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いつからここにいるのか、それすらも分からないほどの長い時間が過ぎた気がする。言ってもまだほんの十数年。ほんの、だ。でもその時間は俺を狂わせるには十分だった。清潔感のある白を基調とした建物、白を纏った医師、そして同じように白の病衣に身を包む自分自身。それらがとても滑稽に思えてくるのだ。あとどれくらいの時間をこの空間で過ごせばいいのだろう。一週間?一か月?一年?ああ、一生か。

(いっそ、このまま白に溶けてしまえたなら)

そんなどうにもならない考えを自嘲と共に消し去り、ゆっくりと瞳を閉じる。けれどそうしたところで何もならないのだ。ここから出られたら、なんて考え飽きた。きっと俺の時間はこうして過ぎていくのだろう。どんな優秀な医師に見せたって俺の病気の重さが分かるだけ。絶望が深くなるだけ。今となればもう絶望すらしていないけれど。別に生きることが嫌になったとかそう言う訳ではない。いや、正確に言うと生きていても仕方が無いと思ったことが無い訳ではない。もういいだろうと自分の手首に冷たい刃先を向けた事もあった。実際この白いシーツを赤に染めた事だって。

軽いノックに思考を遮られ少し煩わしく思いながら返事をすると、ゆっくりとドアが開き一人の男が入ってきた。濃い茶の髪と同じ色の瞳を持つ、仏頂面の男。唯でさえ堅物と言った感じのオーラを放っているのに白衣を着ていることで倍ほど威圧的に見える。いつ見てもいけすかない奴だと内心で毒づきながら「何か用?センセ」と嫌味丸出しでで話し掛ければ、そいつはさほど気にした様子もなくズカズカと近付いてきて「調子はどうだ」と尋ねてきた。よくもまあいつも、同じ言葉を同じトーンで聞いてくるものだ。それが仕事?分かっている、俺さまが言いたいのはそう言う事じゃない。この男は毎日変化が無さ過ぎるのだ、それはもう気持ち悪いほどに。そんな所が気に食わない。

返事をせずにゴロンと体を横にして開けっぱなしの窓へ視線を向ければもうすぐ冬だと告げる様に冷たい風が頬を撫でた。寒い、俺がそう言うよりも早く大きな手が窓を閉める。「気持ち良かったのに」と強がってみれば「そんなに冷えている癖に無茶をするな」と先程の風よりも冷たい返事。何でそんな事分かる、俺さまに触れてもいない癖に。「唇」その一言の意味が分からず近くにあった手鏡で自分の顔を映せば、少し青くなった俺さまの唇。なんとも惨めな顔だ。今、顔以上に心が惨めなのかもしれない。一人で子供の様に意地を張り、全て見透かされていて。構って欲しがりな子供。

「…大忙しのクラトスセンセ、こんなところで時間潰すくらいなら他にやることあるんじゃねえの」

そう言って紫色の乾いた唇に触れる。ああ、こんなんじゃ女の一人もまともに口説けやしない。痛んだ髪、荒れた肌、翳った瞳、それらを見る度にまるで自分では無いみたいだと思う。…でも、まあ、言ってしまえばどうでもいいのだ。どれだけ自分の容姿が悪くなろうと構わない。だってもう俺には、それらを気にするような事はないだろうから。別に悲観している訳ではない。ただそういう事実があるのを受け入れているだけだ。

元より俺のことを本気で想っている奴などいないだろうし、俺の方だって今まで数え切れないほどの女を相手にしてきたけれどその中にたった一人だって心から想った奴なんていなかった。どいつもこいつも見え見えなのだ。金の為、権力の為、立場の為。誰もが俺を通して他の何かを見つめて瞳を輝かせる。全く、恐ろしいことだ。
その証拠に俺がこうしてここで過ごすようになってからは誰も寄りつかなくなった。最初の頃は何人か見舞いだと来ていた奴も二日、三日、続いて一週間でぱったり。それに見舞いに来ていると言っても、こんな病弱な奴だったなんて見当違いだった、もし死にでもしたら玉の輿も何も無い、時間の無駄だ、いつ治るのか、まるで商品の品定めをするかのような視線を浴びせるだけ。まあでもこんなものだろうと変に納得したことを覚えている。

