好きの重さ(りん)


 それはある春のことだった。

「何やってるん自分」

 いつも男子テニス部を影から観ていた一人の女の子。声をかけたことがきっかけで、彼女と親しくなるとはあの時は白石も思わなかった。
 人見知りがちな印象だったが、話していくうちに最初のおとなしそうな印象は覆る。時々きつい言葉遣いもあるが、好きな物について話すとき、ちょっとした仕草はやっぱり女の子そのもので、可愛らしいと話す度に惹かれていく自分に気付く。

「なあ、越野さん。自分、顔色悪ない?」

「え? そんなことないよ」

 そう言って誤魔化そうとしても無駄である。白石の目に映る越野は青白い顔をしており、疲れ切っているように見える。
 階段の踊り場、屋上へと続くこの場所はほとんど人がこないので越野が授業をサボるときに利用している。だが、真面目な白石がそれを見逃すはずもなく、今日もこうして見つけて教室へ連れ戻そうとする。いつものことだったが、今日は違った。
 越野の顔色の悪さに白石は階段に腰掛けている彼女の額に触れる。熱はないが、指先に視線を移すと血の気がない。

「越野さん、最近ちゃんと飯食ってるか?」

「え、あー……」

 あからさまに目を逸らした彼女に、白石は深々と溜め息を吐く。

「ちゃんと食わなアカン言うたやろ。ったく……立てるか?」

「平気、へい、き……!?」

 立ち上がった瞬間、ふらっと身体がよろけた越野を白石が抱きとめる。

「あっぶな……落ちるかと思ったで。ケガあらへん?」

「ないから、あの、離して」

 先程と打って変わって頬を赤く染めている越野を見て、白石は首を振った。

「アカン、顔赤い。熱上がってるんかもしれへんし、また転んだらアカンしな。このまま保健室連行や」

 そう言って越野の膝裏と背中に腕を回すと、白石は彼女を抱き上げた。突然の浮遊感に動揺している越野を無視して白石は廊下を歩いていく。

「ちょ、白石先輩! 下ろして!」

「暴れたら落ちるで」

 そう言えば腕の中で越野はおとなしくなる。落ちるのが怖いのか、戸惑いつつもしがみついてくる姿に、可愛いなんて思ってしまう。

「保健室くらい、自分で行ける……」

「アカン、そんなフラフラになっとる子を放置なんかでけへんやろ。俺、保健委員やし任せとき」

「だって、私おも……」

「重くあらへん。お前ほんまに飯、全然食ってへんやろ。軽すぎてビビるわほんま」

 腕の中の小さな女の子はあまりにも軽すぎて、妹よりも細いその手足に、少し力を込めれば簡単に折れてしまうのではという錯覚すら覚える。

「またまた、そんな冗談面白くないよ」

「冗談ちゃう。お前、飯食いや」

「気が向けば」

「アカン。俺、これから毎日、昼休みに越野さんの教室に突撃しに行って一緒に飯食うからな」

「は!? む、無理無理! 白石先輩と昼御飯とか女子に目、つけられる!」

「ほな連行するわ」

 このままだと栄養が足りずに倒れて学校に来れなくなるのではないか。そんな一抹の不安が頭をよぎり、思わずそう口にしてしまっていた。迷惑だろうということはわかりつつも、放ってはおけないのだ。

「なんやったらユウジも誘うで」

 その一言は効果的だったのか、一瞬にして黙り込み小さく頷く越野を見て、内心苦笑する。彼女が好きなのはユウジだということは以前、本人から聞いた話だ。なぜ男子テニス部に執着するのか、それを知って協力を買って出たのも自分なのだ。
 ただ、それだけの関係だったのにいつから自分は彼女に惹かれていったのだろうか。そんなことをぼんやり考えながら白石は保健室のドアを越野に開けてもらい、部屋に一歩足を踏み入れた。

「あれ、先生居らんのか? まあええわ、とりあえず空いてるベッドに横なっとき」

 ベッドに寝かせ、傍にある棚の引き出しを開けて中から体温計を取り出すと越野に手渡した。

「よく知ってるね」

「まあ、ここに病人とかケガ人連れてくること多いから場所覚えてもうたんや。とりあえず熱測って横なっとき」

 おとなしく従う彼女に背を向けて近くの椅子に座る。

「とりあえず越野さんに飯食わさんとな」

「ガチなんですかさっきの」

「当たり前や。越野さんが倒れたなんてなってみいや、ユウジも血相変えるで」

「……そうだといいな」

「そうやって。アイツ、なんだかんだで越野さんのこと気に入ってんで」

 ユウジの口から越野の名前が出ない日はない。元々、素直じゃない二人だが、互いに想い合ってることは話を聞けばわかるものだ。
 可愛い後輩の為にも応援したい。だが、フラれてしまえばそこに付け込めるのではないか、そう思う自分もいて白石は何度も自己嫌悪に陥りそうになっていた。

「白石先輩ってお節介ですよね」

「せやな、よう言われるわ」

「でも、そういうとこ嫌いじゃないです」

「素直に好きって言えばええのに」

「……好きですよ、オカンみたいですけど」

 背中越しに伝えられた“好き”の二文字。だけどそれは白石の思う“好き”とは異なるもの。だが、それでも嬉しいと思う自分の単純さに口元が緩む。

「ああ、俺も好きやで……心配かけてばっかで目が離せん厄介な後輩やけどな」

「それ褒めてない」

「お互い様や」

 単純に「好きだ」と言えたらどんなにいいだろうか。だが、それを口にすることでこの関係が壊れてしまうくらいなら心にしまうことを選択する。どんな形であれ、傍に居られるならそれを選ぶだけだ。
 たとえ報われない想いだとしても……。



2013/10/06



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