元カノさんと後輩くん



「あ、国見君。」

昼休みで混み合う購買。
目当てのものを買って教室に戻ろうとしたら、柳野先輩と遭遇した。

「どうも。」

俺が軽く会釈すれば、柳野先輩も朗らかに「こんにちは」と返す。
こんなところで会うとは思わなかった。
部活では顔を合わすけれど、先輩だけという機会はなかなか少ない。

「お昼買ってたの?」
「はい。先輩もですか?」
「うん。飲み物だけね。今日家に忘れてきちゃって。」

苦笑いしながら見せてくれたのは紙パック。
炭酸やジュースではなく、緑茶を選ぶあたりが柳野先輩っぽい。
この人は絶対お菓子とか買わないんだろうな。本当に必要最低限なものだけ。それ以外は買う気も起きないんだと思う。
無駄遣いする人間と対極の位置に先輩は立っている。

「先輩って渋い趣味してますよね。」
「そう?」

途中までは方向が同じなので、俺と先輩は並んで他愛のない話をしながら歩く。
特別親しい間柄というわけじゃないが、先輩・後輩としての仲は悪くない方だ。
柳野先輩は一緒に居て疲れる人じゃないので、俺も気兼ねなく居られる。

温厚篤実な柳野先輩を慕う者は多いだろう。
尊敬できる先輩ランキングがあるなら上位確実だ。
決して目立つ存在じゃないけど、着実に仕事をこなし、周りに気を配り、誰にでも謙虚な姿勢は素直にすごいと思う。
ごく一般家庭らしいが、先輩の育ちが良いことは伺える。氏より育ちとは良く言ったもの。

そう。顔とバレー以外取り柄のないどこぞの誰かと違って。
無駄にテンションが高かったり、某老舗洋菓子店のマスコットキャラクターのような笑みを浮かべたり、言動がまるで幼稚園児と変わらないくらいガキだったり、はた迷惑で性格が至極面倒且つ中身が残念極まりないどっかの誰かと違って。
誰とはいわない。誰とは。

俺はその人を選手として尊敬するが、人間的な部分でいえば圏外である。


「もう高校生活には慣れた?」
「そうですね。わりと顔見知りがいるんで中学とそこまで変わらない感じですかね。勉強面はまだ触りなんで、なんともいえないですけど。」
「青城って結構北川生多いからね。そっか、そっか。じゃあ何か分からないことがあったら聞いてね。」


実に後輩思いの言葉。押しつけがましく感じないのは、先輩の人柄がにじみ出ているからだろう。
分からないこと、ね。あることは、ある。
ただ先輩が考えているようなことじゃないだろうけど。
「分からない」というよりは「知りたい」もしくは「確かめたい」かな。


「お言葉に甘えて聞きますね。」
「うん。なに?」


一拍おいて俺は先輩の目を見る。



「どうして及川さんと別れたんですか?」


ゆっくりと先輩の両眼が開かれていく。
俺がこんなことを聞くなんて思わなかったんだろう。自分でも柄じゃないと思う。
どちらかといえば、こういうことには無関心だ。

けど俺は先輩に聞きたかった。何故そうなってしまったのか。しばらく先輩は黙っていたけれど、やがてふわりと目を細めた。

「不釣り合いだったからだよ。」

思い出を語るように、ひどく穏やかで落ち着いた声。

「私は、彼の隣に居ていい人間じゃないって気付いた。彼には、もっとふさわしい人がいるって分かった。私じゃ似合わないの。だからだよ。」

あくまで柔らかく優しい表情なのに、逆撫でされているような苛立ちを覚える。
どうしてなんだろうか。
どいつも、こいつも、本当に謎だ。あの人のどこがいいのか。俺には理解できない。


彼女を傷つけてばかりの、あんな人。
彼女を泣かせてばかりの、あんな人。
彼女を不安にさせて、追いつめて、押し潰しているだけ。
それに気付かないで、自分しか見えてないような、そんな勝手な人間。
俺だったら、そんなふうに女の子を悲しませたりしないのに。


「なんで及川さんのこと、好きになったんですか?」
「なんで、か…。」

先輩は遠くを眺めるように呟いて、からりと笑う。

「わかんない。」
「……。」

まさかの回答。あまりにあっけらかんと言われたので、俺も返せなかった。
わかんないって…まじですか。

「でも。」
「はい?」
「気付いたら、そうなってた。いつのまにか目で追ってた。自分にとって特別な存在になってた。自分でも知らないうちに気持ちが大きくなってた。たぶん好きになるって、そういうものなんだと思うよ。」
「…そうですね。」

彼女のそばにいたい。支えたい。甘えさせたい。抱きしめたい。笑ってほしい。

そして、叶うなら、俺のことを好きになってほしい。
俺がいなきゃだめになるくらい、俺に頼ってほしいんだ。一筋縄じゃ無理だろうけど。
だから、先輩には俺の為にも幸せになってほしいんだよね。

「やり直したいとは思わないんですか?」
「思わないよ。絶対にありえないから。」

柳野先輩にしては、ずいぶんキッパリ言いきる。
これは色々と策を練らないといけないな。おそらく大分時間がかかるだろうが致し方ない。
先輩と別れて、俺は今後の作戦を考えながら教室へ戻った。





