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並べた肩と平熱の温度差




 笠松家の敷居を跨いで二時間半経過の今。ソファーに並ぶ私達はテレビのチャンネルを回して、偶然映った旧作映画を一緒に眺めている。当時の世間でかなり注目されてヒットした洋画だ。懐かしいタイトルだねと言えば、幸男くんは私と似たありきたりな返答を寄越した。
 シャワーを浴びて放置した私の髪は生乾きで、首にかかったバスタオルは滴る雫を吸い込んだせいで重い。そのタオルの下には、デートの服装からかけ離れた地味なスウェットシャツ着用。女らしさの欠片も無い格好だけれど、幸男くんにとってはこっちの方が強張らずに済んで助かるみたい。
 長期に渡り恋愛のいろはを共に学んできたおかげで今更取り繕う要素が無い私達。自然に振る舞える仲だから気が楽だ。

 柔らかい映像は夢と現実の境目をふわふわ行き来させる。服の袖に欠伸を編み込めば、一日分の楽しさと疲れが私の中をゆったりと波打った。

「眠ぃのか、名前」

 タンクトップ姿の幸男くんが私に問う。彼が髪を拭くのに使っていたタオルはとうに役割を果たし終えて、肘掛けに畳んで置かれていた。

「……少し」

 一度睡魔に襲われたら上半身はすぐに覚束無くなってくる。幸男くんは舟を漕ぐ私を見兼ねて、凭れていいから寝ろと提案してくれた。

「私の髪まだ濡れてるよ…?」
「平気だ、気にすんな」

 幸男くんは息を吐いてテレビに視線を逃がした。上下の唇を痒そうに擦り合わせる照れ隠しの仕草が可愛い。
 本格的に身体が機能しなくなってきたので、お言葉に甘えて頭を傾けた。一瞬だけ収縮する筋肉質の肩に私が蕩けていく。こんな風に幸男くんに寄り添える関係になるまで本当に険しい道のりだったなあ。僅かに動いている脳の片端で呟き、自分の立場を再確認して嬉しくなった。
 使わせてもらったメンズシャンプーの香りが漂って最高に気分が良い。同じ匂いの側で安心して、うつらうつら。私の意識はすうっと沈んでいった。




 触覚が働いて擽ったい違和感を表面に運んだ時、私は目を覚ました。あれ、どうして起きてしまったんだろう。霞んでいた瞳を数回の瞬きで潤わせたら、太股の上を何かが這っているのに気が付いた。

「…?」

 蛍光灯の光も受け入れていき、徐々に明確になっていく形。やっと認識したそれの正体は、隣から伸びる幸男くんの手だった。

「ゆきおくん、なにしてるの?」
「あ…!?」

 頭を倒していた肩が揺れ、ソファーのスプリングが軋む。ゆるく滑っていた大きな手は力を失い、幸男くんの膝元へと帰っていった。罰が悪そうに逸らされる顔に眉間の皺が濃く刻まれているのが見える。
 私達からまた言葉が消え失せた。混沌たる空気を読み取った胸がざわつく。テレビの音声だけが舞う状況は意識を手放す前から変わっていないのに、流れる沈黙はさっきとまるで違う雰囲気を纏っていた。

 無言に限界が来たのか、うなじを掻く幸男くんがちらりと私の様子を窺った。物言いたげに口を開閉して忽ち頬を染め上げる。余裕の無さと過去の経験から、私はいとも簡単に彼の考えを察した。

「そっか…、幸男くんには悪い事しちゃったね」

 幸男くんは、私に触れたかったんだ。触れ合う空気を作り出したかったんだ。
 今晩の目的をすっかり忘れていた私は、お預けを食らわせてしまった彼に対して大変申し訳無いと思った。二人きりの機会に彼氏宅へ一泊する計画を立てた事、切らしていたゴムを薬局で購入した事、ショーツをどれにするか悩んだ事、危うく全てを台無しにするところだった。

「オレはその、別に…」
「駄目だよ、幸男くんが我慢しちゃうのは」
「ッけど……」

 英字のエンドロールをリモコンで終わらせて、幸男くんに向かい合う。真の沈黙は心臓の音を残さず丸ごと伝えてしまいそうだ。
 爆ぜるのではないかと心配になるほど赤らむ眼前の表情に目を細める。隙だらけの腕をさらって私の精一杯を押し当てれば、男らしい身体は素直に反応して熱を通わせ始めた。

「名前は…良いのかよ」
「ん、手入れは万全!」

 何だそれと苦笑を洩らして幸男くんは動き出した。バスタオルを床に放り、私の腹や腕を湿った手で練っとりと撫で回していく。ちょっとだけど、緊張を解せたのかな。その後の接吻は幾らか落ち着いていた。

「もう初めてじゃないのに、こういうのは慣れないものだよね」
「当たりめーだ、一生慣れねぇよ」

 目と目が合い、どちらとも無く微笑む。恋人だからこその愛情がそこにあって、恋人だからこその熟した身体がそこに出来上がっていた。
 幸男のお部屋、行こうか。私を求めてくる瞳に甘ったるく誘いかける。平熱とは比べものにならないくらい激しく高騰した互いの体温。心の底から幸せが溢れた。




fin.

(2013/11/23)



企画『黄昏』に提出しました!



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