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これは恋だ




 苗字とオレ達がカラオケに入ってから、一時間が経過した。


「──♪ イェーイ!」
「わぁお! 高尾ちゃんやっぱ歌上手!」
「名前には叶わねぇって」

 オレと高尾がデュエットした後に何曲か歌い、高尾はいつものハイテンションを取り戻した。苗字はさっきから高尾の歌をベタ褒めしている。
 オレはというと相変わらずのローテンションで、高尾にデュエットを頼まれたら歌うとかそんな感じだ。

「ねぇ、高尾ちゃん!」
「何? 名前」

 ひとつ、前から気になっている事がある。苗字の、高尾の呼び名が変わった事だ。確か勉強会をした時からと記憶している。何でこんなに苛々するのかオレには解らない。
ああ、考えたら気分が悪くなって来たのだよ。


♪〜


 高尾がまた歌い始める。オレは空になったグラスを持って、一人ボックスの外へ出た。









 廊下の突き当たりにあるドリンクバーの前には誰もいない。クラシック系のBGMが流れている。
 落ち着く…しばらくここにいて戻らなくても良いかも知れない。

 …どうせ、あいつらは二人きりで楽しんで……


「はあ…」
「緑間くん」

 溜息と共に聞こえた声。オレと同じくグラスを手にした苗字が立っている。きょとんとした顔をしていた。多分、オレも今そんな表情だろう。

「どうしたのだよ」
「急に出ていっちゃったから心配だったのさ」

 苗字はドリンクのボタンを押しながらオレに笑顔で話しかけた。

「あのさっ、高尾ちゃんすっごく歌上手いよね! 緑間くんときめいたでしょ!」
「…っ」
「ん、えっ? ちょっ、緑間くん!? うわっ…」

 何故か無性に腹が立ったオレは、苗字を壁に押し付けていた。

 オレは苗字に調子を狂わされてばかりいる。今まで何度も。なのに苗字はちっとも動揺しない。どうして、そんなヘラヘラと笑っていられるのだよ。

「……不公平だ」
「えっ、緑間く───」

 苗字の左頬に自分の唇を押し当てる。手にしていた空のグラスが壁にぶつかって小さく音を立てた。

「これで、この前のは無しにしてやる」


 体勢を直して、オレは適当にボタンを押してドリンクを注ぐ。
 苗字は黙って立ち尽くしていた。頬を拭う事もせず、空いている両手をだらりと降ろしていた。


 あ…、あ…、ああ……

 オレは何をやっているのだよ……最低な事を…。苗字に場所を弁えろと何度も注意しているこのオレが…。
 解らない、解らない。何故こんな事をした。何故自分を見失った。高尾の名前が出たからか? 苗字がオレの事を何とも思っていないような口振りで話すからか?

 こんな気持ちになるのは………そうか…オレは、苗字が───


 苗字がオレの服の端を掴む。オレは全身が震えるような感覚に陥った。苗字の手に力は入っていない。

「……っこ、こういうのは……私なんかにするんじゃないってば……っ」

 嫌われたかと思ったが、そんな事は無いらしい。
 苗字の顔が赤い。それが自分だけに向けられているものだと思うと、何だかとても嬉しくなった。

 オレはドリンクの注ぎ口から満たされた2つのグラスを抜き取り、苗字を呼んだ。

「…戻るぞ」
「うぇっ!? あっ、う、うん…」

 少しはオレの事を意識したようだな。
 この感情を自覚してしまった以上はもう、高尾とばかり親しくなるのを許す訳にはいかないのだよ。









「今日は楽しかったね! ありがとー!」
「名前、家まで送ろっか?」
「いや、大丈夫! 二人のラブラブ帰りを邪魔する訳にはいかないから! またね! 高尾ちゃん、緑間くん!」
「……気を付けて帰るのだよ」
「ん…ありがと!」

 苗字を見送って、高尾とじゃんけん。高尾は自転車に、オレはリヤカーに乗り込む。普段通りの展開だが今日はいつも以上に勝利を噛み締めた…気がする。




 自転車を漕ぐ音がやたらと大きく聴こえる。オレ達の間に沈黙が流れている。…高尾が喋らないからだ。

「静かだな、高尾」
「あのさ、」

 自転車が止まり、高尾が振り返った。こちらに向けられた挑戦的な瞳。言いたい事は何となく察しがついた。

「真ちゃん…名前の事、好きっしょ」
「……ああ。……お前もなのだろう」
「オレは随分前からね。だから真ちゃん相手でも…負けねぇよ?」

 恋愛はオレの得意な分野では無いから、正直不安だ。だが、どんな勝負であろうとオレが負けるなど有り得ない。

「臨むところなのだよ」

 苗字に、人事を尽くすだけだ。








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