副主将くんと副会長さん



まいったな。

ワイシャツに袖を通しながら昨日の部活を振り返る。
あのあと溝口コーチに怒られて、すぐ練習に戻ったから良かったものの、部内の雰囲気はどこかギスギスしていた。
主に発信源は菜々実ちゃん。まさに一触即発の空気が渦巻いていて、気が気じゃなかった。

やっぱり、言うべきじゃなかった。
聞かれても、答えない方が良かった。
そしたら誰にも迷惑かけなかったよね。
私情を持ち込んで、部の雰囲気悪くして、一体私は何をしてるんだろ。

ブレザーのボタンを留めて、脇に置いてある鞄の中身を確認する。
忘れ物は無さそうなので、鞄を閉じようとしたが…その手を勉強机へ伸ばす。
上から二番目の引き出しを開け、クリアファイルに入れておいた一枚の用紙。
随分前にもらったものなので少し古びているが、シワひとつない。
本当はもう少しあとで提出しようと思っていたけど…これ以上迷惑はかけられない。
最高学年って便利なものだ。理由を「勉強のため」っていえば先生は納得してくれるはずだから。
マネージャー業と生徒会、プラス受験勉強。どれも十分に成立させるのは難しくなった、と付け加えれば大丈夫だろう。
副会長なんて、肩書きだけど、やっていて良かったな。任期終了の九月末までにやることはごまんとある。
明朝体で書かれている「退部届」の文字を人差し指でなぞった。
クラスも名前も記入済み、印鑑もすでに押してある。ちょっと早めの引退と思えばいい。

早く忘れよう。忘れてしまおう。
「彼女」なんて立場になれたことだけでも、私には奇跡としか言いようがない。
一瞬でも隣に居られたことだけでも、夢みたいだった。
だから、この先もずっと彼の隣に居るのは無理だった。
私は彼と全然釣り合ってない。ふさわしくない。隣に居てはいけないとわかってしまったのだ。

半年分の彼との時間が、肺を圧迫して苦しい。
だけど、いつかこの痛みを優しい思い出にできるように。
彼と、彼にふさわしい人が一緒になることを願いたい。

二人が寄り添っている姿を見たら、きっと悲しい。きっと辛い。泣き出してしまうかもしれない。でも、好きな人が幸せなら、その方が嬉しい。


「…よし。」

鞄に決意を入れて、家をあとにした朝だった。



・・・





高三になると嫌でも「進路」というものが付きまとう。正直めんどくせえ。
今週から始まった進路面談は俺にとって億劫なものでしかない。
昼休みと放課後、出席番号順に行われる担任と一対一の問答。あいにく名字がア行である俺は回ってくるのが早い。しかも昼休みに配当されてると来た。

ついてねえ。

放課後に部活の時間が減るのも嫌だが、弁当をゆっくり食えないのも同じくらい嫌だ。
かといってサボれば更に面倒になるため、行くしかない。今日の弁当は握り飯だったのは助かった。母ちゃんナイス。


進路相談室までかったるく歩いていると、見知った後ろ姿が映る。
柳野だった。俺には気付かず何やら教員と話している。職員室前。真面目な柳野のことだ。授業の質問でもしてるんだろう。ノートらしきものを胸に抱えている。
俺にとって柳野は、ただのマネージャー。彼女の友達。幼なじみの親友。
そして、及川の元彼女。別れていたというのは、つい最近知った。何故別れたのかは知ったこっちゃねえが、及川が悪いというのは言われなくても分かる。
盗み聞きするわけじゃないが、徐々に距離が短くなるので自然と会話が耳に入ってくる。

「本当にいいの?」
「いいんです。二年の終わりくらいから考えてましたし…」
「柳野さんが辞めたら大変じゃない?」
「大丈夫ですよ。私が居なくなっても、うちの部には敏腕マネージャーがいますから。それに今年の新入生は気の利く子が多くて良く手伝ってくれますし、私より手際がいいんですよ。」

