榊柊小説 | ナノ



夕暮れの音楽室(りん)

 放課後の廊下を歩いていると微かに聴こえてくるピアノの旋律。それは音楽室に近付くほど鮮明に聴こえ、柊の頬は緩む。
 音楽室へ続くドアをそっと開ければ、こちらに背を向けてピアノを弾く愛しいあの人の姿があった。柊が入ってきたことに気付いたのか、演奏の手が止まる。

「あ、すみません。気が散っちゃいましたか…?」

「いや、そうではない」

 演奏の邪魔をしてしまったのかと焦る柊に、榊は否定の言葉を紡ぐと立ち上がり、柊の傍に寄る。そして柊の肩越しにさっと窓に視線をやると、音楽室のドアを施錠し、暗幕になっているカーテンを引いた。
 元々、廊下側にある他の窓はカーテンが閉められていたが、ドアにある窓にもカーテンが引かれたことで、廊下側からは中が一切見えなくなってしまった。

「先生……?」

 唯一、反対側にある窓から差し込む西日だけが音楽室を照らす明かりとなっている。不思議そうに首を傾げる柊に榊はフッと笑みを零した。

「何、見られては困るだろう。おいで」

 どこまでもこの人は見抜いているのだろう。柊は自身の考えを見透かされていたことに恥ずかしさから頬を染めると、躊躇いがちに榊に抱きついた。ふわりと香水の匂いが鼻腔をくすぐる。

「寂しい思いをさせてすまない」

「いいえ、いいんです、そんなのわかっていますから」

 この想いを受け入れてもらえたことさえも奇跡に近いのだ。多くは望まない。こうして二人の時間を僅かでも作ってくれる、そんな気遣いが寂しい心を満たしていく。

「君は謙虚な子だ。もっと望んでもかまわないのだよ」

「ではもっと抱きしめてください」

 そう言えば背中に回る腕の力が僅かに強くなる。
 今だけは教師と生徒という立場を忘れてただの恋人同士としての幸せに浸りたい。そんな柊の心を見透かしているのだろう。榊は彼女の耳元に唇を寄せるとそっと囁く。

「愛している」

「!?」

「たまには、こういった言葉もいいだろう」

 言葉をあまり贈らない人だからこそ、その一言は深く心に染み渡る。
 態度だけでなく言葉でも。そうして適確に心を掴んでくる愛しい恋人にどんどん溺れていくことを感じながらも柊はふわりと微笑む。
 それに応えるように榊は言葉はもう要らないだろうと唇を塞いだ。






2013-09-25   作:りん


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