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 気付いたら、スマホの充電が死んでいた。大きなウサギ型のぬいぐるみ(通称うさちゃん)に抱きついたまま寝ぼけて時間を確認しようとしたら、画面の電源がつかなかったのだ。今日は何をする予定だったっけ? そう考えてむくりと起き上がって、何秒か後に思い出す。

 そうだ! 挨拶回り!

 テレビの電源を付けて時間を確認すると、時間は既に十時手前だ。社会人の人であれば、ほとんど出社している時間である。あ〜これはもう無理、いない、ぜったいいない、留守だ。そう落胆しながら一度はうさちゃんにダイブしたものの、いややっぱり待てよと気を取り直す。このマンションに住んでる人が社会人ばかり等と決めつけなくてもいいのではないか? もしかしたら歳の近い子だっているかもしれないし、夫婦の方もいるかもしれない。挨拶回りというものは早い方がいい。絶対に。そう考え直すと、とりあえずとばかりにお風呂場へと一目散に急ぐ。落としていないアイラインを一度落として、汚れを落として、人様の前に出られる最低限のレベルにならないといけない。そうして烏の行水並の速さで部屋に戻ると、化粧をし直してワッフル生地のワンピースに袖を通す。とにかく変な人がいませんようにと祈るばかりである。

 各階には三つずつお部屋があって、このマンションは三階建てだ。ということはわたし以外に八部屋あるということになる。まずは両隣のお部屋からと思ったが、生憎左のお部屋は留守であった。いやもうこれはわたしが遅刻をしたせいなのだ。また夜にでもと諦めて右のお部屋に向かう。ドアノブに掛かっている傘は透明なビニール傘で、なんとなく男の人かなと思いながら、恐る恐るインターホンを押した。

「あ、おはようございます。朝早くから申し訳ございません…あの、わたし昨日隣に越して来ました、苗字と言います」

 出てきたのは、取り分け面倒臭そうな顔をしたお兄さんで、少しだけ足が一歩後ろへと引いてしまう。だけどそれは一瞬だけで、何かに気付いたみたいに何度もぱちぱちと瞼を叩いていた。わたしを視界に入れた瞬間固まったみたいに動かなくなった男の人は、じっとこちらを見たままだ。

「あの…?」
「いや、スミマセン、ご丁寧にありがとうございます、」
「これよかったら…つまらない物なんですけど」

 何か気まずいのだろうか、もしそうだったらまずいかもと足早にここから去ろうと思った所で、まだ手の中に残っていた粗品のことを思い出す。挨拶だけして、一番に渡さなきゃいけないものを忘れるのはあってはならないことだ。というわけで半ば押し付けるようにずいっと差し出した。受け取ってくれなかったらどうしようという少しの不安はあったが、ちゃんとしっかり、しかも両手で律儀に受け取ってくれたのだ。
 案外良い人なのかもと、そう思っていた時である。

「いやそんなこと、…あ、待って、ちょっとタンマ」

 慌てるように右手でわたしをびしっと制した彼が、そのまま部屋に戻っていってしまったのだ。
わたし何か変なことをしたのだろうか? 何故彼は扉を開けたまま部屋の中に? そう考えていた最中、もしかしたら…と嫌な予感も過ぎる。だってなくはない。台所に戻って、包丁とか危ない物を取りに行ってるとかだったら…。もしかしたら仲間が近くにいて、連絡を取り合ってて、逃げられないように挟み撃ちにするつもりなんじゃ…?

「ドウゾ」

 そんな考えを膨らませていた最中、戻ってきた彼が持っていた物はよく見るスーパーの買い物袋。その中には、何か小さいものがごろごろと転がっている。「…お菓子?」と声を掛けた瞬間、焦ったような彼の顔付きはさっきとは随分違ったものだった。

「や、こんなものしかなくてホント、」
「あ!」
「えっ」
「これ! 好きなやつだ! 偶然ですね、宮城出身なんですか?」
「あ、いや、そうじゃないんですけど…」
「わたしも友達が宮城にいていつも送ってもらうんです。嬉しいなあ…でも本当にもらっていいんですか?」
「全然いいですよ」
「ありがとうございます!」

 なあんだ。ただの良い人だこの人。何かあげるものがないかと、台所にでも駆け込んでいたのだろうかと思ったら、なんだか嬉しくて笑ってしまった。怖いかと思ったけどそうじゃない。よくよくみたら、ちょっとだけ緊張しているだけだ。

「では、今後ともよろしくお願いします」
「こちらこそ。…あ、黒尾です」
「黒尾さん?」
「そう、鉄朗さんでもいいですけど」
「え〜?」

 鉄朗さんだって。黒尾、鉄朗さん。わたしよりも二つか三つか上くらいに見えるけれど、実際はいくつの人なんだろう? 踏み込んだ質問はやめておいた方がいいと思いながら、つい口からぽろりと出そうになった。だけどそれは、彼のポケットから聞こえてきた大音量のスマホの音楽によって引っ込んでしまう。黒尾さんのちょっぴり気まずそうな顔に慌ててお辞儀をして自分の部屋へ駆け込んだのは、わたしがいると電話を取りにくいだろうから。

 腕の中でガサガサ音を立てるお菓子の量に少しだけ嬉しくなる。案外寝坊してよかったかもしれない。