「えーコホン、まずは萌え袖から始めよう。各自、昨日メールで伝えたカーディガンは持ってきたな?」 萌えよ海常 〜萌え袖〜 わざとらしく咳払いした森山が腕を組んで私達に確認する。メールで持ってこいと言われたカーディガンを、既に着ている笠松以外の全員が鞄から出した。 笠松は、萌え実践の進行役を全て森山に一任するという文書(ルーズリーフ・手書き)に昨日サインして捺印も終えている。この実践について一切責任を負うつもりは無いとの事だ。素晴らしき徹底ぶり。 「萌え袖とは通常よりもブカブカの袖の事。ホームページの説明を要約するとそんな感じだった」 森山という残念なイケメン曰く、一番手っ取り早くて簡単に出来るからって理由で萌え袖を選んだらしい。あ…早速笠松の目が逝き始めてる、大丈夫かな。黄瀬くんは困惑が全部顔に出ちゃってるよ…頑張ってよ。中村くんは眼鏡が逆光で怖い感じになっちゃってる。明らかに先輩に向けてる目じゃないよ。人殺せそうだよ。早川くんと小堀だけが、いつもと変わらずほのぼのした空気の中にいた。 「も(り)やまさん! 何でカーディガンなんですかっ?」 早川くんが大声で訊ねてる。この子は根本的な意味が解ってないから普通に楽しんでいるんだな、可愛い。申し訳無いな…こんな可愛い子に余計な知識を植え付けてしまうなんて…。 「うーん、ブレザーよりは柔らかくて儚げなイメージ与えるから?」 そして森山が適当過ぎる。早川くんは思いっきり納得してた。マジかよ。 早川くんと小堀以外からのヤバめな視線を受けつつも平然としてる神経の図太さ尊敬するわ、森山。こいつのこの精神面の強さは、バスケと女の子にフラれ続けたショックで培われたものだろう。 「いろんなサイトを見て調べてきたんだが、袖を手の甲まで持ってくるとか第二関節まで持ってくるとか、様々な萌え袖の種類があるそうだ」 森山は自分のカーディガンに袖だけ通して、ずらして見せた。 小堀も袖だけで一緒にやってあげてる。優しいな…さすが小堀。 「じゃあ実際に着てやってみよう。苗字も」 「私も?」 「…というか、お前が大本命だからな。オレに萌えをくれ」 「主旨がずれてるよ森山クン。モテる萌え男子になりたいんでしょ?」 「おっと、そうだった。よし…行くぞ!」 森山のかけ声に、早川くんが元気な返事をしてカーディガンを着込んだ。中村くんも、嫌そうだけどきちんと返事して腕を通す。うん、やっぱり良い子達だ。残念な先輩の至って真面目な悪ふざけに付き合ってあげてるんだから。黄瀬くんも先輩達を見習ってもぞもぞ着始めた。ホワイトのカーディガン…よく見たら帝光中のやつだ。似合ってるよって言ったら、黄瀬くんはシャラっとなった。シャキっとでは無く、シャラっと。 「わ…皆が一斉にカーディガンって何だか新鮮だね」 小堀も中村くんも素敵だね、早川くん写メ撮らせて、みたいな会話を繰り広げていたらカーディガン森山が眉間を押さえて待ったをかけた。 「ダメだ!! 全然萌え袖になってねぇよ!!」 荒い口調で嘆く森山にきょとんとするカーディガンボーイズと私。森山が眉間から指を離してビシッと突き立てたのは彼らの袖口だった。 「もっとブカブカの服持ってこいよ!! そんなパッツンパッツンなカーディガンで萌え袖もクソもあるか!!」 「無茶言わないでほしいっス森山センパイ!! そんな指定どこにも無かったじゃないっスか!!」 「そこは察してこいよ!!」 「無理っス!!!」 よく見たら森山の袖もパッツンパッツンである。私は中村くんと同タイミングで嘆息を吐いて苦笑し合った。 「森山も黄瀬も落ち着こうな。えっと…皆、それいつ買ったカーディガンだ?」 小堀の質問に全員が一年以上前だと答えた。これくらいの歳の男の子は成長期真っ盛りだから、服が小さくなりやすいんだろうか。ちなみに私のは三年前に購入したカーディガンだ。まだフィットするなんて成長してなさすぎて泣ける。でも、袖口は洗濯で縮んじゃってるな……眺めていたら、森山が私をガン見し出した。 