足が、止まった。
柳野さんが辞めたら?
私が居なくなっても?
どういうことだ。

「そう。それならいいわ。じゃ入畑監督から判子もらったら、また来てちょうだいね。」
「はい、わかりました。」

教員が紙を渡して職員室に入る。
紙を受け取った柳野が会釈して踵を返せば、俺を見て固まる。

「い、岩泉くん……」
「辞めるのか?」

まどろっこしいのは嫌いだ。だから単刀直入に柳野へ聞いた。
柳野がうろたえる。言葉に詰まっている。視線が下へ降りる。何かを言いかけている。
おそらく俺に会うことは想定外だったんだろう。職員室は三年の教室から一番遠い。
いつもなら絶対来ないが、今日は行かざるを得なかった。職員室の隣の部屋にある進路相談室に用があったから。
しばらくして柳野はいつものように困った笑顔をして、俺に向ける。

「うん。」

柳野は誤魔化さない。否定しない。この姿勢を是非とも見習うべきだ、あのバカは。

「いつだ?」
「早くて明日、かな。来週中には来なくなるつもりだよ。」

努めて柳野は穏やかに話す。

「そうか。」
「うん。そうなの。」
「柳野。」

柳野はビクリと肩を揺らす。つい強い口調になってしまったのは決して怒りからじゃない。

「及川に負い目を感じることはねえ。」

無責任なやつじゃない。
言い訳をするやつじゃない。
だから、今胸に抱えている紙を出そうと決めたんだろう。

「安心しろ。バレー部でおまえに迷惑かけられたなんて思ってるやつはいねえよ。」

浮かんだのは、意地っ張りな幼なじみと、素直になれない生徒会長。
この分だと、あいつらにも言ってないんだろう。柳野なりのけじめ、なのかもしれない。

「俺は止めねえよ。おまえが決めたことだ。けど、おまえが辞めたら泣くやつがいる。」

自分のせいだといって泣くんだ。全くいつからこんなにひねくれたんだ。
元凶と原因は他でもないあの大馬鹿野郎なのだが。

「でも、この気持ちでいたら、だめだよ。困らせちゃう。早く忘れないと。」

焦りと寂しさが入り交じる柳野の表情は、見過ごせなかった。

「俺は…」
「うん?」
「正直あの女たらしクズ野郎のどこがいいのかサッパリわからん。顔とバレーの実力は認めるが、それ以外に関してはクズ以下だし、人間として尊敬に値するところは一切ねえし、女にキャーキャー言われて胡散臭い笑顔を向けるのも腹立つし、鬱陶しいし、うぜぇし、アホだし、ガキだし、バカだし、めんどくせぇ。」
「あの、えっと、岩泉くん…?」
「だが。」

事実を述べていって改めてあのバカのアホぶりに苛立ってきた。ほんとロクなもんじゃねぇなアイツは。

「無理して忘れる必要は無い。大体、悪いのは及川だし、つか及川のせいだろ。」

及川を擁護する気は更々無い。うだうだグジグジごちゃごちゃ変な方向へ行ったのはアイツ自身だ。他人を巻き込んで何やってんだ。

「明日きっぱり忘れるかもしれねぇし、まだ時間がかかるかもしれねぇ。そんなの分からねえだろ。自分の気が済むまで、それと付き合ったってバチ当たんねえよ。」
「………」

目を丸くしたのち、苦笑をこぼす。

「そうだね…簡単に出来たら、苦労しないよね。」

どこかスッキリした面持ち。完全に吹っ切れたわけじゃなさそうだが、さっきに比べて表情は明るい。少し気が晴れたのなら、それでいい。

「ありがとう。引退はもう少し先に延ばすことにするよ。」
「そうかよ。出来れば、俺達と一緒の時期にしてくれると助かる。」
「…それは、約束できないな。」

退部届を眺めながら、独り言のように呟く。少なくとも、しばらくは提出されることはない。いつになるか分からないのは厄介だが、そのときはそのときだ。

「こら岩泉、早く来い!」

進路相談室から担任が出てきて、本来の目的を思い出す。柳野が慌てて俺に「引き留めてごめんなさい」と謝罪し、ぱたぱた教室へ戻っていく。引き留めたのは俺なんだが、柳野のことだ。気を遣ってくれたんだろう。俺もテキトーに担任へ謝罪し相談室へ入る。

なんにせよ。
及川が無性にムカついたので面談が終わったら一発殴ると決めた。





[ 6/24 ]

[*prev] [next#]