嘘つきさんと無欲さん



「…だっる。」

アラームの音で目は覚めたけど、ちっとも体は軽くない。頭が重い。全然寝れた気がしない。

昨日は学校に行かなかった。行けなかった。とてもじゃないけど、こんな気分で登校できるほど切り替えは早くない。学校めんどい。今日も休みたい。行きたくない。

嘘つき。

頭から離れない。何度も何度も繰り返される。聞きたくないのに、呪いのように響く。
そんなの誰より知ってる。いつからだろう。こんなに本当のことを言えなくなったのは。

「楓、起きてるー?」

ノックの音が二回して、間延びした声と一緒にお母さんが入ってくる。まだ返事してないんだけど…。

「あ、起きてたのねぇ。おはよう、楓。」

ほわほわ綿毛が飛ぶような口調でお母さんは笑う。並んで歩くと、姉妹に間違えられるくらい見た目が若いうちのお母さん。たぶん大学生といっても通ると思う。

「今日は学校どうするの?」
「…行かない。」
「えぇ?そうなの?ママ、残念だなぁ。今日はお弁当に楓の好きなおかずいっぱいいれたのになぁ。」

しゅんと落ち込むお母さん。

「…やっぱり行く。」

そう言えばパァと花が飛ぶように弾ける笑顔。なんでうちのお母さんはこう義務感に駆られるのか。本当にこの人のおなかから私は生まれたのか疑問に思うくらいに可愛い人である。

「ほんと?良かったわぁ。じゃあ今日はデザートも付けちゃうねぇ。早く着替えてらっしゃい。」
「はーい。」

お母さんは上機嫌で私の部屋から出ていく。
これで学校に行かざるを得なくなってしまった。行きたくない。でも足は嫌々進んでいった。







「楓、おはよう。」
「んー。」

結局ぐだぐだだらだらして着いたのは3限。もう中盤だ。もちろん朝練には行ってない。
菜々実が本を読んでいた。また難しいサスペンス物だろうか。私には無理だ。
瑞穂の姿はない。でもすぐに戻るだろう。すごく心配するんだろう。

「あ、楓ちゃん!」

…ほら。本当に凄く心配そうに、近距離なのに、逃げやしないのに、小走りで。

「大丈夫?具合悪かったの?」

顔をじっと覗き込んで、眉をハの字にして、そっちが泣きたそうに。
友達思い。瑞穂はとても優しくて、友達思いだから。

「大丈夫だよー。サボったのー。返却予定のDVDまだ見てなくてね!いやぁ、さすがに全話借りるのは勇者ったと思うの私勇者ー!」
「DVD…って」
「楓、ただでさえ休み早退目立つんだから、そろそろ控えなさいよ。」

優等生2人にはわからないんだろうなあ、この成績的な絶望感。大学はキビいよね。もう卒業できるかも不安だわ。
はいはい、と軽めに返事をする。
菜々実はそれで諦める。本当に私がしてはいけないことをした場合のみ、怒る。夫婦は似るっていうけど、岩泉と菜々実はまさにそれだ。
似る、ではないか、根本がそっくりなのだ。

「はい。昨日のノート。」

それに比べて瑞穂は逆だ、大げさなほどに心配してくる。お母さんみたい。いつもいつも、ノートを見せてくれる。色分けしてあって、丁寧で。私の落書きノートと大違いだ。

「…ない。」

いらない。
私は彼女を傷つけた。多分彼にまた違うと言われるだろうけど。私のせいだ。瑞穂はまだ無理くり笑顔を作っている。
本当に大丈夫、と言う。そんなわけないでしょう。何年その思いを募らせたの?

「ごめんね、よく聞き取れなかった。」

そうやって申し訳なさそうに、この子は優しい顔で言う。私はいらない、と言ったのに。

「ありがとー!瑞穂女神っ!」

言動と行動が一致しない。
しないけど、受け取るしかない。
瑞穂はこんな感情抱いたことないんだろうな。こんな汚い感情、なんて、さ。
うんざりだよ。





部活が始まった。及川の姿はない。
瑞穂とあの男の事がまだ解決していないけど、今度は楓がおかしかった。不機嫌な所は何度か見た事があるけど、今日のはあからさまだった。瑞穂を避けている。来れば話すが、向こうから来ない。目も合わさない。
きつめのそれを、瑞穂が気にしないわけがない。 ただ楓の機嫌が悪いだけ、で済むと思っていた。

