当番を代わってほしいと頼んできた友人のために教室の掃除をしていたら、部室に行くのが遅れてしまった。今日も人生に必要なのかラインがあやふやな萌え実践をするらしい。黄瀬くんから『楽しみましょうワン!』って内容の絵文字キラキラメールが昼休みに送られてきた。 忘れたふりして帰ろうかなと考えてもみたけど、まだ完全に萌えの毒牙に染まっていないピュア男子も数名いるし何だかんだでバスケ部の知り合いは良い人ばかりだから行く事にする。 掃除を終えたら連絡してくれと森山に言われていたので、部室への道を辿りながらメールを作成して送信する。返信はすぐに来た。私以外のメンバーはもう揃ったとの文面が並んでいる。森山のメールはシンプルで読みやすいからいつもパッと見で済む。でも、そのメールの最後の一文だけは思わず二度見した。 『先に始めてるニャー』 森山のメールに無視を決め込み、私は部室前へ急いだ。中では既に佳境っぽい雰囲気を醸した様子で森山と黄瀬くんがお喋りを飛び交わせている。おかしいな、小動物ふれあい広場みたいな声がするよ? 黄瀬くんのメールを読み返して、覚悟を改める。犬や猫を匂わせる歪な語尾…こんなメールが届くという事は現在進行中で彼らは意味不明な何かをやらかしている訳だ。笠松のツッコミが聞こえないから手遅れに近いのかも。ええい、考えてはダメだ。いつも通り、いつも通り! 臨時マネージャーする時のノリで入れば良いよ、私。 「こんにちは」 「やっと来たか、苗字」 最初に私に反応したのは、森山。遅いぞと言われ、軽く謝ったところで私は慄然とした。一つ、普段と違うポイントに気付いたのだ。 森山の頭がおかしい。今の場合、内面ではなく外面が。何故、何がどうしてそうなったのか。奴の頭には猫に見立てた耳がぴこぴこ生えていた。 私は震える人差し指を立て、森山にフィットしているそれを差す。 「これは、何?」 「見たまんまの猫耳だ」 力を失った肩から鞄が落ちた。ニャーと猫真似する森山に向け、私が叫び声を上げるまであと3秒。 萌えよ海常 〜獣耳〜 「通報してやる」 「苗字センパイ落ち着いて!」 頭に長めの犬耳を生やした黄瀬くんが、携帯片手に逃げ出そうとする私の両腕をホールドした。二の腕プニプニ気持ち良いっスーとか恐れず言っているこのモデルには、後できっつい制裁を下してあげよう。 「その頭にぴこぴこしてるやつの説明をして!!」 「森山センパイ、お願いするっス」 「今日は獣耳を試そうと思って。あ、獣耳って称してみたけど普通の猫耳とか犬耳の事な」 森山は獣耳って定番の萌えだよなと話を振ってきた。知るか。私はぶらぶら浮いている足を見て棒読みな返事をする。黄瀬くん、私はいつまで捕獲状態なんだい。 「第一、その耳どうしたの? 一緒に謝ってあげるから持ち主に返しに行こう」 「動物愛護団体に歯向かう事はしてないぞ断じて。…昨日の練習後に雑貨屋まで買いに行ってきたんだ、皆で」 萌えは金で買える時代になったんだという森山の迷言はシカトした。しかし、皆とは聞き捨てならない。私は体を反転させて床に飛び降り、黄瀬くんに掴みかかった。 「黄瀬くん!! 拒否しなかったの!?」 「そりゃ、最初は断ったっスけど…笠松センパイや中村センパイが行く事になったんで同行しました!」 笠松や中村くんが素直に着いていったとは考えにくい…。苦い顔をしていた私に、森山が「小堀に頼んで、笠松と中村を説得してもらったんだ!」と誇った。校則に『小堀の良心悪用禁止』って付け足したい、切実に。 「で、黄瀬くんはちゃっかり便乗した訳だ」 「エヘヘ…まあ、結果オーライっスね。予想以上に似合ってたんで!」 ペラペラと昨日の感想を語り出す黄瀬くんはもう完全に森山と同志の人間だった。 ゴールデンレトリバーを彷彿とさせる犬耳は、彼の黄色いサラサラヘアによく馴染んでいる。調子に乗るから口に出して褒める気にはならないけど。 想像したくもないよ。いい年した男子高校生達が猫耳や犬耳持って店ではしゃいでる姿なんて。海常に変な噂でも流れたらどう責任とるつもり「心配するな、会計は早川に行かせた」…最小限の常識は弁えてるじゃないの、森山。 「その早川くんは? 笠松と小堀と中村くんの声もしないけど…」 「早川は忘れ物を取りに教室へ行ってますよ。すぐ戻ってくるそうです」 中村くんがロッカーの影から現れた。彼の頭上にはまさかのウサ耳が泳いでいる。短時間のうちにレパートリーが増えた。どうやら獣耳というジャンルは犬や猫に留まらないようだ。 「中村くん、嫌じゃないの?」 「結構良…ゲフン。嫌ですけど、キャプテンや小堀さんを見ていたらやらないといけない気がして…」 …よく似合っているとの感想を伏せて無難な会話を心がけて良かった。 私に部室の端を見るよう促す中村くん。ちょっと動くたびにウサ耳がふにゃりと揺れて可愛らしい。危うく心持っていかれそうだ。 首を動かしてみたら、体操座りで湿気ている犬耳笠松とそれを慰める犬耳小堀の不憫な光景があった。 