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「失礼しまーす」
「名前さん!」
「巡回に来たよ、さつきちゃん」

 名前に気付いた桃井さつきが嬉しそうに名前を呼ぶ。伊月俊と小金井慎二は顔を上げ、お疲れと声をかけた。





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 名前がまず訪れたのはクラリネットの練習教室。フルートパートと同じ階で、いつも決まって一番に巡回を行うパートだ。クラリネットパートには伊月・小金井・桃井の和気藹々としたメンバーが揃っている。桜井と緑間の反応を引きずっていた名前に、桃井の笑顔は安心感を与えてくれた。
 彼らはひとつの机を囲い、何やら小さな箱を開封している。名前はそれを覗き込み、近くにいたパートリーダーの伊月に話しかけた。

「伊月くん。それ、クラリネットのリード?」
「そうだよ。昨日、コガと桃井さんとオレで買ってきたんだ」

 三人はクラリネットの演奏に必要なリードを選ぶらしく、机の上には○や×が書かれたリードが並んでいた。リードは消耗品なので定期的に買い足す必要がある。

「桃井さんの選別センスが良いからほとんど任せちゃってるんだけど」
「そんな! 伊月さんだって良い目してるじゃないですか!」
「えーっと…コガくんは?」
「ああ、コガは…」
「苗字ちゃん、それは訊かないで…」
「小金井さんはリード選びも器用貧乏みたいなんですよ〜」
「桃井ちゃんヒドイ!!」

 小金井は涙目で突っかかったが、桃井は全く気にせずに作業を続ける。クスクス笑う桃井の横顔を見て、わざとか…と名前は苦笑した。


 選別が完了した三人は、大量にあったリードのうち使えないと判断したものを躊躇無くゴミ箱に捨てた。リードには当たりと外れがある。外れのリードは欠けていたり薄かったりするので、使うと音に支障が出てしまうのだ。それでも名前は「もったいないなぁ…」と呟かずにはいられない。

「良い音を出すためだからね。苗字、来てくれたついでにチューニングを見てくれないか?」
「あっ、うん! お安い御用だよ!」

 リードを楽器に取り付けた三人は姿勢を正してクラリネットを構える。名前は胸ポケットからチューナーを取り出すと、クラリネットのベル(音の出口部分)に近付けた。

「4カウントでいくよ。1、2、3、4」


♪────


 名前の合図で音が綺麗に重なり、教室中に響いた。

「苗字、どうだった?」
「うん、ばっちり!」
「ふいー…、よかったぁぁ…」
「あはは! コガくん、良い音してるから大丈夫だよ」

 名残惜しいがそろそろ次のパートに行かなければならない。名前はチューナーを仕舞うとドアに手をかけた。

「それじゃ、私はこれで」
「ありがとうございました!」
「またね! 苗字ちゃん!」
「…クラリネットだけにクラッ「失礼しましたー」

 伊月がダジャレを言い終わる前に名前はドアを閉め切る。しばらく静寂を保った後、教室内からはメトロノームとクラリネットの音色が聴こえてきた。
 名前は、クラリネットパートの平和さを微笑ましく、そして羨ましく感じた。桃井も緑間同様に中等部吹奏楽部の出身だが、彼女は名前を慕っており常に暖かい雰囲気を醸し出している。本当は桃井のような後輩が欲しかったと名前はふと思い、ハッとして首を横に振った。

(私に指導力が無いせいだよね…)

 指示を出す伊月の姿をドアにある小さな窓から一瞥し、名前はクラリネットパートを離れた。

 パート巡回は、まだ始まったばかりだ。








***


▼クラリネットパート

・中音域を担当(バスクラリネットは低音域を担当)
・3人構成(伊月、小金井、桃井)
・パートリーダーは伊月


▼今回の登場

≫伊月俊(クラリネット)
高等部2年。ダジャレを言っては練習をよくストップさせている。指導力のある冷静沈着なパートリーダー。

≫小金井慎二(クラリネット)
高等部2年。高校から吹奏楽を始めた。バスクラリネットを掛け持つ。

≫桃井さつき(クラリネット)
高等部1年。中等部からの内部進学生。帝吹の部活会計。


▽今回の用語

・チューナー…チューニングをするための機械。吹奏楽部の必需品?

リードは竹や金属などで作られている薄片状の発音源で、空気を吹き付けると振動して音が出ます。リードを使用する楽器は、オーボエ、クラリネット、サックスなどが主です!


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