「ねえ楓ちゃん…」

瑞穂は空気が読めない子じゃない。むしろ読みすぎる方だ。明らかに避けてる楓を、不審がらないわけがない。

「…なにー?」

平静を保っているつもりか。…いや、隠してない。

「本当に、大丈夫?」
「大丈夫だってばー。」

トーンだって大丈夫。不機嫌だけど、聞ける雰囲気を出さない。門を閉ざしたみたいに。
それでも瑞穂は続けた。

「本当?私でよければ相談にのるよ?」

瑞穂らしいその言葉。いつものメンバーなら瑞穂は癒しー、だなんて盛り上がるのに。
…なんだろうか。今ざわりと確実に楓の空気が変わった。

「楓ちゃん…?」

俯いて無言になった楓に瑞穂が手を伸ばす。触れるか触れないかのところで楓は思い切り振り払った。乾いた音が反響する。静まり返る体育館。

「相談に乗るって、何?」

押さえ付けた楓の声。何かを堪えているような切迫感がある。
ほんとにどうしたっていうの。

「私、自分がつらいとき楓ちゃんと菜々実ちゃんに助けてもらったから。だから私も、」
「今つらいのは瑞穂じゃん。なんで自分より私のこと気にしてんの?」

戸惑いつつ心配してる瑞穂の言葉を楓はぶった切る。ずっと下を向いていたから楓の表情が全然読めなかった。やっと顔を上げれば、ひどく歪んでいた。

「自己犠牲して、友達の心配?大親友だから?助けてもらったから…?」

その言葉は瑞穂に向けている、というよりは、独り言に近かった。一点だけを見つめて、楓は淡々と喋った。

「本当にそうかな。助けようとしてる自分に酔いしれてるだけ。ここで助けなかったら、人でなしに思われちゃう、だから助ける。自分が悪者にならないように、1人にならないように。」
「え?」
「自分1人が悪いって、抱えて。他の人は悪くないんだよ?私が悪いの、なんて悲劇ぶってさ。」

その嘲笑は何を示しているのか。このときのあたしは皆目見当つかなかった。ただ言ってる楓が傷付いてる。それは分かる。伊達に長い付き合いじゃない。瑞穂だって気付いてる。

「結局、誰かに同情してもらって、優しくされたいだけじゃん。ほんとウザい。」

吐き捨てた楓のセリフが直に瑞穂へ当たる。
楓。あんたは何が言いたいの? とりあえず、あんたがもがいてるのは分かったよ。
…でもね。

「心配なんてしなくていいよ。誰がしてくれって言ったの?頼んでもないのにノート貸してくれてさ?」

だんだん早くなる楓の口調。
比例するように、あたしの眉間に皺が刻まれていくのを感じる。

「ありがた迷惑って知ってる?大きなお世話なんだよ。親切押し付けて楽しい?瑞穂って、いつもそう。」

瑞穂は何も言わない。いや、言えないんだろう。口を挟む隙がない。

「こっちが大丈夫だって言ってんのに、無理しないで、とか言うし。どうしてほっといてくれないの。平気だって言ってんじゃん。」

悲しみが染まっていく瑞穂に対して、あたしはこめかみあたりに青筋が浮かんできていることだろう。

「そっとしてほしいときだってあるじゃん。瑞穂は私のお母さんでもなんでもないんだから気にする必要ないでしょ?赤の他人なんだから。正直うっとうしいよ。」
「楓!」

なんでそんな事を言うんだ。何故わざわざ言う。思ってもない事を、何故口にする。

「あんたもういい加減にしなさいよ。」
「い、いいんだよ菜々実ちゃん。私が悪」
「そういうところがうざいんだってば!なに言われても怒らないの?!私八つ当たりしたんだよ!瑞穂に!それでもその表情崩さないの?仏かなんかなの?」

言っている本人がすごく泣きそうな顔をしてる。最後のは八つ当たり、それは本当だろう。
瑞穂は自己犠牲をするし、友達を責めないだろう。けれど、いくらなんでも、

「言い過ぎよ、楓。」
「お前もう帰れ。」

止めに入ったけれど、結局はじめの言葉の方がしまった。さすが副主将、幼馴染、だろう。
苦虫を噛み潰したような顔を、楓はする。

「…明日は。」

小さい声で呟いた。

「少し頭を冷やせ。」

彼女が飲んでいたお茶を渡して、はじめは練習に戻った。瑞穂は何かを言おうと、楓の様子を伺っていたけど、結局無言だった。

「明日は来ないから。」

楓はそれだけ告げて、走って行った。


「気にしなくていいよ。」

瑞穂に言ったけど、泣きそうな顔で「…うん。」としか答えてくれなかった。振り払われた右手が赤くなってる。
なにもなければいいけど、なんて願えば願うほど、不安が募った。








「楓。」

校門を出て行こうとする彼女に声をかける。

「なに」

その声いつもより低く、少し疲れ気味に。

「やな奴だよね。全部自分の事だ。瑞穂はなに一つ悪くないのに。」
「そうだね。」

その答えにまた空気が冷える。

「しばらく放っておいて。このままじゃ、もっとやな奴になっちゃう。」

ごめん。
楓はそれだけ告げて、目も合わさずに歩いてしまった。泣き虫で、弱いのに。なんでも1人で背負い込んで。
耐えられないでまた自分を責めるくせに…。
壊れそうなくせに…。
壊れたいの?
そんなの…

「…放っておけるわけがないだろ。」





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