「……わぁ…」 森山と黄瀬くんに目が行き過ぎてたせいかな、全く気付かなかった…。特に笠松、ショックのせいか存在が消えかかってる。誠凛の黒子くん並の勢いで影が薄くなってる。これはまずい、早く処置を施さないと笠松がいなくなっちゃう。駆け寄ったら、小堀が私を見た。 「苗字、笠松が大変なんだ」 「小堀…そうっぽいね。笠松もぴこぴこしてるし」 「うっ…違うんだ苗字!! 小堀が…で、森山が…アレを、そしたら黄瀬が…!!」 叫ぶ事によって笠松本来の存在感が戻ってきた。今の笠松が言いたかった事、文脈凄くなってるけど大体は解ったよ。 まず、特に気にしない小堀が森山に言われて犬耳を装着した。笠松もつけるように森山に急かされたけれど、もちろん躊躇しまくる。いつまでも動かない笠松に、森山が「小堀も付けてるんだぞ?」みたいなノリで揺さぶりをかけていたら、既に犬耳で遊んでいた黄瀬くんが「隙有り!」で笠松に襲いかかりこうなった……ってところだろう。私を追ってきた黄瀬くんに言ったら、親指をグッと上に立てて白い歯を見せた。見事的中ってか。どんだけなのよ。 「苗字の分も買ってきたんだぞ。オレの奢りだ」 森山に渡されたのは真っ白な猫耳。何で猫耳つけっぱなしの奴に猫耳奢られなきゃならないんだ。 この台詞がジュースの缶を差し出された状況で言われていたら少しは胸が踊ったかも知れないのに。文句あるけど突き返すのも悪いな、と甘い考えが浮かんでしまったのは森山の猫耳効果だったり…いやそんなアホな。 「……」 「何、笠松」 「逃げんなよ」 「逃げないよ!?」 味方であるはずの笠松がどうしてか私にガン飛ばしてきてる。言外で「オレもやってんだからお前も同じ屈辱を味わえ」と伝わってくる。笠松の誠実さが失われてきてるよ!! 少しは信じてほしい、逃亡未遂はしたけどさすがにもうしないって。 けど、私がこれを頭に装着するか否かは全く別問題だよ。こんな可愛い耳、私には絶対似合わない。そもそもこれは萌え男子のための実践だよね? 女の私には構わず、とことん道を極めれば良いじゃない。 それぞれ異色の視線が刺さる中、部室のドアが開かれた。 「戻(り)ました!」 素晴らしいタイミングで早川くんという救世主の声がした。皆の視線は全て早川くんの方へ流れて安堵する。私も、皆よりワンテンポ遅れてゆっくり振り返った。 「あ……」 「先輩、掃除終わったんすね! こんにちはっす!」 早川くんの頭は以下略な事になっていた。それだけじゃない。腰下から何かはみ出てる。失礼して後ろに回り込むと、尻尾だった。ブラウンの犬耳と尻尾。 「早、早川…くん…、それ、その…」 「へ? ああ! も(り)やまさんがつけてく(れ)たんすよ!」 ジト目で森山を睨む。森山はおおらかに私の視線を受け止めた。 「そんなに見つめるなよ、照れるから」 「なんて格好で早川くんを外出させとんじゃワレェ」 「止める間もなく行っちまったんだよ。…まあ、似合ってるし文句無いだろ? 早川の犬耳姿」 もう一度早川くんを見てみる。確認するだけ…疚しいつもりは無いのよとゴニョゴニョ言いつつ。確かに似合う。誰よりも違和感が無いと思えるのは彼が元々元気いっぱいで可愛いからだろうか。 早川くんは私を見ていない。私の手にある一品──猫耳を気にしている。 「そ(れ)! 先輩も早くつけましょう!」 「うわっ、ちょっと、うわ…うわ…!」 猫耳を引ったくられ、強引に私へセットする早川くん。森山なら迷わずグーパンチだけど早川くんには出来ず…私の頭には猫耳がくっついてしまった。 黙り込むレギュラーの面々。私は恥ずかしくて死にそうで、スカートを握り締めて俯いた。皆酷い、いくら似合ってないからって無言は無いでしょう…!? つけてきた張本人の早川くんも黙ってるってどういう事。 「早川くん…ノーコメントはきついんだけど…」 「あっ、すいません! その…」 顔を上げた先に、早川くんの姿。珍しく冷静で真剣な顔になっていた。その顔に戸惑っていると、彼は甘えるような声で言ったのだ。 「すげー可愛いです、先輩」 この後の私はというと、直球な早川くんの言葉と表情によって卒倒しかけた。 中村くんや小堀も微笑んで早川くんに同意している。彼らの反応にもときめきを覚えつつ、私はまた早川くんと目を合わせた。無邪気な顔で「やっぱ(り)可愛いっすね!」と言ってくれる彼と犬耳は、やっぱり最高の萌え合わせ技だったのでした。 こんな早川くんを見る事が出来たのなら…… (獣耳、悪くないかも…) そこに携帯を構えた森山が現れ、私のときめきタイムは終わった。 獣耳は、素晴らしいオプションです 「恥じらい、しおらしさ…これが獣耳の真骨頂か!」 「森山センパイ、オレも苗字センパイと早川センパイの獣耳写メ欲しいっス!」 「良いだろう! 送ってやるさ!」 「森山、歯を食い縛っててよ? 笠松は黄瀬くんを頼んだ」 「ああ、任せろ。シバき倒す」 「えー? 笠松センパイだって胸キュンしてたのに……って、ちょっ、ヒィ!! スマッセン!! 痛いっスギブギブギブ!!!」 [mokuji] |