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助けてくれた




 今日は丸一日の部活オフ。オレは真ちゃんと午後から遊びに行く約束をしていた。遊びっつっても少し遠くにある大型のスポーツセンターにバッシュを見に行くだけなんだけど。
 午前中に真ちゃんは用事があるらしく現地で待ち合わせ。久々にリヤカーから解放される訳だ。




 現在、オレは一人で電車に揺られている。上り線の車内は休日にも関わらず人で溢れていた。

(うーん…結構混んでんな…)

 右側のドア付近にいたオレは、終点まで左側ドアしか開かないというアナウンスに安心してぼんやり外を眺める。ぬるくて薄い空気はオレから欠伸を誘発した。立ってても眠くなってくる。いっその事、ドアに体を預けて寝ちまおうかな……。
 うとうとし始めた時、腰に何かが当たった。

(んー…眠い……はは、くすぐってぇよ〜)

 ぼやけた意識の中で身を捩る。ただの軽い接触なだけかと思い、オレは特に気にせず瞼を下ろす。
 しかし次の瞬間、そんな余裕は一気に無くなった。

「っ!? …ちょ、」

 腰に触れていたものがオレのズボンの中に滑り込んできた。明らか妙なそれの動きで即座に眠気が奪われていく。

(え…っ? 何? …人の手?)

 耳元に荒い男の息がかかった。これは、まずいんじゃねぇのか。背筋が凍る。

(くっそ…!! 何しようってんだ…!!)

 マジに触られていると自覚するのに、あまり時間はかからなかった。叫んでやりたい、殴り飛ばして逃げたい……けど、満員の中で動けない。
 駅に着く。左側ドア付近で人が行き交う。誰もオレに気付く奴なんていない。

「…っ」

 どんどん入り込む男の指が下半身をなぞる。怒鳴りたいのに、抵抗したいのに、恐怖心で声が出ない。
 短い呼吸が口から零れていった。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。ドアのガラスがオレの息で白く曇った。

(やめろ、やめろ…誰か!!)

 助けを乞うて、泣きそうになった。






「やめなよ」
「…っえ?」

 突然、下半身の違和感が消えた。
 驚いて振り返れば、さっきまでオレを触っていた男の手首を片手で捻り上げる、オレよりずっと小さな女の子が立っていた。

「…名前………?」
「やあ、奇遇だね! 高尾くん!」


 また駅に着いたらしい。音を切らして電車が停まった。

「一旦ここで降りよっか」
「あ、ああ…うん」

 名前は笑顔を崩さない。小さな体を目一杯広げて痴漢を遠ざけた後、オレの震える手を握った。

「相手が誰だろうと痴漢行為は犯罪だ。覚えておいてよ、おじさん」

 一瞬だけ、名前の声が殺気立つ。その男にしか聞こえないくらいの小声だった。
 そのまま名前に手を引かれ、オレは電車を降りた。






「ごめんね〜高尾くん、どこか行く途中だったんだよね!? うーん…さすがにこの駅に用事は無いよなぁ…」

 降りた人はほとんどいなかった。かなり小さな駅らしい。

 ホームのベンチに二人で腰掛ける。
 震えが止まらない。さっきの気持ち悪い感覚がまだ残ってる。落ち着けない。名前はオレの手を握ったままだ。

「……オレに、気付いたの? 名前」
「ついさっきね。様子が変だったから、もしかしてって思って」
「……」

 見られた…のか。以前、痴漢されている女性を助けた事はあるけど、まさか自分が被害にあって助けられるなんて。オレは自嘲気味に笑った。

「高尾くん、」
「はは、オレ…かっこ悪すぎっしょ…名前に助けてもらうとか…。しかも、オレ男なのに…」
「笑い事じゃない」
「……」
「頑張ったよ、あんな事されてたのに…。私だったら泣き叫んでるね!」
「……」

 本当は、恐かった。痴漢に遭うってこんなに恐いのか。身体以上に心が傷付いた。思い出すだけで吐き気がする。名前はそれを解ってくれていた。

「性別なんて関係ないし、何にも恥ずかしい事無い。高尾くんはかっこ悪くないよっ!」

 我慢していたものが一気に溢れ出た。何かもう、名前の前で強がるの無理だ。

「……オレ」
「うん」
「ほんとに…怖かった」
「うん…」
「あんな事されて…誰にも、気付いてもらえなくて…。どうして良いか解んなかった。声も出なくなっちまった」
「うん、うん…辛かったよね。もう大丈夫だよ」
「……っ…」

 名前に背中をさすられたら、涙が出た。女の子の前で泣いてんのに、名前には涙見せても恥ずかしくなかった。

 何本も電車が通過していく。名前はオレが落ち着くまで、ずっと隣にいてくれた。









「…名前、あんがと。もう大丈夫だわ」
「良かった…。じゃあ、次の電車で行こうか」
「おう…」

 本気で、心配してくれてたんだ。本気で、助けてくれたんだ。
 やべぇな…オレ、きっと目ぇ赤い。それ以上に、顔が赤い。


 その後に乗った電車は随分空いていた。オレの隣に座る名前は、気持ち良さそうに欠伸をひとつ。

「名前もどこか行く予定だったんだろ? 悪かったな、付き合わせて」
「気にしないでよー! ちょっと終点の駅に同人誌買いに行くんだ〜♪」
「同人誌?」
「今度学校で見せてあげる!」
「いや、やめとく」

 同人誌。聞いた事ねぇけど、名前が言うって事はソッチ向けの本なんだろうな。

「高尾くんは?」
「オレも終点まで。今日は真ちゃんと出掛け……あ!!」

 真ちゃん!!! そうだ、真ちゃんと出掛ける約束してたんだ。忘れてた。何やってんの、オレの馬鹿!!
 「デートか!! デートなのか!! ひゃっほおおおお!!!」と発狂している名前を放置してメールチェック。待ち合わせ時刻はとっくに過ぎていて、真ちゃんからのメールと不在着信が大量に来ていた。

 ヤバい…真ちゃん怒ってる…。

「……」
「高尾くん」
「?」
「大丈夫だよっ! 緑間くんと高尾くんの仲なら!」
「……サンキュー…」

 名前にはオレの心境が伝わっているみたいだった。変な趣味してるけど、やっぱ良い奴だから、オレはこいつを嫌いになれないんだと思う。

「何か、」
「んー?」
「や、何でもねぇよ」


 “名前の隣は、超が付くぐらい居心地がいい”
 オレはさっきまで繋がっていた名前の小さな手の感触を思い出し、心の中でそう呟いた。








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