身勝手な雨を


□その日は雨が降っていました。それはなんの面白みもないニュースになりました。どこにでも起こりうる事故でした。被害者は女性、職場から自宅へ帰る途中、彼女は自分の身体の何倍もある車に横から追突され、空き缶のようにペチャンコに潰されて亡くなりました。身体から出た赤が雨水に溶けて下水道への流れていきました。身体を冷やしたのは■か雨水か、どちらが先だったのでしょう。どこにでも起こりうる、よくある事故でした。そんな彼女に恋人がいたことも、まあ世の中にはよくある事でした。可哀想に。そんな感想が流れて消えて風化していきます。誰も彼もが忘れてしまい、彼女の記憶はおろか、彼女の生きた記録さえも風化します。可哀想に。どんなに彼女の半身が叫ぼうが、彼女の恋人が嘆こうが、風化は避けられぬのです。みんなあの日の天気を忘れてしまいました。

□雨。男だけです。可哀想に。男はあの雨の日からずっと囚われています。何時だって前を向く自分を好いてくれた彼女の為にぎこちなくなってしまった身体を動かし、呼吸をして、心臓を動かして血液を送って、機械のように生きました。前を見つめる振りをして周りと自分を騙して、何とか保って。しかし何時だって心はあの日に囚われていました。男は男と彼女と周りと、皆が思うほど強い人間ではなかったのです。男が瞼を閉じると雨が降っていました。夢。夢の中。雨が振り彼女が目の前で、■にます。■にます。■にます。手は届くことはないでしょう。だってこれは繰り返しなのですから。

□雨の日でした。男はゆっくりと確実に壊れていきますが、誰もその事に気がつきません。雨が降っています。男に傘をさす人はいません。男も傘をさそうとしません。雨。雨粒が頬を滑り、地面にある水溜まりに波紋を作りました。下水道へ赤が混じった雨水が流れる音が鬱陶しく感じました。頬を滑る雨粒が冷たいと感じました。

□アスファルトの整備された道。彼女が歩いていました。見覚えのある男物の傘をさして、男の横を通り過ぎます。良いことでもあったのでしょう鼻歌を歌いながら頬を赤く染めて、その足取りは軽いように思いました。男は唖然と彼女を見送り、彼女が潰される瞬間を網膜に焼きつけました。それは男がはじめて夢を見た時のことでした。

□男は繰り返すうちに、精神を消耗していきました。雨の中、男は誰にも認知されることはないのです。どんなに彼女に声を掛けようとも、手を伸ばしても、夢には何の影響も及ぼしません。冷えた指先が震えましたが、それを温めるには男の身体は冷えきっていました。今日も彼女は■にました。

□「大丈夫ですか」柔らかい声には目の前の男を不審がり、でも隠しきれない情がその言葉にのっていました。唖然とした顔の男に何を思ったのか彼女は焦ったように「大丈夫なら、いいんです。そうだ、傘!よかったら」そう男に傘を押し付け、鞄を頭にかかげて走っていきました。男が声をあげた瞬間、振り返った彼女に車が突っ込んでいきました。男の手には彼女の温もりが残った傘の柄が握られたままです。

□夢に変化が起きました。もしかしたら!もしかしたら!はじめて男は奇跡という言葉を信じました。それから男はたくさんの繰り返しのうちにたくさんの事を試しました。

□彼女に自分から話し掛けました。彼女は不思議そうに挨拶を交わした後に■にました。

□強引に腕を引っ張りました。怯えた彼女は逃げた先で■にました。

□道を変えるように促しました。これも前と同じ結果になりました。

□今日は彼女の代わりに車に轢かれてみました。しかし、車が轢いたのは男の身体を押した彼女で。いつものように彼女は冷たいであろうアスファルトの上に倒れて身体を冷やしています。男は彼女に力なく手を伸ばしました。赤は留まる事なく流れていきました。男は雨にうたれながら変えることのでない結末に嘆きました。そうして気付かざるおえませんでした。自分などに変えられる出来事はないのです。だって、これは所詮夢なのですから。起こった事は元には戻りません、無かったことにはできません、魔法はありません。自分が自分に見せている都合の良い夢なのです。彼女への■を伝えられなかった男がもつ罪悪感と、彼女の■を認められていない男の身勝手さが生んだ、これはただの夢なのですから。

□その日はじめて、男は枕を涙で濡らしながら優しい夢から覚めました。


「あの大丈夫ですか」
「…あぁ」
「傘、ないんですか。それに…酷い隈」
「もう…意味がないからな」
「…」
「何だ」
「何だか、やっぱりそっくりだから。」
「…やっぱり?」
「…よかったら、傘使いますか?」
「…それは見るからに男物だろう。借り物じゃないのか」
「そうだけど…きっと貴方が倒れて運ばれたら面倒をみるのは彼だもの。彼の仕事を減らしたいの」
「…ノロケ話か」
「ふふ、そうね。私は彼が大好きよ?」
「…そいつも」
「え?」
「そいつも、君の事が好きだと思う。幸せだと思う」
「…!」
「…折り畳み傘があるんだ。だから大丈夫」
「あるのなら、使ってくださいね」
「あぁ、じゃあ…さようなら」
「はい、さようなら」

□最後に彼女を見送ってから、男は彼女の夢をみることはなくなりました。
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