「…何か?」 「苗字、惜しい」 「はい?」 何だろう、物凄く嫌な予感がする。 「お前のカーディガンは、もう少し引っ張れば萌え袖になる!」 危険だと体が反応し、間一髪で避ける。森山が私の袖口を掴もうとしてきたんだ。 「な、逃げるなよ!!」 「私が萌え袖になるメリット無い!!」 中村くんは森山の気が削がれた隙に、カーディガンを脱いで片付けに入った。黄瀬くんはこっち向いてると思ったら、すぐに私を見放した。助けろよ!! 小堀はオロオロ、早川くんは楽しそうだな〜というノリだった。和むツーショットをありがとうございます!! 部室は決して広いとは言えない。荷物もあるから、逃げられるスペースも限られてる。それに当たり前だが、部外者の私よりも毎日ここを使ってる森山の方が移動は遠慮無く出来る訳であって。私は簡単にロッカーの前に追いやられた。 「もう逃がさないぞ」 「う、あ…っ」 「こら、森山……」 小堀が来てくれてるけど、間に合わない。森山の手が伸びてくる。こいつ、本当に私に容赦無いんだから…!! 「や、やだっ…」 「覚悟!!!」 「ヒイギャアアアア」 「そこまでだ」 もうダメだと諦めかけたその時、私と森山の間に人が入った。私を庇うように両腕を広げてくれたその人は、小堀でも黄瀬くんでも早川くんでも中村くんでも無い── 「助けに来たぜ、苗字」 「笠松…!」 そうだ、まだ諦めちゃいけない。この人がいたじゃんか! 海常バスケ部主将、笠松! 「森山、別にお前の事を否定する気はねぇ。けどな、今のお前は間違った方向に暴走中なんだよ。オレは仲間として…お前を止めるべきだと思ったんだ」 超まとも発言…! 後ろ姿が凄くかっこ良い。常装備のカーディガンが眩しいよ! 助かった、私助かった! 「だから、今すぐやめ「笠松、ちょっと待て」 笠松ありがとう!と一人で感動していたら、森山が反論と見せかけて笠松の両手首を掴んだ。……掴んだ? え? 「???」 笠松がめちゃくちゃ驚いてる。無理も無い。だっていきなり男に手首拘束されたんだもの。しかも、超真剣な顔つきの男に。今の森山、試合中と同じ目してる。おふ、何て事だ。いきなりどうした。 「……ヌ?」 オーマイガッ…笠松完全に思考停止しちゃったよ。何だよ“ヌ”って。萌え袖なんかよりよっぽどポイント高いわ!! 「これだ…。何で今まで気が付かなかったんだ、オレは…」 森山も落ち着いてよ。後輩達が口ポカンだよ。小堀が「森山、何に気付いたんだ?」と刺激しないように優しく言った。ナイス、ナイスだよ小堀。 「笠松がナチュラルに萌え袖だっ!」 「「「「「「え?」」」」」」 全員で一時停止。森山に「見てくれ!」と言われて我に返り、恐る恐る笠松のカーディガン袖に注目した。着用時間が長いからか若干伸びている生地に、手の甲が覆われている。笠松はよくポケットに手を突っ込んでいるので、こうまじまじと笠松のカーディガン袖を見るのは私達全員初めての事だった。 手首を掴まれているのが原因で、垣間見えている指先が弱々しく見える。その指が、助けを求めるかのようにピクリと動いたその時……私の胸が高鳴った。 (嘘でしょ…!?) なんと、私は不覚にも萌え袖に…ときめいてしまった。否、萌えてしまったのだ。 このドキドキ感を察知したのは私だけじゃなかった。早川くんが左胸に手を当てている。大丈夫?と声をかけたら、「オ(レ)、何かキュンと来ました!」って可愛い笑顔が! 「うぉおお……なんスか、この胸のトキメキ…!」 「これが萌え袖の威力か…くうッ」 黄瀬くんと中村くんが自分を抱き締めるように身悶えているのを見て、私の興奮は静かに萎えた。さっきまで興味無かったくせにどうしたんだよ。私もだけど。 小堀はほわほわした柔らかーい表情で萌え袖を眺めている。笠松だけ、しばらく脱け殻みたいな放心状態になっていた。 萌え袖は、か弱さがキーポイントです 「黄瀬くん、中村くん、そろそろ正気に戻っておいで」 [mokuji] |