃんの生徒手帳が落ちていた。鞄から出ちゃったのかな。

「あ。」

元に戻そうと手帳を拾えば、ひらりと一枚床にこぼれる。
…写真?
裏返しになっているソレをひっくり返して、私は絶句する。

そこに写っていたのは、良く知っている、あの人。
文化祭だろうか。看板らしきものを持っている。となりに誰かいるみたいだけど見切れている。カメラ目線ではない。話しているところを撮られたものらしい。笑顔の彼。他でもない及川君。
わたしの、すきなひと。


―俺、柳野さんのこと、好きなんだ。
―好き合ってるのに?!やっと両思いになったのに?!
―似合う似合わないの問題じゃない!好きか嫌いかでしょうが!
―自分の気が済むまでソレと付き合ったってバチあたんねーよ。
―またね、瑞穂ちゃん。

―なんで及川さんのこと好きになったんですか?

―気を付けなよ。

―自己犠牲して友達の心配?助けてもらったから?大親友だから?


―たとえば、仲のいい先輩とか友達とか




―幼なじみ、とか。





駆け巡る出来事がまるで走馬灯のようだった。
揉みくしゃになっていた欠片がひとつにまとまっていく。
そして、結論に失笑が漏れる。
なんだ。そうなんだ。
やっぱり、そうだったんだ。

「最初から、何も無かったんだ。」

私は本当にバカなんだろうね。
こんな分かりやすい相関図に辿り着けなかったんだから。





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