この男、クラトスだってそうだろう。他の奴等の様に私欲丸出しと言う訳ではないけれど、唯の医師として、と言う割には俺の病状をやけに気に掛けてくるし今の様に少し時間が出来れば鬱陶しいほど良く病室に顔を出す。どうせ家の奴から俺の病状を良くすれば謝礼を弾むやら、逆に病状がこれ以上悪化したらこの病院から追い出すやら、何かしら言われて仕方なく熱心になっているのだろう。そうじゃないと有り得ない。

ギシリとベッドが鳴り、体がふわりと沈む。俺が状況を把握するよりも早く鷹色の瞳が俺を見抜き、唇が重なる。その行動の意味が分からなくてパニックになりそうになりながら、必死に白衣にしがみ付く。こんな、貪るようなキスを最後にしたのはいつだっただろう。覚えていない。それにきっと、その時よりも今の方が数倍荒々しい。好きでも無い女の口内を弄るディープキスが嫌いでならなかったからだ。気持ち悪さと吐き気、それしかなかった。けれど今は。ああおかしい。男で、堅物で、いけ好かない、その筈なのに。

不意に唇が離れて一気に吸い込んだ酸素に思わず咳込む。ごほごほと唇に手を当てれば先程の荒々しさと打って変わった態度でゆっくりと俺の体を起こして背中を擦るそいつに無性に腹が立つ。まさかこいつからこんなことをされるなんて思ってもみなかった。喧嘩腰な態度を取り続ける俺へと嫌がらせ?そうだとしても別段おかしくはない。自分で言うのもどうかと思うが、俺は他の誰よりもこいつに対して態度が悪い自信がある。どうしてなのかは自分でも分からない。けれど、目の前にいられると条件反射の様にそうしてしまうのだ。でも、だからと言ってこんな方法での仕返しはどうなのだろう。

「少しは落ち着いたか」

その問いに「お前の所為だろ」と睨んでやれば何故かあっさりと肯定されて気が抜ける。掴めない、調子が狂う。「出て行けよ」そんな率直な言葉すらこの男はのらりくらりとかわす。良いだろう。俺の病状は良好でもなければ悪化もしていないのだから家に文句は言われない。だから放っておけばいい。気に食わないのなら尚更。俺は誰かの金蔓でもなければ玩具でもない、人間だ、それ以下でもそれ以上でもない。(辛い)俺の体はもう朽ちていくだけなのだ。白と同化していくのをゆっくりと待つだけ。だからもう構わないでくれよ。

痩せ細った自分の手が視界に映る。惨めだ。必死に生にしがみ付いて、醜くなっていく自身がとても気持ち悪い。(早く、溶けたい)触れた唇が場違いに熱を持つ。手も足もまるでもう死んでいるかのように冷えているのに、唇だけが、まだ生きているのだと自己主張をする。冗談じゃない。こんな男からのキスで生を感じるなんて真っ平だ。でも、気持ちに反比例する様に熱くなる一方のそれにどうして良いのか分からない。

「死ねば、こんな想いしなくて済むのに」

「その願いは早々に諦めることだな。お前は死なせない」

そんな根拠どこにあるというのだ。現に今だって改善策すら見つかっていないと言うのに。俺の病気はそう簡単に治るものではない。治る確率の方がずっとずっと低い、不治の病の様なもの。お前は優秀な医者なのだからそれくらい分かっているだろう。それなのにそんなことを言うなんて、医者にしては非現実的過ぎる。理想論者、と言う言葉が良く似合う。

(…死なせない、か)

とてもとても難しいこと。きっと静かに死を受け入れた方が幸せになれるのに、大先生はそれを断わってまだ苦しめと言う。この白の中で耐えろと言う。(もし、耐えたら)あんたは俺をどうするの。ただの憂さ晴らしにキスをして、死なせないと言って、一体俺をどうしたいの。それに少し興味がある。あんたが他の奴等と同じなのか違うのか、知りたいと思う。そんな軽い理由でまたこのベッドに体を沈めて何でもない毎日を送る事を選ぶのかと考えると我ながら馬鹿な選択だと思うけれど、きっと、人の意思決定なんてそう言うものなのだろう。少なくても俺はそうだ。こんな奴が俺の生きる理由なのかと思うとやっぱり気に食わないけれど、それでも俺は生きていく。

(溶けはしない、俺として、この道を)

thanks! wizzy



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