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 森山は萌え実践をする前日にレギュラー達へ軽く内容を教えたりするらしいのだが、「苗字の新鮮な反応が見たいから」と私にだけは事前開示を拒む。
 以前森山に内緒で他のメンバーに探りを入れようとしたけど失敗に終わった。黄瀬くんや中村くんは言い付けを守って教えてくれず。笠松は「興味ねぇから忘れた」の一言で会話撃沈。小堀と早川くんは理解していない上に話が美化されててアウト。全員が良い意味でも悪い意味でも頼りにならなかった。だから私は、今日も回避する術無く実践に付き合う事になっている。
 でも、内容を知らされなくとも毎回これだけは解る。

「それでは! 有名な萌えタイプの一つ、ヤンデレの実践といこうか!」

 森山は、森山のくせにキャパーオーバーな萌えばかりやりたがるのだ。




萌えよ海常 〜ヤンデレ〜




 笠松や私がしらけているのはテンプレート。中村くんが一瞬うずうずした気がしたのは、私の精神がインターバルを欲しているからだろうね。

「今回もマニアックっスね!」

 黄瀬くんの好奇心が隠しきれていないシャララオーラは理解出来ないけれど、言葉自体には同意である。ヤンデレとは所謂病みとデレのコラボレーション。相手が好きで好きで堪らなくて…酷い場合は殺意まで沸かしてしまう、ちょっと危ない属性だったはずだ。しかし、フィニッシュはデレ。難易度は極めて高い。正直このメンツから一番程遠い属性に思える、無謀過ぎやしないか。

「ヤンデレを選ぶなんてまた複雑な…ちゃんと意味解ってるの?」
「ヤンでヤンで、デレる!」
「ヤンで…? 病気? 先輩、も(り)やまさんの言って(る)事解(り)ますか?」

 簡易だけど森山にしてはまともな説明だった。
 あらぬ方角に興味津々な早川くんには「世の中には知らなくて良い事もあるんだよ」と諭し、壁際に避難させる事にする。

「森山さんにヤンデレなんて出来るんですか」
「大丈夫だ。よく見てろよ中村。ばっちり演じてやるから」

 中村くんの質問に、森山はドヤッと効果音をつけてふんぞり返る。すかさず笠松が「演技かよ!」と私の心中のツッコミを代弁してくれた。

 お相手は近くにいたからという理由で中村くんに決まり、私・笠松・小堀・早川くん・黄瀬くんは見学という事で二人を囲った。さて、期待はしてないけど見るだけ見てあげよう。森山はどんなヤンデレ(演技)をかますのか──…

「中村、殺っちゃうぞ! …どうだ、萌えたか?」
「うわあ、やっぱり森山は森山だったよ」

 がっかりだよヤンデレの欠片も無いじゃん!! 刺すとか殺すとか秀徳の宮地くんみたいに言えば良いってもんじゃないんだよ!!
 これに対し、中村くんは「困ります、そして萌えません」とマジレス。森山は落ち込んでいた。だが、こいつはこんな事じゃ挫けない。すぐに「今度は笠松が実践する番だ!」と開き直った。でもって、仲間想いな笠松は文句言いつつ協力してあげる訳だ。

「それならオレは黄瀬でもシバくか」
「わあ、理不尽っス!!!」

 笠松も完璧にヤンデレ解釈を誤ったようだ。ジリジリと黄瀬くんに詰め寄っている。ストレス溜まってるから笠松の目が本気だよ。黄瀬くん逃げて。
 早川くんはそれが面白いらしく、笠松を応援し出した。中村くんが「こんなのヤンデレじゃない…」とぼやいていたので1票入れる。

 予想通りのグダグダ展開に頭を抱えるしかない。これじゃあ埒が開かないよ。私は、ネットサーフィンして一人反省会を始めた森山に文句を垂れる。

「森山、ヤンデレから外れてる。笠松を止めてよ!!」
「え…シバきはヤンデレに入らないのか?」
「あんたはヤンデレを何だと思ってたの!?」

 バナナがおやつなのか食後のデザートなのかを議論する心境になりながらツッコミを入れる。あーあ…笠松に仕事放棄されると倍増しで辛い。普段はここで小堀がフォローしてくれて……あれ?
 私は今日一番の異変に気が付いた。こういう時は真っ先に出動してくれる小堀が一度も止めに入っていない。

「小堀っ」
「……」

 違和感の正体が知りたくて、ひとまず森山放置で小堀に話しかけてみる。小堀は無表情でこっちを向く…向くだけだった。
 変だな。いつもなら私が話しやすいように屈んでくれるのに。心無しか纏う空気が冷たかった。理由が解らない、どうして。