・・・





広辞苑と厚さが大差ないA4サイズのファイルを抱えながら階段を登る。
本当は少しでも走れたら良かったんだけど、下手に扱っていいものではないし、何より三つ積まれた書類達を平衡に持ちながら駆け上がれそうになかった。
お米十キロよりは軽いんだろうけど、重みで手がしびれてきてる。
でも目的地まであとちょっと。
これを置いたら早く更衣室まで行って着替えなきゃ。急がないと部活が始まってしまう。
昼休みに生徒会顧問の先生に呼び止められ、放課後、生徒会で使う資料を運ぶよう言付かった。
生徒会室へ運ぶだけなら大したことじゃないし、私は二つ返事で引き受けた。

いざ職員室へ向かえば、先生の机上に重ねて置かれた保存用書類ファイル三点。見るからに重厚さが漂う。
先生から一つずつ渡された紙束は私の両手にずっしり負荷をかけて、苦笑いするしかなかった。
これは腕より手が痛くなるパターンだなあ…かといって今更引き返せないので、えっちらおっちら生徒会室を目指すだけだった。
一段一段確かめながら登っていって、今日の昼休みの問いかけがリフレインする。

―どうして及川さんと別れたんですか?

まさか国見くんがそんなことを聞くとは思ってなくて、すごく驚いた。
けど菜々実ちゃんが部活中に怒鳴ったこともあるし、それになんだかんだお年頃だし気になったのかもしれない。

彼と別れた理由。
私が彼に釣り合わなかったから。
彼と私じゃ不釣り合いだったから。
私が彼を縛ってはいけないと思ったから。

そばに居られなくてもいい。支えられなくてもいい。甘えられる人のところへ行ってほしい。心から笑える人の隣で笑ってくれたらいい。
そして、叶うなら。
彼に幸せになってほしい。彼が幸せなら、私は十分なのだ。
だから早く彼を忘れることが最善なのだろうけれども、これがなかなかに手強い。

それなりに月日を費やして培われた思いは簡単には消えてくれず、未練がましいったらない。
でも仕方ない。焦ったところで結果は同じだ。
だったら、時間がかかっても、ゆっくり消化していくのを待とう。
岩泉くんが言ってくれた通り「自分の気が済む」まで。諦め悪いね。
けど、とことん付き合おうと決めた。
ようやく階段の終わりが見えてきて少し安堵する。登りきって角を曲がればゴールだ。
ファイルを持ち直して気合いを入れる。
そして一歩踏み出せば、上履きの裏が滑る。

「え?」

どうやら水拭きをしたばかりだったらしい。階段は、うっすら濡れていた。
ぐらりとバランスが崩れて後ろへ傾く私の体。スローモーション。いつだったかテレビで観た。
危機的状況の際に時間が緩慢に過ぎて行くように感じるのは集中力が高まるからなんだとか。
つまり今自分はとてもまずいというわけで。
両手は塞がっている。手を離しても階段で受け身を取れるかどうか定かじゃない。

落ちる・・・!
一瞬で駆け巡った思考はこれから起きるであろう衝撃と痛みの恐怖へ変換される。反射的にきつく目を瞑った。


「……。」

あれ?
何も起きない?なぜ? いや、その前に待って私。何かに背中を支えられてる?具体的には肩甲骨の下あたり。
恐る恐る閉じていた目を開ける。

「大丈夫?」

私を窺う顔と通る声はよく知っている人のもの。

「及川君…。」

距離が近い。私を支えてくれているのは、及川君の腕だと理解する。
彼が助けてくれたんだ。そう認識したら、一気に血の気が引いた。

「ご、ごめんなさい!大丈夫?怪我してない?」

慌てて寄りかかっていた体を立て直す。
どうしよう。来週は練習試合があるのに、手首とか痛めたりとかしたら支障が出る。
及川君はチームにとって必要不可欠な存在だ。
それなのに私は何をやってるんだろう。マネージャー失格だ。何かあったら本当にどうしよう。

「…なんともないよ。」

どこか呆れたように答えてくれた及川君の返事に安堵する。良かった。
ホッとしたのも束の間、及川君が階段を下りていて、まだお礼の一つも言ってないことに気付く。

「あ、あの、ありがとうっ!」

思ったより大きな声が出てしまって階段に響いた。すごく恥ずかしくなったけど、言わずじまいは嫌だった。
すると、及川君は立ち止まる。

「…気をつけなよ。」

前を向いたまま及川君はそう言って、再び進み始める。
しばらく呆然としてしまった私は我にかえって生徒会室に向かう。
すぐ角を曲がり、肘でスライド式の扉を開けて長机にファイルを置いた。
指先へ血が急激に流れて熱を持つ。その両手を頬に当てれば、負けないくらい熱い顔。
そのまましゃがみこむ。
どうして。どうして、私。勘違いしちゃダメなのに、どうして。
彼に助けられたことが、こんなにも嬉しい。
偶然だったかもしれない。偶然通りかかった時に、私が転倒しただけで。
それが楓ちゃんでも、助けただろう。
勘違いしちゃいけない。たまたま。偶然なのだから。なのに…嬉しくて、たまらない。
彼にとって私はまだ仲間のひとりとして認められている。こんなに嬉しいことは無い。
同じくらい彼への気持ちがこみ上げる。いとも容易く蓋が開けられる。
いっそ目に見えるくらい嫌われたら良かったのにな。そうしたら、もっと早く忘れられるんじゃないかな。

「…っ。」

耐えろ。散々泣いた。泣いただろ。
スカートに染みが出来る。拭っても拭っても、視界はクリアにならない。
ああ、本当に「好き」って厄介だ。

…好き。

大きくなればなるほど、涙が止まらない。

声を押し殺した。





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