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with 氷室辰也




 眩しい光の明滅が気になって重い瞼を開くと、氷室くんが一つ前の席に座って私の事を見つめているのが目に飛び込んできた。

「ッ!?」
「ああ、やっと起きた。良い夢は見れた?」

 構えていた携帯を滑らかな手付きで隠す氷室くんの爽快な顔が映る。寝ている姿をフラッシュ撮影されていたのだと知るのにそう時間はかからなかった。
 バスケ部の活動が終わるまで教室で時間を潰していた私はいつの間にか眠ってしまったらしい。待受に設定しても良いかと意地悪を言ってくる彼氏にノーサインを出しながら、ぼやぼやした脳を叩き起こす。

「残念、上手く撮れたのに」
「今すぐ消して…!!」
「待ち合わせ場所にいないでオレを散々心配させたナマエにそんな権限は無い」

 いつも一緒に帰る際に訪れる体育館前に来なかった事を指摘され、ギュッと心がきつく絞められる。慌てて頭を下げたら、氷室くんは甘い声で「冗談だよ」と囁いた。

「ナマエのどんな姿も大切に取っておきたいだけなんだ」

 私が喜ぶ答えをストレートに届けてくる彼は、現実の私にまで夢を見させてくれる。安心した私は結局氷室くんを咎める事が出来なかった。
 携帯を鞄に仕舞い、教室のドアに向けて歩き出した氷室くん。私も後へ続こうと席を立つ。瞬間、左足の力が急に抜け落ちて後ろに傾いた。電流が走ったような感覚が土踏まずから駆け巡り、下半身は再び椅子に吸い込まれる。

「ひぁ…!!」
「ナマエッ!?」

 背もたれにぶつかる音で反応した氷室くんが戻ってきた。どうしたんだと訊ねられている間も、私の左足はガクガクと震えて止まらない。

「足、痺れちゃったみたい…」
「そうか…左腕に重心をかけて寝ていたんだね」

 繋がっている神経が麻痺したのだと覚醒済みの脳が私に伝える。もう一度自力で立とうと頑張ってみたけれど、痛み紛いの変な感触が襲ってきて思うように動いてくれない。

「氷室くん、悪いけど先に行ってて…追いかけるから」
「……解った。鞄、持つよ」

 氷室くんは残念そうに私の鞄を肩にかけた。申し訳無さと少しの寂しさが、痺れと共に突き刺さる。
 これ以上彼を待たせたくない。足を数回振って今度こそと体を浮かせた時──私の背中に硬い腕が回った。

「氷室…くん?」

 氷室くんの腕だと気付くのにしばらくかかり、理解した時には胸が熱くなった。

「どうして…」
「ナマエを残す選択なんてオレには存在しないから」

 辛いだろうけど、少し我慢していて。
 耳元にかけられる言葉で出来た一瞬の隙を狙い、氷室くんは机を押し退けて私を軽々掬い上げた。宙に浮いて横抱きになった自分の体に、足よりも心臓が悲鳴を上げる。

「これなら二人で帰れるだろう?」

 氷室くんは私を抱えたまま教室を出て廊下を歩き始めた。密着する力強い胸板に、自分の心拍が速まっていくのが解る。抵抗しようにも足が使えないから成す術無しだ。

「氷室く…、あの…教室、電気…」
「先生が見回りに来るから大丈夫」
「つ、机! 机直さないと!」
「良いよ、明日で。ナマエが最優先だ」

 私の訴えを悉く受け流し、氷室くんは歩を進め続ける。電気がつきっぱなしの教室はあっという間に遠ざかっていった。この時間だと他の教室には誰も残っていなくて、氷室くんの足音がよく響いている。

「重く、ないの…?」
「全然。それよりほら、危ないからもっとくっついて」

 氷室くんの腕に一層力が籠った。恥ずかしい。けど、それを上回る嬉しさが止められない。

「も…、何なの」
「迷惑だったかな」
「そんな訳、無いじゃない…」

 火が出そうな顔を制服の袖で覆い隠す。彼の優しさに身を擦り寄せた私は、奥底から浮上してくる感謝の一言を暗がりの中に小さく溶け込ませた。








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