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 サックスパートの2つ隣の教室ではホルンパートが練習を行っている。

「あら? 名前ちゃん」
「実渕くん!」

 名前がノックする前に、ホルンパートリーダー実渕玲央によって練習教室のドアが開かれた。





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 今年度のホルンパートには、吹奏楽未経験者の1年生──降旗光樹、河原浩一、福田寛が入った。実渕はたった一人で彼らに一から奏法を教えている。何処のパートよりも忙しいはずなのだが、彼は涼しい顔。否、楽しそうな顔をしている。

「今、休憩中なのよ」

 ホルンパートの練習教室内は葬式のように静かだった。メトロノームだけがカチカチと活発に動いている。

「!!」

 名前は目を疑った。
 1年生達が死んだように床に倒れている。

「え!? 何これ!?」
「……あ、名前先輩…」
「光樹くん!! 良かった生きてた!!」
「こんにちは…」
「はー…今日も生死さまよった…」
「浩一くん!! こ、こんにちは……寛くんは何言ってるの!?」

 一番に目を覚ましたのは降旗だ。河原と福田もすぐに意識を取り戻し、這いつくばったまま名前に挨拶する。

「ホルンパートでは毎日、腹式呼吸練習を死ぬほどやってるのよ。死なない程度にね!」

 愉しげな実渕の一言で、名前はようやく事態を把握した。


 腹式呼吸とは、腹筋を使い横隔膜の伸縮によって行われる呼吸の事だ。息を使って楽器を演奏する吹奏楽にとって腹式呼吸ほど重要なものは無いと言って良い。
 普段人間が無意識にしている胸式呼吸では吸う息の量が限られるため楽器が上達しない。何より吹いているうちに息が足りなくなり、自身を苦しめてしまう。

 実渕は降旗達に間違った呼吸法が身に付かないよう、基礎の大幅の時間を呼吸練習に費やしている。変な癖がつくと後々直すのが難しくなる。限界まで苦しい呼吸法を叩き込むのは後輩達の今後のためなのだ。

「可愛い子達ほどしっかり教えてあげたいのよ」

 名前は、実渕が仮入部の時から男女問わず新入生を可愛がっていた事を知っている。どこまで本気なのか謎だが、彼が後輩を大切に思っているのは確かだ。

「はい、休憩終わり! バズィング練習するわよ。マウスピースを持って私のところに集合してちょうだい」
「「「はいっ!」」」

 ホルンパートの空気が休憩モードから練習モードに切り替わる。1年生三人は立ち上がり、凛とした表情になった。実渕の愛ある厳しい指導はまだまだ続く。ホルンパートは彼がいれば安心だろう。

 巡回に戻るため教室を出ようとする名前に、実渕は「パーカッションの1年生の子によろしくね!」と微笑んだ。
 何故パーカッションの巡回がまだだと気付いたのか。名前は疑問に思うも触れない方が妥当だと判断し、ホルンパートを後にした。








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▼ホルンパート

・中音域を担当
・4人構成(実渕、降旗、河原、福田)
・パートリーダーは実渕

▼今回の登場

≫実渕玲央(ホルン)
高等部2年。後輩達を溺愛している。練習は優しくスパルタ。

≫降旗光樹(ホルン)
高等部1年。高校から吹奏楽を始めた。

≫河原浩一(ホルン)
高等部1年。高校から吹奏楽を始めた。

≫福田寛(ホルン)
高等部1年。高校から吹奏楽を始めた。


▽今回の用語

・バズィング…マウスピースだけで演奏する事。またはマウスピース無しで唇を振動させて演奏する事。金管楽器の練習法の1つ。
・マウスピース…管楽器の息を吹き込む部分。

 金管楽器のマウスピースの大きさはそれぞれ違います。トランペットやホルンはとても小さく、チューバはとても大きいです。小さいほど唇をあてる位置を定めるのが難しくなります。
 腹式呼吸は腹筋を使うのでダイエット効果が期待出来ます! その代わり、本気でやるとものすごく辛いです。やり過ぎると酸欠で倒れます…。


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