「えっと…」
「なあ苗字、」

 やっと口を利いてくれたと思ったら、小堀は凄く冷淡な声で私を呼んだ。

「苗字の側にはいつも笠松と森山がいるよな。オレの存在忘れてないか?」
「え、いきなり何なの! 忘れてる訳無いじゃん」

 一歩、彼の足が私に近付く。私はいつもと違う小堀に恐怖を覚えて同じ歩幅を離れた。
 本音だ。私は確かに本音を言った。盛り上げようと明るい声を出した。けれど、小堀の目は凍りついたままで。

「どうだろうな。笠松の事は頼りにしてるだろ? 森山とは楽しそうにじゃれあう仲だろ? お前にとってのオレはいったい何なんだ、答えてみろよ」

 一歩、また一歩と小堀は前に進み、私は後ろに退く。段々と凍った目を見るのも恐くなってきて、壁に肩がぶつかった時には自然と視線は下へ落ちていた。

「そうやって目を逸らす。答えられないんだろ? 許せないな、苗字のそういうところ」

 気が付けば部室内には誰の声も聞こえなくなっていた。呆然とする同級生や後輩達をよそに、小堀は私の肩を力強く掴んだ。優しさは、見えない。
 違う、私は答えが出せないんじゃない。小堀がいつもと違うから何も言えないだけ。言いたくても、言葉が口の内側で消えてしまう。

「どうすればオレだけを見てくれる? なあ、どうすれば良い? どうすれば良い? どうすれば良い?」
「こぼり…。ほんとに…どうしたの…? や、やめて…」

 いよいよ森山と笠松が慌て出す。後輩達は驚愕を顔に浮かべて私達二人を見ていた。私は詰まる喉を抉じ開けて、抵抗の言葉を吐く。

 すると急に、冷たかった小堀が小さく吹き出した。私の肩に置いた手の力を緩め、目の前でクスクスと肩を震わす彼。私からは「え、」とふやけた声が出た。

「ははは! どうだった苗字、少しはヤンデレっぽくなってたか?」

 森山が演技で良いと言っていたから見よう見まねで試してみたのだと小堀は私に言う。
 黄瀬くんが素早く切り替えて「吃驚させないでくださいよー!」と近寄ってくるも、直ぐ様私を見てぎょっとした。何だろうと思って自分の顔を触ってみると、生温い水で濡れている。

「苗字…!?」

 小堀が愕然として声を上げた。

「小堀センパイが苗字センパイを泣かせたっス!!」
「黄瀬、声が大きい…。苗字、悪かった。そんなにオレが恐かったのか…?」

 時間を要し、やっと私は泣いている事を理解した。下がっていた顔を少しずつ戻した先に、珍しく取り乱している小堀がいる。
 恐かった?なんて聞くまでも無い。恐かった。死ぬほど恐かったに決まってる。身長がこの中の誰よりも高い小堀。彼が強く迫ってくるとこんなに威圧的なのかと初めて知った。

「…っ、小堀の馬鹿…!!」
「あ、あ、悪かった! 本当に悪かった…! その、泣き止んでくれ…」

 ハンカチを差し出す小堀が、更に私の涙腺を刺激する。迷惑だから早く涙を収めたいのに、ずっと隠れていた優しさが見え始めたせいで止まらない。

「ヤンデレはっ、…デレも、重要なんだから…っ」

 何言ってんだ私。いや、小堀にとっては最後のネタバレがデレのつもりだったのかも知れない。けど、でも、違う。こんなの絶対間違ってる。デレが来たら萌えているはずだもん。今は安堵の感情しかないもん。
 やっぱり小堀はヤンデレを解っていなかった。その事実が私を心から安心させてくれた。

「苗字、さっきまでのは全部冗談だ。もうしないから…な?」
「…うん。あのね、私小堀の事ちゃんと大切に思ってるから…。これからもずっと、いつも通りの小堀でいてよ?」
「ああ、もちろん」

 きゅ、と小堀の腕を引き寄せたら困ったような暖かい笑い声が上から降りてきた。そのまま体を預けて、私は安心感でまた涙を溢す。
 笠松達がほう…と息を吐く音が聴こえた。

「良いハッピーエンドだったな」
「そうっすね! オ(レ)感動しました!」
「ドラマチックっス…!」

 各々が反応を示す中、私は落ち着くまで小堀に頭を撫でてもらいました。

「これがヤンデレか…。密着してボディタッチ…レベル高過ぎないか…」
「森山さん、何かいろいろ誤解してませんか?」



ヤンデレは、実践危険対象です



「笠松センパイ。さっきの小堀センパイの演技…、どこまでが本気だったんスかね」
「さあな。とりあえず本人の言う通り、冗談って事にしておこうぜ」








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