穏やかな香りと(ロゼ/悲恋)





「ありがとう、愛してたよ」

あの人の声が今も私の眠りを妨げる。雨の音と共に、私の手を握り締めながら言う彼がずっとこの心に居る。
瞼をそっと開いて、幻覚のその手を掴もうと必死に伸ばしても見えたものは天井で、彼の姿などはない。
「目が覚めた?」
隣からふと声がして、そっと顔を傾けると、思い描いたものとは違った男の顔が笑っていた。
「…祐介さん」
祐介とは、5歳年上旦那。この人と結婚してからもう2年は過ぎた。
薬指につけた高い指輪は暗闇の中でも微かに光っている。
そして、その指輪を外せば昔つけた薬指の指輪とみたてた傷が痕と化している。これは、彼を忘れないために自分で付けた若さ故の馬鹿な発想だ。
「さて、起きましょうか。今日は私のやりたい事に付き合ってくださるのでしょう?」
「ああ。行こうか」
私は少しでもまだ浸っていたくて、そっと指輪外したり付けたりを繰り返す。彼は今、幸せなのだろうか?私の願いはただそれだけだ。心でそう言って、涙に濡れた頬を拭いながらこの大きな廊下を歩いた。


「本当にここでいいのか?」
私が連れてきたのはただのショッピングモールだ。所謂、彼には縁がない環境と場所。
しかし、私は何度もここへ来た思い出の場所だ。
「はい」
私は店中を懐かしむように歩き、仕方ない顔をした彼の隣に並ぶ。
すると前から何組もの恋人や子供連れの親子が歩いてくるので私達もそう見られているのかと笑った。
「あ…」
そう声がしたのはすれ違った後だった。少し気になって振り向けば仲の良さそうな親子が目に入る。小さな子を抱えた父と腕を組むその母。どこか、見た事のある雰囲気がして暫く見ていた。
「どうした?」
彼はそんな私を気遣ってか、私の顔を覗き込む。
「い、いえ何も」
偶然が重なれば奇跡になり、奇跡が重なれば必然になる。そんな言葉をいつかの幼い私は彼から聞いた。私は毎日が偶然のようだったから、もしかしたら今のは奇跡なのかもしれない。
遠くから彼らの笑う声が聞こえる。
「祐介さん、やはり今日は帰りましょう」
なんて嬉しい事なのだろう。
私の願いが、一つ叶った。





 



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