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 蛍の行動の意味が分からない。

 だって普通あんなタイミングで鉢合わせると思う? あの場で突然キスなんてされると思う? 恥ずかしいとかやばいとか、色んなことを考える前に取り敢えず驚いたという思いが一番強かった。だって吃驚したんだもん。蛍が、意外と強引な奴だってことに。

 あの日のその後、わたしは物凄い速さで脱兎した。火事場の馬鹿力って言うのは知ってるけど、あれはなんて言うんだろうか。疾風の如く、的な? いや分かんないわ。考えるのやめよう。

「…ちょっと、食べないの?」
「えあ、」

 はっとした時にはフォークからソーセージが抜け落ちた所だった。東京の超人気店で、前から来たかったんだと駄々を捏ねて予約してもらったナポリタンの美味しい喫茶店。にも関わらず、わたしの心は超人気店のナポリタンよりも月島蛍という眼鏡男にごっそりと持っていかれていた。目の前では怪訝な顔をした仕事仲間がこちらをじっと見ている。

 今日は仕事で東京に足を運んでいて、東京に来ると大体ご飯を一緒に食べる仕事仲間の友人兼先輩は、ほとんど食べ終えた三種のチーズグラタンのお皿を左に避けて肩肘を机についていた。

「ちょっと見ない間に随分と心境の変化があったみたいだね」
「え、そうですか?」
「さっきメンバーに聞いたけど、今日のリハかなりグダったらしいじゃない。折角良いハコだったのに」
「あ〜もうそれ言わないでくださいよ〜…わたしも反省してますう…」
「怜奈がそういう風になるの珍しいから相当心配されてるよ」
「左様でございますか…」

 間違いなく、今日のリハは酷かった。自分ではそれも認識している。酷過ぎて、わたしの心はずっと異常に勢い良くブレていたのだ。左と右に、上と下に、バイブレーションでも搭載しているみたいに、あらゆる方向へと動いてはああでもないこうでもないと向きを突然変えて。プロとして働いている癖に「キス一つで」なんて楽観的に考えがちかもしれない、けど聞いてほしい。わたしはこれでもファーストキスなのだ。しかも、歳下の高校生に奪われてしまって、…そんなの動揺しない方がどうかしている。

「なんか嫌なことでもあったの?」
「嫌なことはなんにもないです、強いて言うなら…色々初めてなことが多くて…?」
「ああ、この間のCDあんたが全部作曲したんだっけ。よかったけどね〜、でもあんなメロ出るが怜奈から出るなんて意外だったわ」
「んんん」

 いや、違う。そういう初めてじゃない。けど、言ったら言ったで面倒臭くなりそうだから口を固く閉じた。相談するならゆかりだけで充分だ。

 折角の美味しいナポリタンはあんまり味が分からなくて、来たことを後悔してしまう。もうちょっと楽しい気分で食べに来たかったな、なんて、ぶすっと大きめに切られたピーマンをフォークで突き刺した。

 わたしは蛍のこと、好き。でも、蛍はどういうつもりでキスなんかしてきたんだろう。最近避けてただろって言うけど、ほんとは会いたかったんだよ。変装してでもいいから蛍に会いに行きたかった。でも、蛍にはちゃんと好きな人がいるんでしょ? いる癖に、連絡してくれないとか怒って、勝手に私の大切なここ≠ノ触れた。それって、とっても酷いことなんじゃないの?

「…はあ、」
「…まさかと思うけど、恋の悩み?」
「ワッわたしじゃないです!」
「……。へえーそう。で、そのあんたじゃない誰か≠ェどうしたの?」

 ぱち、ぱち。大きく瞬きをした先輩は、ふうんと言いながらコップの中の氷を揺らした後、腕組んでずいっと顔を覗き込んできた。やばい、バレた?! かと思ったら、すんなりわたしの嘘を本当だと飲み込んでくれた。らしい。ニヤニヤしている顔が心底不快極まりないが、これはこれで好都合だった。わたしの友達っていう設定なら、少しは話せるかもしれない。

「…最近仲良くしてたらしいんですけど、向こうに好きな人がいるって発覚して、そっと距離置いたらしいんです。そしたら、その…なんで連絡してくれないんだとか怒られて、無理矢理キスされたとかなんとか…」
「えっ嘘ほんと!?」
「だっだから私じゃないんですってば!」
「あっ…そうそう、そうねあんたじゃない誰か≠ヒ‥」

 先輩の大きな声に、心臓が飛び出そうになった。つい周りを見渡してほっと息を吐いて、持っていたフォークを一旦お皿の上に置く。
 あの時の蛍の顔を思い出すと、なんとも言えない気持ちになってきてしまう。あんな悲しそうな顔をふと思い出してしまったら、ついわたしだって自惚れて勘違いしてしまいそうになるから。

「それさあ、相手が好きだって言う人は、そのあんたじゃない誰か≠ウんなんじゃないの?」
「…えっ? なんでそうなるんですか?」
「いやよく考えなよ。好きな人っていうのはそもそも自分かもしれないわけじゃん」
「え???」
「だからあ、好きな人いる≠チて言えても、それが貴女です≠セなんて直球で言える奴そうそういないってこと! 大体連絡してくれないって怒ったりするのはあんたじゃない誰か≠ウんが好きだからじゃないの? キスは…まあ多分、勢い的な?」

 ちょっとだけ、目から鱗が落ちた気分だった。確かにそうかもだなんて、納得してしまう自分がいる。でも勢いでキスってなに。それは本当に意味が分からない。だけど、…なんか、じわじわと暑くなってきたような。

「…そんな考え方なかった…」
「普通あるわ」

2019.02.08