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生徒手帳




 4時限目を終え、クラスは昼食の準備をする連中の話し声で程良く騒がしくなっている。オレが弁当を準備していると、高尾が残り半分程度の早弁した弁当を持って、現在空いているオレの左隣──もとい名前の席に腰かけた。
 名前は友人とカードを交換すると言って、今日は鞄ごと持って隣のクラスへ向かっている。朝からご機嫌オーラを醸し出していたので余程楽しみにしていたらしい。授業中の締まりの無い顔を、オレはぼんやり思い出す。

「真ちゃん、名前がいなくて寂しいんだろ!」

 高尾はそんなオレの思考にすぐ気付いて騒ぎ立てた。憶測でものを言うなと誤魔化したが「顔に書いてあるぜ! ギャハハ!」と笑いの対象にされてしまい逆効果だった。
 そう言うお前こそ、話題に出す時点で名前を意識し過ぎだ。全く、高尾と二人きりは疲れるのだよ。やはりあいつがいなくては。
……早く帰って来い、「うわああああん!!!」

「「!?」」


 ──早く帰って来い、名前。
 オレが脳内で名前を呼ぶ前に、破裂するようなドアの音と喚く名前が一緒に教室へ転がり込んできた。
 オレと高尾は爆音に驚き、持ち上げていた箸を落としそうになる。ギリギリのところで掴み取ったが、名前の絶望的な表情を見て力が抜けてしまった。カランカランと落ちていく箸4本。オレが固まって何も言えないでいると、高尾がいち早く口を開いた。

「何かあったのかよ…?」
「生徒手帳が、無いの!! 鞄の中にも、制服の中にも…!!」

 は?と高尾も固まる。名前は、「あの中に交換するカードが入っていたのに…!!」と泣きそうになった。机の中身を漁っては、ますます顔色を悪くする名前。なるほど、やっと涙目の意味が解ったのだよ。

「探してやる」
「緑間、くん…」
「大切な物なのだろう。昼食は後で構わん」

 高尾もオレが今言ったのと同じ事を考えていたようで、よしよしと名前の頭を撫でて頷いた。名前はオレ達に礼を言い、不安をはらんだ瞳をより一層潤ませた。

「私、職員室に落とし物として届いてないか訊いてくる…!」
「じゃ、オレらは廊下見てくるからな!」
「うんっ、お願い…!」

 オレにとってそのカードとやらはどうでも良い。こいつが悲しむ顔を見たくないだけなのだよ。
 オレ達は落ちた箸を拾うのさえ忘れ、教室を飛び出した。




 名前は職員室がある一階へ降り、オレ達はいつも朝に利用する廊下を進んだ。
 昼休みも半ばに差しかかり、廊下に出る奴が増えてきている。早く見付けなければ。人の間から隅々に目を配っていると、高尾が「あっ」と声を上げた。

「…あれじゃね?」

 高尾が指差した先に、オレ達と同じ学年カラーの生徒手帳が落ちている。間違い無い、名前のものだ。発見場所が校内で良かった。外だったら個人情報の流出になっていたかも知れない。
 高尾が一目散に走っていき、オレもその後を追う。廊下は走らない…基本なのだよ。

「っし、名前んとこに返してやるからな〜」

 生徒手帳に話しかけ、高尾はそれを掴んだ。オレは安堵してその様子を眺めていた。そのまま高尾の腕は引き上げられ、上に持ち上がる……はずだった。

「うぐっ!?」
「……高尾?」

 まるで、スローモーションの映像を見ているかのように思えた。突如、生徒手帳を掴んでいた高尾の腕が重力に吸い込まれ項垂れたのだ。
高尾の顔に冷や汗が滲んだ。腕はガタガタと震動している。

「真ちゃん、ヤバい。名前の生徒手帳、ヤバい」

 ふざけているのか何かの罠に嵌めるつもりなのか読めないが、とりあえず寄越せと手で合図した。高尾は震える腕のままオレに名前の生徒手帳を渡した。オレは難なくそれを受け取る……はずだった。

(……なっ!!?)

 ダンベルを持った時のような重みが急にオレの腕にのしかかった。何故だ、凄く重い。鉛でも入っているのか。
 バスケットボールを持ち慣れているとはいえ、何の心構えも無く手にした重みには耐えきれず、オレは手を離してしまった。床にズドンと鈍い音を立てて落ちたそれの周りで、砂埃が小さく舞っている。血の気が引いた。

「…ね、ヤバいっしょ」

 これは高尾に賛同せざるを得ない。おかしい、明らかに生徒手帳の重さでは無かった。何なのだよ、これは。いや、見た目は普通の生徒手帳なのだが。

「高尾ちゃん…緑間くん…、落とし物には無いって先生が……、って見つかったああ!!!」

 考えを張り巡らす中、名前が戻って来た。オレは力を振り絞り、名前へ「ああ、あったぞ」と口だけ動かして言った。振り向く気力は、無い。

「二人が見つけてくれたんだね! 本当にありがとう!」

 明るさをすっかり取り戻した名前は生徒手帳をすんなり持ち上げ、その中からカードを丁寧に取り出した。次から次へと出てくるカードの数の多さに、オレ達は愕然とする。しかも全部男同士のイラストときた!!

「良かったあ、カード全部無事だ〜!」

 どうやって、名前はこの大量のカードを生徒手帳の中にしまっていたのだろう。何故、平然とこの重みに耐えられているのだろう。オレは立ち尽くし、恐怖した。
 隣で高尾が怯えている。名前は全く気にした様子も無く、生徒手帳やカードに頬擦りをしている。ああ…もう、何も言うまい。

「…、高尾。しばらくここで落ち着くとするのだよ」
「そうだな…。悪ぃ、名前。ちょっとここで涼んでから帰るわ」
「いちゃつくの!? 私も見「違うのだよ早く行けカード交換はどうした」そうだった! 行ってくるね!」

 例の生徒手帳と大量のカードを手にスタスタと去る名前。あいつの颯爽さは、オレ達に生徒手帳の重みを錯覚させた。

「有り得ねぇ事言うけどさ…」
「ああ」
「名前ってホント、敵には回せねーよな…」
「……ああ」

 いろんな意味でな。窓に向かって、長い長い嘆息を吐く。生徒達の怪訝そうな視線がオレ達の背中に刺さっていた。
 もうすぐ昼休みが終わるのか…。オレ達は昼食をとらなければならない身なのだが。早く教室へ戻って箸を洗わなければならないのだが。

(……もう、腹一杯なのだよ)

 苗字名前。改めて、あいつは要注意人物だと思った。








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