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只の男と女の話






 心を鬼にした人はきっと鬼よりも恐ろしい存在だと思う。

 風柱として昇格したばかりの不死川様は、神よりも神々しくそして恐怖を与え得る存在だった。目を合わせれば地獄、修行で手を合わせれば地獄、声を掛けられても地獄、お夕飯を囲んでもまた地獄。彼の目は隙もなくずっと何かを睨んでいて、空気はいつも研ぎ澄まされていた。だから奇襲をかけようとも勝つことはできないし、勝つという想像が全くできないのだ。優しい雰囲気等微塵もない。だけどその限りない繊細な塊を持った「強さ」が、わたしは密かに好きだった。


「お前はどうしてここにきたァ!」


 さあ、分かりませんけれども。
 そう言いたかったけど、声にはならなかった。腹を裂かれた身体から、ずるりと見えたらいけないものが見える。きっと死ぬだろう。これで死ななかったらわたしは不死川様の大嫌いな女の鬼だ。
 不死川様は、一人鬼の群れる地へ出陣していた。上弦の鬼こそいないらしいが、下弦の鬼は確実にいると言う噂のこの土地にたった一人での任務だった。負けるはずない、勝てない訳がない。そう思ったところで何故か、わたしの足は勝手に彼の背中を追っていた。気配を消すのだけは柱に匹敵するほどに得意だったから、彼に隠れて追うことなど造作もない。

 ただ彼を「守りたい」「死なせてはいけない」というわたしの勝手な我儘と、そう思うに至った嫌なことがあった。不死川様から譲り受けた大切な湯呑みを落として粉々に割ってしまったこと、一度も咲いた所を見たことがなかった竹の華が、ぞっとするほど綺麗に咲いていたこと。そうして任務を言い渡されていなかったわたしの周りで、唯一任務に旅立ったのは不死川様だけだったのだ。


「…ぁ、」


 人の死すらも、きっと涼やかな顔をして見届ける人なのだと思っていた。心を鬼にしてしまった人だから、弱いわたしなんて興味もないとばかり。頬から首元に垂れていくそれは、確かにわたしを濡らしている。…泣くんだ、と思った。昔、あまりにも修行が辛くて、地に伏せて動けなくなったわたしに「立て! 殺すぞォ!」って言ってた癖に、そんなわたしの為に泣いてくださるのか。

 血生臭い森の中心、不死川様の四方八方に鬼がいた。その真上から、血鬼術を使う鬼が彼の頸を狙っていたのも見えた。わたしと同じく気配を上手く消すことのできる特殊な鬼だったらしい。やっぱり来てよかったと真っ先に思って、そして安堵した。悪い予感とは当たるものなのだ。


「…ふふ、」
「巫山戯んなテメェ! 死んだら殺すぞォ!」


 そうだ。死んだら貴方がまた手を降してくれればいい。そしたらわたしは幸せに死ねる。そうしたら、鬼になんかやられていないということになるから、絶対その方がいい。


「聞いてんのか! オイ!!」


 口から溢れる血は枯れない。不死川様の左の掌を、わたし如きの血が汚して、少しずつ貴方の温もりが、声が、遠くなっていく。冷たくなってるのはわたし。泣いてるのは貴方。閉ざされていく瞼は、重くてとても暗い。

 ねえ、わたしを抱いて泣いている場合ではないでしょう? 下弦の鬼はまだ残っているのに、そんなんじゃあ風柱なんてもう務まらないんじゃないですか?

 軽口は心の中で響いているだけだ。届かない。届いたらきっと怒鳴られてしまうことだろう。だけどそれさえも愛おしいと思ってしまうのだから、間違いなく恋をしているのだ、不死川実弥という、風柱の男に。

 貴方の強さを瞼の裏に残したまま死にたい。だけどその思いも多分、届かない。だけど不死川様が零した「なまえ」という声色は、わたしが好きだった繊細な部分なんて一欠片もなく、聞いたことのない哀しみに塗れたそれだ。

 彼は鬼の皮を被っただけの、ただの「男」だった。