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「おーい李沙ちゃんちょっと遠くないですかー?」

 黒尾先輩とその距離約一メートル。わたしの方が後ろにいて、黒尾先輩が前を歩いている。いきなりこんな警戒したって意味ないかもしれないけど、この間から先輩変だから。わたしの家までまだ距離はあって、送らなくていいですって何回言っても聞かなくて、のろのろとずっと足を進め続けていた。

「先輩が今なに考えてるか分かんないから近付きたくない」
「不審者扱い?」
「似たような扱い」
「酷いね」

 けたけた笑っているのを見て、わたしの言葉をあんまり真に受けていないことは分かった。
 早く帰って宮君と電話したいのに。またえっちなお願いとかされるかもしれないけど、別にそんなのはどうってことないのだ。会えない分、電話をするという時間はとても貴重だし、彼はわたしと違って忙しいから。今日は何を喋ろうかな。そう考えたところで手首の包帯が目についてしまった。いや、このことを喋る訳にはいかない、絶対に心配するし、下手したらこっちまで来てしまうかも。いや、来てくれることに関してはとても嬉しいけど、宮君は案外短気だったりする所があるからちょっとだけ心配なのだ。

「…今日も電話すんの?」
「そりゃあしますよ」
「離れてるのに繋がってんのね」
「なにその台詞」
「…」
「黒尾先輩?」
「ほんと、隙が一ミリだってねえんだもんな…」

 吐いた息と言葉が、暗闇に溶け込んで消えていく。それ、どういう意味? とは聞けなくて、わたしは一旦無視を決め込んだ。少しだけ跳ねた心臓がぴくぴくと上下しているのが分かったけど続きを言わせる訳にはいかない。この手のシチュエーションには見覚えがあるのだ。その度にいつもの常套句を使ってきたし、するりと逃げる術だって知っている。だけど、相手が黒尾先輩だったら少し違ってきそうで。そもそもわたしが考えていることになる訳じゃないことだって分かっているけれど。

 会話が続かないまま歩き続けて十分程経っただろうか。ピカッと光る黒色の車がふと横切ったかと思ったら、すぐ側で停車した。不審に思ったが、なんだか見覚えのあるナンバーだなと凝視していたら、そこから出てきたのは随分綺麗な格好をしたお母さんで、運転をしていたのはお父さん…ではなく、わたしが知らない人だった。

 状況がよく飲み込めない。なにやってんの、っていう声すら出てこない。一メートル先にいる黒尾先輩の足も止まっていて、こちらを振り向いたまま固まっている。なに、なんなの。何が起こっているのか誰か説明してほしい。運転席にいる男の人はお父さんとは違って若くてかっこよくて、…でも、なんとなくわたしは好きになれそうにないタイプの人だ。

「今帰りなの?」
「そ…だけど、」
「丁度良かったわ。李沙も一緒に来ない? 今からこの人と食事に行くんだけど」
「…いや、あの…誰…?」
「この人ね、今お母さんが大切にしてる人よ」

 大切な人。…待って、じゃあお父さんは? もうなんでもないってこと? もしかしていつの間にか二人は夫婦でもなんでもなくなってた? でもわたしはそんなの知らない、仲が悪くてもそんなことになってたなんて、全然知らなかったんだけど。愛想の良さそうな顔で「乗っていきなよ」っていう男の顔は、その言葉とは裏腹に「邪魔すんなよ」と言いたげなのがよく分かった。それを汲み取っていないお母さんがとても怖いとも思う。口を開けっ放しにしたままのわたしの腕を、首を傾げながらも引っ張ったお母さんはどうやら連れて行く気満々のようで、精一杯の否定とばかりにぐっと右足に力を込めた。動かないように、動かせないように。

「李沙、どうしたの?」
「…わ、わたし、」

 行かない。その一言が出ない。声に出したら母と娘という関係が、親子という関係性が忽ち崩れていきそうな気がしたからだ。どっちかがたくさん好きとかそういう訳じゃないけどなんの説明も無しに振り回されるのは嫌。普通だったらきっとそうでしょ?

「すみません、李沙は今日俺が連れ帰る予定で」

 無理矢理にでも連れて行こうとしていたのは分かっていた。そして男の人も「来んな」っていうオーラをやめない。そんな二人の間で身体を固まらせていたけど、そこから救出してくれたのは黒尾先輩だった。ぐいっと逆方向に引っ張られて、お母さんの手からするりと離れていく。目を丸くしたお母さんのその後ろで、「彼氏いるならいいんじゃない?」と大層興味のなさそうな声がした。

「…そう」

 一言だけポツリと零した声は車の扉を閉めた音で掻き消される。本当に「何か」を言ったのかすらも分からないくらいの小さな声は寂しそうだった。だけど気付いてほしい。こっちだって、悲しくてしょうがないってことを。

「…黒尾先輩帰っていいですよ」
「いや、無理だろ」
「帰ってってば」
「だから、」
「っ帰ってよ!!」

 近所迷惑だと分かっていても、お腹の底から溢れたものは止まらなかった。汚いものを全部吐き出したくてたまらない。ここにわたしの居場所なんてない。学校も嫌、家も嫌、…何処に安らげる場所があるの。

「彼氏の代わりでもなんでもいいから俺のこと好きに使えばいいだろ」

 ふわりと背中越しに抱きしめられた腕は知らない匂いだ。宮君じゃない、違う男の人の匂い。いつもだったら振りほどくことが出来るはずなのに、自分がいつもよりもずっとずっと弱いせいで、そんなことすらできなかった。

2019.05.19