素敵だね 完全下校が刻一刻と迫っている、全体練習後の自主練時間。邪念混じりで放ったシュートはリングにガコンガコンと音を立てて決まった。 「苗字さんと話さないのか、笠松」 「あいつが自主練終わるまで待ってるって言いやがったんだ」 訊ねてきた森山からシュートが放たれた。フラフラ軌道を描いたボールはリングにぶつかる事無く内側を通って地面に落ちていく。 「女の子に待っていてもらう…。どこまでも美味しいシチュエーションだな…」 「放置は有り得ねぇんじゃなかったのか?」 「お互い合意の上なら良いんだ。末永く幸せになれよ…」 恍惚とした森山の言葉を全面否定すると、ついさっき苗字と話した事が頭を過って寒気に襲われた。オレは腕を擦り、十数分前の事を思い出す。 十数分前──全体終了のミーティング後。 今日こそ苗字との関係を断ち切ろうと決意していたオレは悩みに悩んだ末、自主練に入る前に苗字の元へ行き話をしようと考えた。話の続きとは何なのか、あとどうして昨日いなくなっていたのかぐらいは森山への弁解のために訊いておきたい。万一傷付いたと言うならしっかり謝って解決する。とっとと面倒事を取っ払って、誰の視線も感じず清々しい気持ちで自主練をする…つもりだった。 重い足を一歩一歩引きずりながら体育館を出て苗字の側へ寄る。オレの気持ちを露知らずな苗字はこう告げてきた。 「笠松くんの自主練の時間を潰して話すのは烏滸がましいから、自主練が終わった後に話すよ」 自主練の後という事は、こいつと一緒に帰路を辿らなければならない訳で、…苗字を更に待たせてしまう訳で。オレにとっても苗字にとってもデメリットだらけな気がした。こんな要求が飛び出す時点でオレ達はウマが合わない。勇気を出して「大丈夫だから今ここで話してくれ」と言おうとした……が、苗字がオレを見始めたので言葉が詰まってしまった。 「いってらっしゃい。私の事は気にしなくて良いから」 苗字が柔らかい声で言う。こいつの場合、この発言はオレの身を粟立たせる原因にしかならない。まさかお前、放置されるのも好きだとか言うんじゃねぇだろうな!? 自分の身を案じて、オレは無言で踵を翻し体育館へ逃げた。 現在の苗字は体育館のドア付近からオレをひょこひょこ覗き見している。ジッと見られるのも気まずいが、こんなストーカー紛いな見られ方も恐ぇな…。 「笠松センパイ、力入ってるっスね」 唸るオレのところへ、ボールを腕に挟んだ状態の黄瀬がやって来た。 「あ、ああ。まあな」 「辛そうにしてるって事は、やっぱあの子が原因っスか?」 黄瀬は、体育館の入口で屯している苗字に素早い一瞥をくれて言った。この男はこういう事に結構鋭い。 (“あの子”ってお前な…) オレの同学年だぞと突っ込もうとした声は漂う雰囲気に苛まれた。黄瀬が冷たい目付きと心配そうな目付きを繰り返しながら苗字とオレを交互に見ている。冷たい目はもちろん苗字に向けられているものだ。 「笠松センパイ、嫌だと感じるなら多少きつめにでも伝えた方がお互いのためっスよ」 とっくに解っている、とは言えなかった。まさにその通りだった。黄瀬の言っている事は正しい。 「サンキューな、黄瀬」 言うぜ、きっぱりとな。 * 要らぬ気を遣ってか、森山達は早々と部室を去った。黄瀬も応援の眼差しを向けて帰っていき、オレだけが取り残された。苗字の名を呼ぶ森山の声が廊下から聞こえる。憂鬱だ。 帰り支度や施錠を終えて、体育館外の壁に寄りかかっている苗字の方を見た。待たせてしまった事を言うべきか迷う。迷っているうちに「お疲れ様」と声をかけられ、空返事しか出来なかった。 「…玄関で、待ってろ」 「うん」 緊張で何度も躓きそうになりながら職員室に行き、鍵を返して玄関へ向かう。女と帰るなんてオレにとっては死活問題なんだよ。 下駄箱を通過した先に、月明かりに照らされた苗字がいた。見据えて、頭のモヤモヤを一蹴する。 もう絶対に会話の主導権は握らせない。今度はオレから第一声を切り出した。 「昨日、何でいなくなったんだ」 校門に向けて歩を進め、後ろから着いてくる苗字に問いかける。 「親から連絡が来て、早く帰るように急かされたからだよ」 「は…それだけ?」 「うん、それだけ」 超平凡な意見に拍子抜けする。暴言吐かれた上放ったらかしにされて傷付かなかったのかという問いには、何の事だと返答してきた。 「ごめんね。一言言えば良かったのかも知れないけど、部外者がのこのこ入って良いような場所じゃないでしょ、あの体育館って」 普通の話をする苗字は実に良識的だった。マナー悪く騒ぎ立てる黄瀬のファンよりは体育館の神聖さを弁えていると思った。それでオレが心を許すかどうかは全く別問題になるが。 これは明日にでも森山に報告して潔白を証明しよう。訊きたい事はもう一つ。昨日の話の続き……オレの罵声で遮ってしまった時のあれだ。それとなく促してみる。苗字は相槌を打った。 「浅い話だから、身構えずに聞いてほしいんだ」 靴音が消えたので、オレは立ち止まり後ろへ振り返った。苗字の足元を見ながら次の言葉を待つ。 「笠松くんのプレイは飛び蹴りと同じくらい魅力的だったよ。バスケって素敵だね」 それだけ、と付け足して苗字はまた歩き出した。対称的に、オレの足は動かなくなる。 比べる基準が変だとか抽象的すぎて意味不明だとか、これを伝えるためだけにオレを待っていたのだろうか、とか。隠していたモヤモヤとは別の新たな渦がオレの中で完成する。複雑な感情に呑み込まれて、素直にお礼が出てこない。 「残ってまで伝えたい事じゃ、ねぇだろ…」 「今日私が残ってた本当の理由はね、自主練も面白そうで見たくなったからなんだ」 口実が無ければ帰されてしまいそうだったからこうした、と苗字は語る。オレは黙って聞いていた。 「自主練見て、素敵だと伝えたらすぐ退散する予定だったんだけど、森山くん達帰っちゃうし…何か大袈裟な事にしてたなら申し訳無いなぁ」 「…鍵返す前、は……」 「笠松くんの待ってろって指示に従って行動したよ」 「あ…。そう、だな。そういや…」 あちらこちらに散らばっている屋外灯と職員室の明かりのみが、オレ達の帰り道を照らしている。 苗字に責め立てる様子は無く、むしろ嬉しそうだった。 [mokuji] |